第22話

 サクラは直立した姿勢のまま、たまかへと顔を向けた。死体は手つかず、そのままの状態で寝かせられている。

「蘇生は出来なかった、ということでよろしいでしょうか?」

「最初からそう言っています」

「わかりました。では、指を一本切り落とすことになりますが」

 たまかは唇を噛んだ。そして、縛られたままの両手を、サクラへと緩慢に上げた。

「……どうぞ」

 サクラはじっとたまかの顔を見つめていた。真一文字に結んだ口とともに、何かを探るようにその瞳を向けていたが、俯いたままのたまかと視線が合うことはなかった。

「……見込み違いかしら?」

 ポツリと、アカリが零した。たまかが顔をあげると、アカリは言葉に反してたまかへと微笑んでいた。……恐らく、彼女は助け船のつもりで発言したのだろう。たまかは何も言わず、目線を逸らすことしか出来なかった。それに眉根を寄せたのは、サクラだった。

「いえ。この反応で確信しました。たまかさん、貴女は自分の指が切られる必要がないこと、既にわかっていますね?」

「……」

「あら、そうなの? なら、どうして回避しようとしないのかしら」

 アカリが不思議そうにする横で、サクラが口を開く。

「……朱宮さまの仰った通りです」

「え?」

「どういうこと?」

 たまかとアカリは、真面目な顔のままのサクラの顔を驚きとともに見つめた。

(あれ、林檎さんはわざともったいぶった言い方をして、私がそれに気付けるかどうか試した、ってことですよね……? なら、それに気付かないフリをした私は、林檎さんの期待に沿えなかったということになるはず。なのに、これが林檎さんの思惑通りの展開なんですか……?)

「朱宮さまは、誰のものを切り落とすかわざと指定しませんでした。つまり、たまかさんのものでもいいですし、わたくしや灯のものでもいいですし、死体のものでもいい。……そのことに、たまかさんは気が付いていたはずです」

「じゃあ、なんでたまかさんは自分の指を切られることに抵抗しなかったの?」

「……」

 サクラは口を閉じ、たまかへ説明を求めるような視線を送った。この先は自分で言え、ということらしかった。釣られてアカリも、不思議そうな顔のままたまかを見つめる。二人の視線を浴び、たまかは目を泳がせた。しかしここまでサクラに説明されてしまっては、後を継がないと永遠に二人の視線を浴び続けることになるだろう。たまかは観念して、目線を逸らしたまま口を開いた。

「……出来ませんよ。死体の指を切り落とすなんて」

「どうしてですか?」

「どうしてって……死んでいるとはいえ、元は生者ですよ? 勝手に傷つけるなんて出来ません。死体を傷つけるくらいなら自分の指を差し出そうと、そう思っただけです」

「なるほど。ですが死体に痛覚はないですよね? 痛覚もあり将来もある生者のたまかさんが指を切り落とすのは、非合理的に思えますが」

「ああー……もしかすると、さっきうちが梅ちゃんの話をしたせいかしら? 気を遣わせてしまいました?」

 アカリが申し訳なさそうに自身の人差し指を合わせた。たまかは首を振った。

「いえ、ウメさんの話がなかったとしても同じ選択をしていました」

 たまかは自身の制服へと視線を落とした。全身雪のように白い、清潔感を意識してデザインされたナース服。医療従事者の証だ。

「私のせいで誰かが傷つくなんて、『不可侵の医師団』所属の者として失格です。それは、死者でも同じだと思っています。……ですから、『レッド』の御三方を傷つけるくらいなら、このまま私の指を切り落として頂こうと思ったまでです」

 説明は終わったとばかりに、たまかは再度縛られた両手を前へと突き出した。先程のおずおずとした感じは消え、力強いものだった。

 サクラはその手を見下ろした後、無言で自身の制服のポケットに手を突っ込んだ。折りたたみナイフを取り出し、慣れた手つきで開いた。刃の部分が、室内灯に当たって鈍く光った。刃に映った横のアカリは、困惑を滲ませてうろたえていた。しかし林檎の命である、止めることは出来ない。サクラがナイフをたまかの手の上へと移動させたことにより、刃には寂れた部屋とサクラの真面目な顔、そしてたまかの険しい顔が目まぐるしく映っては消えた。たまかの右手の小指が、ゆっくりと伸ばされる。鋭い刃の、すぐ真下だった。

「もう一度ききますが」

 サクラは表情一つ変えず、淡々と言い放つ。

「本当に、貴女の指を切り落とすということでいいんですね?」

「何度もそう言っているでしょう。私には蘇生能力はありませんし、死体を傷つけるわけにもいきません」

 たまかは強情にそう言い、意見を変えなかった。サクラも表情を変えなかったが、ナイフを持つ手に僅かに力が込められた。空いた手でたまかの伸ばした小指を掴んで固定すると、刃を上へとあげた。このまま勢い良く下げれば、たまかの小指は吹き飛ぶ。

(ああ……っ、せめて麻酔を許してほしかったです……!)

 たまかはぎゅっと目を瞑った。覚悟は決めたものの、痛い思いは出来ればしたくはない。血で染まるであろう制服だって、新しいのを用意する必要があるだろう。それにこのまま三本も指を失えば、治療にだって影響が……!

「……」

 しかし、いつまで経っても痛みはやってこなかった。薄っすらと片目を開けて見れば、刃の位置は目を瞑る前から微動だにしていなかった。サクラは真面目な顔のまま、小さくため息をついた。

「理解出来ません」

 一言呟かれた言葉に、たまかは両の目を開けた。不思議そうにサクラを見ると、サクラは苦い顔をした。

「理解出来ません、が——朱宮さまの仰っていた通りでした。貴女に、蘇生能力はありません」

 刃が静かにたまかの指を離れていき、やがてパタンと閉じられた。横のアカリが、ほっと胸を撫で下ろす。

「え……どういうことですか? なんで今、蘇生能力の話が出てきたんです?」

 たまかは困惑しながら、自身の無傷の指を見下ろす。

「それにゆ、指は? いいんですか?」

「はい。我々の目的は貴女の指ではなく、あくまで蘇生能力の判断ですからね」

 そう言うサクラの顔は渋いままだった。

「朱宮さまは、貴女が死体を傷つけることを是とせず、自身の指を差し出すだろうと仰っていました。そしてその場合は、たまかさんに蘇生能力はないと言い切れる、と」

「なぜですか?」

「自分の指を犠牲にしてまで死体を守る人が、蘇生能力を持っていて死体に使わないとは考えにくいでしょう。それに朱宮さまは仰っていました、貴女は一度、死体を見捨てていると。なので、この場限りで蘇生能力を隠しているとも言い難い」

「死体を見捨て……って、もしかして『レッド』の方と取引していた、黒い服の人のことですか」

 『レッド』に匿ってもらおうと声を掛けた時に、取引をしていた黒い服の長身を思い起こす。『ブルー』に撃たれ、助けられなかったことも。

「はい、そうです。貴女には既に一度死体を蘇生しなかった過去があります。自分より死体の身を優先する貴女が、死体を見捨てたなんて矛盾しています。なので、蘇生能力がないと考える方が辻褄が合い、妥当なのです」

「……それって、そもそも私が林檎さんの指示の穴に気が付いている前提の話ですよね? 気付かずに指を差し出していただけだったら、蘇生能力云々の話にはならないと思いますが」

「え、そんなわけないでしょう。このくらい猿でもわかります」

(気が付くまで結構考え込んだんですがね……ま、言わないでおきましょう)

 あえて横槍を入れず、黙ってサクラの言葉に耳を傾ける。『レッド』は頭脳集団である、他人に求めるハードルも高いらしい。

「さらに言えばですね、朱宮さまが言うには、貴女は猫や友人の怪我を治そうと動いていたそうですね。蘇生能力があるのなら、そのような行動は取らないはずです。死んでしまっても生き返らせればいいだけですから。……つまり、貴女に蘇生能力があるのだとしたら、貴女の行動はずっと矛盾しているのです。ただ、貴女が蘇生能力を意図的に隠している可能性もありました。だから貴女をこうして試したのです」

「意図的に隠している可能性はない、と?」

「はい。というより、出来ないのです。貴女は自身の身を差し出してまでも、他人の身を案じる方です。そんな貴女に、蘇生すべき他人が目の前にいるのに蘇生をしないで見捨てることなんて、出来るはずがありません。朱宮さまはそれを証明するために、この場を設けたというわけです」

 つまり、全て林檎の掌の上だったというわけである。たまかは思わず脱力した。

「最初からそう言っていたのですがね。やっとわかって頂けましたか」

「ただ、個人的な意見を言わせて貰えるなら、貴女の考えは理解出来かねます。生者より死者を優先するなど、非合理的です。朱宮さまに慈悲の心がなければ、今頃貴女の指は三本とも飛んでいましたよ」

 サクラの顔がずっと晴れない理由はそれらしい。たまかは少し唇を尖らせた。

「合理的とか非合理的とか、そういう話じゃありません。私は、人が傷つくのが嫌なんですよ」

「……まあ、所属する組織が異なる者による考え方の違い、ですかね。わたくしが口を出すことでもないでしょう。愚かだとは思いますが、貴女の個性でもあります」

 サクラはそう言って反論を飲み込んだ。どうやら理解は出来ないものの、違いを認め自己完結したらしい。それを察し、たまかもそれ以上は何も踏み込まなかった。

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