第24話

 だんだんと意識が浮上し、開けた瞼から広がる視界を捕捉していく。身体が沈みそうな程ふかふかで心地よいベッドは、寝なれた『不可侵の医師団』の寮のベッドによる弾力とは桁違いだ。ずっとここで寝ていたいと思わせる肌ざわりの良さは、……そうだ、ここは『レッド』の一室。昨日『ブルー』から『レッド』へと連れてこられた記憶が、頭の中でフラッシュバックする。『レッド』の用意された部屋で一夜を過ごし、最高級のベッドによるもてなしで心地よい眠りにつき……。

 林檎のお人形のような顔。大きい瞳に桃色のふっくらとした頬。血色のいい唇が弧を描いている。細められた目は、真っ直ぐとたまかを捉えていた。紅色のさらさらとした髪の毛が、林檎の小顔を彩っている。

(そうでした、私は昨日、『レッド』の長たる林檎さんとお話をして、その後蘇生能力がないことを理解して貰い、この部屋で大人しくしているよう言われたんでした。逃げることを諦めて、言われた通り眠ったんでしたっけ)

 それにしても、記憶の中の林檎はもっと貼り付けた笑みで胡散臭さを纏っていたものだが、目の前の林檎は年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見ている。ベッドに両肘を立て、その先の合わせた両手に顎を埋め、少し頭を傾けている。その様は、昔見たアニメの幼馴染ヒロインが主人公を起こしに来る様相にそっくりで……。

(……ん?)

 たまかはぱちっと両目を開けた。完全に覚醒した頭諸共、上体を素早く起こす。

「りっ、林檎さん!?」

「ふふふ、おはようございます」

 可笑しそうにくすくすと笑うと、侵入者は両サイドの紅色の輪っかの髪を揺らし、自身の後ろへと視線を投げた。

「安心してください。盗聴器はすべてオフに致しましたので」

「とうちょ……え?」

 たまかが状況を理解しようと必死に頭を回転させる正面で、林檎は姿勢を正した。両手を膝の上へ揃え、初対面の時のように大人びた顔を作る。

「たまかさんとは、誰の目もなく一対一で話がしたかったのです。なかなか機会がありませんでしたので、こうして寝起きを襲うような状況になってしまったこと、お許しください」

「……」

「ですので、あなたの頭の上の芸術作品についても触れませんよ。あまり時間がありませんので」

 どうやら寝癖について言っているらしかった。言い様からして相当酷そうだが、この場に鏡がないため確認しようがない。しかし時間があまりないというのは本当のようだ。たまかは身嗜みを整えることを諦め、目の前の林檎の顔を見つめた。

「それで、話ってなんでしょう」

「まずは最重要事項から話しましょう。『ラビット』の桜卯(サクラウ)へ、尋ねて頂きたいことがあります」

「え……、『ラビット』ですか? 無理ですよ、私は『ラビット』に繋がりがありませんので」

 林檎は薄く笑みを浮かべた。なんとなく嫌な予感がして、たまかは思わず身構えた。

「そこは大丈夫です。あなたは本日、『ラビット』の桜卯に対峙することになりますので」

「え?」

「そこは今は気にするところではありません。肝心の訊いて欲しい内容についてなのですが」

 聞き捨てならないことをさらっと流し、林檎は笑みを貼り付けながら、鋭い目線を投げた。

「『ラビット』に、たまかさんの蘇生能力の話が、どのようにして伝わったのか。それを訊いて頂きたいのです」

「蘇生の話、ですか? 伝達手段というか、情報源を探りたいということでしょうか?」

「はい、その通りです。『ラビット』のその辺の話は、なかなかこちらに降りてこないものですから。『ラビット』の情報を探るには、今のところあなたが一番有効な駒なのですよ」

 そこまで話すと、林檎は短く息を吐きだした。ゆったりとしたスカートの生地の上を滑らせ、その白い手を顎へとあてる。

「『ブルー』が乗り気なのはわかります。わたし達がたまかさんを欲しがっているという情報を『ブルー』に吹聴したのは、他でもないわたし達ですから」

「え」

「あなたを『ブルー』に捕らえて貰う必要がありましたからね。スパイを通して、やる気を焚きつけてやる必要があったのです。ただですね、『ラビット』が思ったよりもあなたを欲しがっているのは少し予想外でした。『レッド』の手が入っていないというのに」

 あなたが必要なのは全組織共通ですが、『ラビット』はもっと嫌々あなたを探すと思っていたのです。嫌に真面目なのが気になります。そう林檎は思案気に付け加えた。

「そもそも、桜卯はこの眉唾ものの話をどのように考えているのかも訊きたいですね。財団はたまかさんが蘇生能力を持っていると言い放ち、挙句法外な額の懸賞金を懸ける始末。しかもこの絶好のタイミングで、です。わたし達からすれば渡りに船ですが、だからこそおかしい」

「絶好のタイミング? どういうことですか?」

 たまかの頭は疑問だらけだった。単純に莫大な金が欲しくてたまかを引き渡そうとしているのだとばかり思っていた。

 林檎は一度、躊躇うように目線を逸らした。しかし言うべきと判断したらしく、口を開いて淡々とした声をあげた。

「実は今、三組織は深刻な財政難に陥っているのです」

「え? ……三組織、全部がですか?」

「はい。というのも、三組織が共通して保有している株が、下がってしまったためです。犬猿の仲ですが、意外なところで一蓮托生、というわけですね。反吐が出ます」

 最後の暴言はきかなかったことにした。たまかは難しい顔を作り、枕の横に置いていた腕を組んだ。

「共通して保有している株、ですか? 毎日争ってばかりいる三組が? そんなのがあるんですか」

「はい。この国の株です」

「国……」

「金と権利は一つの組織に集めておいてはなりません。過去、国の政府に権力と金を集めた結果、彼らは搾取と金の無駄遣いを繰り返し、国を崩壊へと導きました。その過ちを再び起こしてはなりません。ですから、三組織で国の株を均等に分けて保持するよう、昔わたしが提案したのです」

 その提案は通り、三組織は国の株を均等に保有した。そうして、どの組織にも金が集中しないような体制が出来上がったらしい。

「それ自体の仕組みは成功しておりました。ただ困ったことに、最近国の株価が大暴落したのです」

 林檎は俯いて、首を振った。

「とても急な出来事でした。今やこの国と他の国は断絶状態、まさかこの国に見向きをするような国があるとはとても思えませんでした。そもそも、この国の株は三組織で全て保有しているものとばかり思っていたのですが……」

「『ブルー』か『ラビット』が裏切った線はないんですか?」

「ありません。真っ先に探らせましたが、両方とも白でした」

 手を膝に戻し、林檎は曇った顔で話を続ける。

「株という概念自体既に廃れてきていますので、その仕組みに欠陥が出てきたことも想定しています。いずれにせよ、当時三組織は信用取引で莫大な量の株を分けたわけですから、その分の借金だけが残ることになります。ですので、窮地に立たされているのは彼らも同じ。『ブルー』や『ラビット』のやったことではないと見ています」

「莫大な借金……ですか」

「そうです。この借金を帳消しにするには、大きな額のお金が必要です」

 林檎は、下半身をふかふかの布団に入れたままのたまかをじっと見つめた。

「つまり——賞金首の首根っこでも捕まえないと、やっていけないのです」

「……そこに、蘇生出来る私の情報が飛び込んできた」

「はい、そうです。三組織が血眼になってあなたを追う理由、わかってきましたでしょうか」

 たまかは苦い顔をした。そうするより他になかった、と言った方が正しいだろう。

「な、なんで私がこんな目に……。ただの『不可侵の医師団』の一員なのに……」

「……それです。わたしもずっと、不審に思っていたのです。蘇生能力とやらに、心当たりはないのですか」

「全くありません。『不可侵の医師団』に所属する身ですから、治療することは出来ますが……蘇生なんて大それた魔法、使えるわけがありません」

「ふむ……」

 林檎はたまかから目線を下げ、何やら思案するように考え込んでしまった。たまかは今更ながら今の時間が気になり始め、辺りを軽く見渡した。近くに時計の類はなく、また防音性に優れた部屋のため、小鳥達の声がきこえてくることもなかった。リビングに行けば、日の光がカーテンの隙間から差しているかどうかや置時計の表示でわかりそうなものだが、生憎ここからは見られなかった。

「しかし、あなたが選ばれたことには、明確な理由があるはず」

 少しの静寂を置いたあと、林檎はぽつりと零し、顔をあげた。部屋を見渡していたたまかも、意識をそちらへと持っていく。

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