第23話

「蘇生が出来ないということは……」

 ずっと黙って事の成り行きを見守っていたアカリが、久方ぶりに心地よい声をあげた。

「引き渡すということね? 財団に」

「まあ……最終的には、そうでしょうね」

「財団?」

 藪から棒の言葉に、たまかは目を瞬かせた。

「引き渡し先です。たまかさんを欲しがっている」

 アカリはそう説明した後、「たまかさんは財団との関わりは?」と尋ねた。反応が予想外だったらしい。たまかは首を横に振った。

「そうなんですね。財団はたまかさんに多額の懸賞金を懸けているようですから、是が非でも探し出したいようですが……。心当たりもない感じでしょうか?」

「はい。全く」

(初めてきく情報です。というか、『レッド』は組織のメンバーにもその辺の情報共有がされているんですね。さすが、『情報が武器』と言うだけあります)

 『ブルー』が引き渡そうとしていた先も、恐らく同じ『財団』なのだろう。『レッド』は蘇生能力がないたまかの利用価値は皆無に等しいと判断し、『ブルー』と同じく引き渡すことを選んだらしい。まあ、『レッド』好みの『妥当』で『合理的』な選択である。

「『ブルー』から引き渡されるのを阻止して頂いたと思いましたが、結局引き渡されちゃうんですね」

「貴女の価値は、蘇生以外ですと所持している『ブルー』の内部情報くらいでしたからね。それも話し終えた今、貴女を引き渡してお金と交換するくらいしか利用価値がないのです」

「まあ……そうでしょうね。『レッド』からすれば」

「そも、正しくはそうせざるを得ないと言いますか」

(そう、せざるを得ない?)

 たまかが疑問に思った言葉に、説明が入ることはなかった。サクラはふうと一区切りつけると、アカリと一度目配せをした。

「さて……引き渡すことは確定しましたので、それまでたまかさんには大人しくしていてもらいます。……ああ、安心してください。『レッド』は御進物は丁重に扱います。個室をご用意しておきましたので、明日の引き渡しの時間までゆっくりくつろいで頂ければと思います」

「死を前にして寛げる程図太くないですよ……」

「大丈夫です。少なくとも、明日死ぬことはありません。これは朱宮さまのお考えですので、断言出来ます」

「……はあ」

(また、頓智か何かでしょうか)

 たまかは財団とやらに引き渡されることは、死と同等だと思っていた。『ブルー』の水面やイロハも、暗にそう考えているようだった。だが、林檎はそうは考えてはいないということなのだろうか。

(まあ、その辺りは考えだしたらキリがありません。まずは逃げることを考えましょうか……)

 自身に蘇生能力がないことは自他共に認められ、引き渡されることは確定した。引き渡される前に、逃げ出す方法を考えなければならない。

(しかし、ここは『レッド』の領地。林檎さんの考えの裏を掻い潜って逃げ出さなければなりません。そんなの、出来るのでしょうか)

 頭が痛くなってきた。

「でもそうですね、昨夜はあんまり眠れませんでしたし、少し休憩したいかもしれません……」

「はい。では、個室に案内しますね」

「縄は解いて頂けるんですよね?」

「もちろんです」

 サクラは頷き、案内するために扉の施錠を開けた。アカリはたまかを優しく支えて立ち上がらせ、三人は死体のある部屋を後にした。先に出たサクラとたまかは廊下を歩いて行き、最後に出たアカリが部屋の明かりを消し、扉を閉めた。閉まる直前、真っ暗闇の部屋へと、アカリは寂し気な顔でこっそり手を振った。もちろん、死体は返すことはなかった。大きな音を響かせ、扉が閉まる。鍵を閉め、アカリはサクラとたまかの背中を追い掛けた。




***




 それからは、サクラの言う通りに個室に案内され、一人で過ごすこととなった。監禁状態ではあるが、周りに監視役が配属されることもなく、約束通り両手も解放された。その上まるでスイートルームのような豪華な広い部屋で自由に過ごせるというVIP待遇だった。たまかは実際に高級ホテルに泊まった経験などないが、見るからにいい生地を使っている紅のカーペット、上品な模様の浮かぶ壁紙、いかにも高級な材質の家具の数々を見れば、身の丈に合っていない部屋であることは一目瞭然であった。部屋に閉じ込められて暫くは萎縮してしまっていたが、見慣れてきた頃にはふかふかの椅子に座り、滑らかな肌触りの肘掛けに縄の掛かっていない手を置いて、考え事に耽った。一人用とはとても思えない広さの机の上には、端っこに置時計が置かれていた。その時計だけが、時を刻み続ける。ぼうっと虚空を見つめていたたまかは、やがて極上の座り心地の椅子から、腰を浮かした。

 ガラス張りの窓に近づくと、繊細なレースで作られたカーテンを横へとずらした。藍色のペンキを零したような暗闇が広がっている。遠くで星々がトッピングされたアラザンのように浮かんでいて、その下では街灯がろうそくの火のように数多に揺らいでいる。どの建物もミニチュアのように映っていて、『ブルー』で一夜を過ごしたミナミの部屋よりも高い場所に位置していることが窺えた。

(バルコニーは……ないですね。何かに伝っていけば降りられるでしょうか……かなり高いですが)

 出っ張っている部分がないかときょろきょろと辺りを見渡す。

(うーん、『ブルー』の時と違ってここは寮というわけでもなさそうですしね。視界内では排水管が見当たりません……伝っていくのは厳しそうです)

 レースを引き千切ってしまわないよう、慎重にカーテンを閉め直した。連れてこられた出入口の方向を振り向く。

(この部屋に人はいませんが、扉から馬鹿正直に逃げられるとも思えませんね)

 唯一の扉へと向かい、ドアスコープから外を覗いてみた。廊下は無人で、人の気配はない。カーペットが敷かれた廊下とお洒落な灯り、その下に飾られているよくわからない陶磁器の壺が見えるだけだった。壺の置かれている台の下にも、誰かが隠れているようには見えなかった。耳も澄ましてみたが、廊下からは人の声どころか足音すらもしなかった。

(手薄過ぎて、逆に怖いです)

 ドアスコープから顔を遠ざける。

(ううん、一度ここから逃げてみましょうかね? 『レッド』の敷地内は広そうでしたし、近くに人がいなければ何処かに隠れることも出来そうです……)

 ふと、頭に林檎の顔が過った。人形のような愛らしい整った顔で、貼り付けたような笑みを浮かべている対峙した時の姿。

(……そういえば、林檎さんが『明日死ぬことはない』と言っていた、とサクラさんが言っていたんでしたっけ。あれ、どういう意味なんでしょう)

 目の前に聳え立つ、クリーム色の扉を見上げる。

(林檎さんの考えが本当ならば、私は今逃げるべきではないということでしょうか。林檎さんの思い描く通りに行けば、私はすぐに死ぬことはないらしいですからね。少なくとも明日の日没は拝められるようでした)

 ここで逃げ出す方が、もしかすると死に近いのかもしれない。林檎の筋書きではすぐには死ぬことはないようだが、その筋を外れれば死は常に付き纏う。なにせ、三組織すべてに狙われているのだ。いつ死んでもおかしくはない。

「……」

 目の前の扉と睨めっこをした後、たまかは踵を返した。スリッパをぱたぱたいわせて、リビングへと戻る。

(少なくとも、逃げ出すよりは林檎さんの言う事をきいていた方が生存率が上がりそうですね。そう思わせるために林檎さんがわざとでたらめを言った可能性もありますが……あの人の思考を凡人があれこれ追うのはちょっと疲れます。ここは大人しく従っておきましょうか)

 ふう、と一息ついて、肩を回した。

「今日も疲れちゃいました。お風呂に入って、寝るとしましょうか」

 脱出しないとなれば、しっかり休んで明日に備え英気を養うのが得策だろう。たまかは一度伸びをしてから、シャワールームへと向かった。




***



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