第25話
「たまかさん。あなた、『不可侵の医師団』が襲われる前、猫を助けたと言っていましたね」
「あ、そうですね。瀕死状態だった猫さんを治療しました。最後までお世話出来ませんでしたが……」
今から行っても、いてくれるだろうか。元気な姿が一目見られたらいいのにと、たまかは猫の姿を思い起こした。
「……」
「……林檎さん?」
猫に思いを馳せている間に、林檎は再び思考の海に潜ってしまったらしい。たまかが名を呼ぶと、やっとその重い口を開けた。真実を探るような、慎重な声色だった。
「その猫が……蘇生されていたのだとしたら?」
「へ?」
「たまかさん。あなたが治療した時、猫は生きておりましたか」
「え? え? そりゃ、生きていましたよ。本当に瀕死の状態でしたけど、治療が成功して一命を取り留めたのですから、生きていなければおかしいです」
林檎は口調を鋭くした。
「それは、現在の状況からの逆算です。そうではなく、治療前、あなたは実際に生きていることを確認しましたか?」
「え……えっと、もちろんしました。発見時に、目視と触診で生きていることを確認しています」
「その後は?」
「すぐ治療を始めました」
「猫から注意を逸らした時はありませんでしたか?」
「それは……治療器具を取り出したり、傷口を塞ぐのに集中したりするときはありましたが」
「では、その時に死んでいた可能性は残っていますね」
「え……。で、でも治療は成功して……」
「ですから、それは未来からの逆算に過ぎません。治療の合間に一度死んでいたことを否定する材料にはならないでしょう。外だったということですから、生死を逐一判断出来るような機械もその場にはなかったのでしょう?」
「確かにそうですが……。いやいやいや、目を覚ましてください! 蘇生なんてこの世にありません、猫さんは瀕死の状態ではありましたが一命を取り留めました。一回だって死んでません!」
「それを証明する方法は?」
林檎は至って真剣だった。そして、冷静だった。
「ない……ですけど……」
たまかの言葉は尻すぼみとなり、やがて消えた。
「つまり、あなたが蘇生した可能性は否定出来ない、ということですね。蘇生の話の出所は、恐らくそこなのではないでしょうか。でっち上げにせよ勘違いにせよ実際に起こったにせよ、あなたに猫の死を否定することは出来ないのですから」
「…………」
たまかは何も言い返せず、動きを止めた。そんなこと、微塵も考えつかなかった。しかし、言われてみれば確かにそうだ。たまかに、治療前の猫の死を完全に否定することは出来ない。そこで蘇生が起こった……とは考えにくいが、それでも誰かに目撃され、勘違いされたという可能性はあるのかもしれなかった。
(もしくは、自分でも気づかないうちに蘇生を……? いやいや、それなら今まで無限に患者さんを治療してきましたから、これまで蘇生出来ていないのは可笑しいです)
子供の憧れるような夢物語を信じかけ、こほんと咳払いを一つ挟んだ。それと同時に、林檎が自身の制服のポケットから何かを取り出した。今までに出会った人のポケットから出てくるものは大概ナイフだったため、思わずたまかは身を竦めた。しかし、警戒して覗き込むと、林檎の掌に収まっていたのは懐中時計だった。林檎は時間を確認し、歯痒そうにしたあとポケットへと仕舞った。
「時間がありませんね。では最後に一つ、お耳に入れておいた方がよいことがありますので、そちらをお伝えして失礼しましょうか」
今にもサイドチェアから腰を浮かしかけない素振りで、林檎はたまかへと視線を戻した。
「あなたは財団に引き渡される前に、『レッド』に乗り込んできた『ラビット』によって、その身を『ラビット』へと捕らえられてしまいます」
「……」
「『ラビット』は楽しければ他を顧みない集団です。五体満足で帰ってこられるかも怪しいでしょう。どうか、お気をつけて」
林檎はにっこりと微笑んだ。作られたそれは、完璧な笑顔だった。たまかは諦めとともに、乾いた笑いを浮かべた。
「それも、林檎さんが仕組んでいるんでしょう」
「まあ、桜卯に接触してもらうためには『ラビット』に行って貰わないといけませんからね。たまたま『レッド』の警備が手薄になっていた、そういう時もあります」
あっけらかんとそう言い放ち、林檎は今度こそサイドチェアから腰をあげた。ふんわりとした長いスカートと、髪飾りの装飾が揺れる。
しかし、少女はすぐに去ることはしなかった。立ったまま、じっとたまかの顔を見下ろした。その顔には、貼り付けた笑みはなかった。
「……たまかさん。あなたは行動する時、常にあなたの信念に基づいた上で、考えを巡らせて行動しているように見受けられます。感情にばかり支配されず、とても建設的な思考をし、恐れることなく実践している。わたしはあなたのそういうところを、とても評価しています」
林檎は薄く笑った。
「期待していますよ」
一言残して、林檎はその場を静かに去っていった。遠くから扉の閉まる音が小さくきこえてきて、たまかは金縛りが解けたようにはっと肩を揺らした。そして、思わず再び布団に潜ってしまった。部屋はしんと静まり返り、林檎のつけていた香水なのか、花の香りが仄かに香っていた。
(ラ、『ラビット』行きですか……? 冗談じゃありません、処罰か何かですか)
布団の中の真っ暗闇の視界の中、忙しなく目線を泳がす。新たな情報、林檎の推理、そしてこの先のたまかの境遇、最後の林檎の顔。いろいろなことが頭に浮かんでは、消えていった。
(いっそ、このまま二度寝したいですね……)
何もかも忘れて眠りにつきたい。たまかは盛大なため息を漏らした。
「いえ、いけません。引き渡し先に連れていかれ……いや『ラビット』でしたっけ、まあどちらでもいいです。身支度を整えないと、寝癖がついたままではあまりにもお粗末……」
そこまで言い掛けて、林檎に寝癖を指摘されていたことを思い出した。慌ててベッドから出るとスリッパを突っかけ、洗面台へと向かって鏡へと身を乗り出した。
「わあ」
頭の上で、薄桃色の髪がピンと跳ねていた。確かに、芸術点が貰えるような見事なアンテナっぷりだった。これを『レッド』の長に見られたのは、普通に恥ずかしい。
「と、とにかく、準備しますか」
たまかが誤魔化すようにそう呟いたのと、チャイムが鳴ったのは同時だった。慌てて扉へ向かう。そして扉越しに、遠慮がちに声をあげた。
「なんでしょう」
「あ、おはようございます。朝食をお持ちしました」
扉の外から、くぐもった真面目な声色がきこえてきた。サクラの声だ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 起きたばかりで……あと十分! あと十分お待ちを!」
寝癖を押さえつけながら叫ぶ。
「随分と図太い捕虜ですね……。わかりました、十分ですね」
サクラの呆れた返事をきき終わらない内に、たまかは支度をするためにばたばたと部屋の奥へと戻っていったのだった。
***
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