第26話
身支度を整え、朝食も食べ終わり、静寂が再度訪れた部屋で一人で籠ること数時間後。サクラによって運ばれた昼食を食べ終えた頃、部屋に一人の来客が訪れた。チャイムに呼ばれて扉を開けると、『レッド』の制服に身を包んだ少女が立っていた。てっきりサクラかアカリだと思っていたが、どちらとも違っていた。
珊瑚朱色の髪は左右の耳の下で小さく三つ編みにされ、可愛らしく跳ねている。その表情は『レッド』にしては珍しく愛想がよくなく、面倒臭いという気持ちを隠そうともしていなかった。
「あれ、貴方……」
たまかはこの顔に見覚えがあった。
「あの時の……」
「まさか生きているとはね」
『不可侵の医師団』を飛び出して『ブルー』から逃げている時、偶然見つけた取引現場。そこで最初に接触した『レッド』の者こそ、目の前の少女だった。共に黒い服の人物の死を見届け、水面の登場により催涙弾を使って逃げ出した者でもある。そんな彼女は、ぽりぽりと頭を掻いた。
「朱宮さまがそう手配したってんならそりゃ死なないでしょうけどさ……。それにしても、よく『ブルー』にひっ捕らえて無事だったね、お前」
「あの時、助けてくれても良かったんですよ」
「何言ってんだか。お前を『ブルー』に捕まえさせる計画だったんだから、あそこは逃げの一手が正しいでしょうよ」
嘲笑を浮かべたあと、ああ、と思い当たったように姿勢を正す。
「まだ名乗ってなかったっけ。私は茜。これから財団に一緒に行くお目付け役だよ」
「財団に……」
これから引き渡し現場に向かう、ということなのだろう。顔を曇らせるたまかの心情を察したのか、アカネはにやにやと笑った。
「残念だったね。あんたの幸運もここで終わり、人生の幕引きだ。世の中、生き残っていくためにはやっぱりここが良くないとね」
アカネは自分の頭をとんとんと小突いた。そして世間話は終わりというように口を閉じると、部屋の中をたまか越しに覗き見た。『ブルー』の者達のように、たまかの腕を無理やり取ることはしなかった。
「荷物はない? もう行ける?」
「はい。……行くのは嫌、ですけど。案内、よろしくお願いします」
「あはは、正直で結構。任せてよ」
アカネはカーペットの上を歩き出した。たまかもその背を追い駆け、ついていく。靴音は分厚いカーペットに吸収され、廊下は静寂に包まれていた。慣れないふかふかの感触に足をもつれさせながら、アカネの赤と桃、白の彩る制服の後を追う。
なんだか無言も居心地が悪かった。気配を消して、逃げたと思われるのも心外だ。たまかは声を潜めて口を開いた。
「あの取引相手の方、亡くなってしまいましたが。取引の方は大丈夫だったんですか」
「……妙なところを気にするね」
アカネは困惑を伴って後ろを一瞥した。足は変わらず動かし続けている。
「あんたが気にすることではないよ。うちの組織は守秘義務に五月蠅いし」
「アカネさんが責められるような事態にはならなかったのですか?」
「ああ、私の身を案じてくれてたの? なら残念、ああいう時は私の責任にはならないよ。『ブルー』の邪魔が入ったと、向こうもわかっているからね。取引は予定通りに遂行されたし、取引相手が死んだのも『レッド』の仕業でない、と向こうは了承済みだ」
「……了承済み、なんですか?」
「何か問題?」
「いえ、こういうときって、相手側にとってはチャンスじゃないですか。『レッド』の奴が殺したって難癖つければ、取引で有利に事が運べますよね? それをしないのは違和感がある、というか……」
アカネは足を止め、たまかを振り向いた。眉根は寄せられ、じっとりとたまかの顔を嘗めるように見渡す。
「ふうん。へえ。あの時接触してきたことといい、お前って意外と……」
アカネは唇を嘗めた。
「……馬鹿なんだな」
「え、失礼ですね」
突然の罵倒に、たまかは不満そうに肩を竦めた。
アカネはくるっと前へと身体を戻すと、歩みを再開させた。なぜか上機嫌そうだった。たまかもその後をついていく。歩くのに合わせて跳ねる目の前の小さな三つ編み達を、ぼんやりと眺めた。
「そういうのは気付いても言わないのが、長生きする秘訣だよ」
明るい廊下も終わりを迎え、カーペットの外へと足を踏み出す。黒い繊細な彫刻が彩る手摺りに囲まれた階段をいくつか降りた後、エレベーターに乗り換えて目的地へと移動を続けた。随分と長い間乗っていたが、振動も音も最小限に抑えられ、ただ突っ立っているだけのような感覚だった。耳だけが気圧の変化についていけず、籠ったようにその聴力を失った。
やがて、扉が開いた。音が鳴ったかどうかはわからなかった。アカネが外へと歩き出し、たまかもそれに倣ってエレベーターの箱を出た。周りは『レッド』の制服を着た少女達で溢れていた。皆忙しそうにしている。
(林檎さんは財政難に陥っている、と言っていましたが、『レッド』の人達はどの程度の深さまでそれを認知しているのでしょうか)
忙しそうにしているのは、抗争だけが理由じゃないようにたまかには思えた。金銭絡みの事務処理に追われているメンバーも、恐らく一定数いるはずだ。どこまで真相を知っているのかどうかは、観察しただけではわからなかった。皆自分の抱えた仕事に一生懸命のようで、走ったり叫んだりしている者までいる。品行方正、いつでも机に向かっているイメージの『レッド』にしては、珍しいように感じる。
それでも、『レッド』の制服を着ていないたまかは目立つらしく、大いに視線を浴びた。忙しさよりも好奇心が勝るのは、泣く子も黙る『レッド』とはいえ年相応な反応だ。なんだか居心地が悪く、たまかはアカネの背になるべく隠れるよう、近づいて歩いた。
「噂の渦中の人物だからね。大人気だね」
アカネはそう言って笑い飛ばした。他人事だと思って、とたまかは恨めしそうに背中を見る。
「噂?」
「『ブルー』に行って無傷で帰ってきた者、朱宮さまと直にお会いしたよそ者、『レッド』の使えそうな駒、無謀にも『レッド』に匿ってもらおうと乗り込んできた輩……いろいろな称号があるよ」
「最後のは貴方の告げ口でしょう、アカネさん」
「いや~……だいぶ面白かったからね。ついサクラやアカリにも話しちゃったよ」
悪びれもなく言いながら、アカネは広いホールからガラス張りの短い廊下へと足を踏み出した。大勢の視線から解放されそうだと、たまかは内心安堵した。
「あいつらはしょうもないことでも喜ぶような雑魚だけど、あの朱宮さまさえ理解出来なそうな顔してたからね。そういう意味ではあんたは凄いよ」
(褒めてなさそうですね)
あえて返事をせず、ガラス越しに外を見る。近くには巨大な建物がいくつも聳え立ち、その先は囲いを隔てて住宅街が見えた。空は快晴で、青い空に白い雲、その間から日の光が降り注いでいた。
解放感に溢れる廊下はすぐに終わり、壁に囲まれた部屋の中へと進んだ。その部屋もすぐに出て、再び廊下を歩く。一つの建物の中のはずなのに、あまりにも広い。終わりが見えなそうだった。
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