第20話
「たまかさん、たまかさん」
のんびりとした心地よい声が響いて、たまかは思わず顔をあげた。この部屋にはたまかの他に、一人しかいない。もう一人へと目を向けると、アカリが壁に背中を預けて床に座っていた。彼女はこちらへと手招きをしている。微笑みを浮かべているが、林檎とは違って作ったような笑みではなかった。たまかは誘われるがままに横に並び、腰を下ろした。
彼女はポケットの中から、包装された真四角のものを取り出した。包装を丁寧に開けながら、「根を詰めすぎると良くないわ」と誰に言うでもなく呟いた。開けられた包装紙の中身は、チョコレートだった。包装紙の部分を摘み、それをたまかの口の前まで持って来た。
「甘いものでも食べて、脳を休めるのが効率的ですよ」
たまかは目の前のチョコレートを見て、ぱちぱちと瞬いた。それから、口を開いて、チョコレートに食いついた。毒が入っている可能性もあったが、ここでたまかを殺す意味もないだろう。そして『レッド』は頭を使う集団である、意味のないことを行動に移したりはしない。殺すのなら既にお茶に毒を入れて殺している。そこまで考えた上で口に入れたのだが、アカリの穏やかな顔を見れば厚意からの行動というのは一目瞭然であり、端から断る気もなかった。咀嚼する度に食べなれた味が口に広がって、その甘さに脳が喜んでいる気がした。
「美味しいです」
「良かったわ」
ポケットからもう一つチョコレートを取り出し、アカリも自身の口に入れた。
「これね、梅ちゃんが好きだったチョコなんです」
「ウメさん?」
「真ん中の子です」
……真ん中。
たまかは思わず口の動きを止めた。ちらりと、三つの死体へと目線を動かす。
「梅ちゃんが好きだから、よく買っていたんですが……。これで食べるのは最後になるかも。だからこうして彼女と一緒に食べられて良かったです。でも、一人で食べるのは寂しいから」
アカリはたまかへと顔を向け、柔らかく笑った。桃色の髪が、肩からさらさらと流れていった。
「たまかさんが一緒に食べてくれて、嬉しいです」
たまかは咀嚼を終え、嚥下した。甘さの余韻が広がる口を開く。
「つまり……アカリさんは、私に蘇生は出来ないとお考えなのですね?」
「そうですね。朱宮さまとの会話は嘘をついているようには見えませんでしたし」
アカリは話しながら、ポケットからもう一つチョコレートを取り出した。包み紙を緩慢に開けていく。
「蘇生なんて、世の中にあるとは思えません」
「それは、そうです」
「もう一度梅ちゃんと美味しいものを食べられたら嬉しいけど」
アカリは死体へと顔を向けた。遠い目をしているが、そこに映っているのは目の前の死体ではなく、きっと今までの温かい思い出なのだろうと、たまかは思った。
「そんなことになったら、それは死者への冒涜だと思うわ」
アカリは思い出したように手の動きを再開させ、チョコレートをたまかの口元へと持っていった。たまかはチョコレートへと口を持っていき、その茶色の塊を舌へと転がした。
(『レッド』の皆さんはどなたも結構社交的な印象を持ちましたが、頭脳集団だけあってしっかり根底に自分の考えを持っていそうですね)
咀嚼しながら横を見ると、アカリは真ん中の死体を一心に見つめていた。おっとりとした話し方とのんびりとした振舞い、常に浮かべている穏やかそうな笑顔は鳴りを潜めていた。
「……ウメさんは、どの組織にやられたんですか?」
「『ブルー』ですね。右側の子もそうです。左側の子は、『ラビット』に」
「……」
「たまかさんの話を聞く限り、たまかさんは『ブルー』に助けられた場面もあったようですが、うちは『ブルー』のことは許せません。絶対に」
それはそうだろう。大切な仲間を殺されて、恨まないわけがない。たまかは足の位置を動かし、靴を床に滑らせた。
「私は別に、『ブルー』側の人間ではないですよ」
アカリは寂しげに笑みを浮かべた。気を遣われたと思ったのかもしれなかった。
「わかってはいるんです。こんな風に組織間で恨んでばかりいたら、永遠に争いはなくならないって。……なぜうちらは殺し合うなんて馬鹿げたことをしているんだろうって、時々考えます。殺し合いがなかった時代に戻ることは出来ないのかって」
「そうですね」
「でも、桜ちゃんが言うには、殺し合いのない会社勤めの時代も同じ様なものだったんだそうです。労働する側は自由も何もなくて、会社で上の立場にいる人に搾取され続ける。結局、血が流れない抗争が日々行われているだけで、今と何も変わらない。さらには国規模でそれが行われ続け、一度崩壊してしまった」
自分達の生きていなかった時代に思いを馳せる。隣り合って座る二人の少女と、寝かせられている三つの死体がある部屋に、アカリの独白のような声が小さく響いた。
「精神が崩壊したり一文無しになってまで奴隷のように生きるのと、死と隣り合わせでも自分の意志で生きるの、どっちの方がいいかって言ったら、うちは今の方がいいのかなって」
「でも、今はある日突然大切な友達を失ってしまう可能性がありますよ」
「ある日突然大切な友達の精神が崩壊してしまうよりかは、いいんじゃないかしら? それでなお、死ねないで働いて生きるしかないんですよ。それを見るなんて、あまりに辛いでしょう」
たまかは何も言い返せず、口を閉じた。『大切な友達』ときいて、らんとすずの顔が浮かんだ。胸の辺りが、きゅっとした。
「一番いいのは、新しい未来を作ることです。戦国時代や会社時代とは別の、全く新しい時代。……それを、朱宮さまは作ろうとしています」
「林檎さんが?」
「はい。争いのない、生きている人達が全員『自分らしく』生きることが出来る時代と仕組み作り。そういうところを朱宮さまは目指しておられるんです。だから、うちは『レッド』に入りました。とても共感出来たので」
(林檎さんはあまり人の生死に興味がないと思っていましたがね……。こうやって、蘇生の確認のために本物の死体を使うような人ですし……)
たまかは置かれた三つの死体を眺めた。まるでスーパーの安売り品のように床に転がされている気がした。
それに、たまかの手足も平気で切り落とすような人である。しかしそう反論しても忠誠心の前では無駄なことは他組織で証明済みのため、たまかは代わりの言葉を投げた。
「……アカリさんは、平和を求めているのですね。『不可侵の医師団』にも、そういう人は多いです」
「そうなのですね。たまかさんは、どうして『不可侵の医師団』に?」
「怪我をしている人を救いたいと思ったからです。私は誰かを傷つけたくはありませんから、三組織は肌に合いませんし。私の治療で一人でも多くの人の傷が治れば、それはとても素晴らしいことだと思いません?」
「そうですね。理想的だと思います」
アカリは頷いた。その様子からして、社交辞令ではなく、本心からの言葉のようだった。
(組織に所属している子の中にも、平和主義の方がいらっしゃるんですね。少し意外でした)
野蛮な『ブルー』に、愉悦を求める『ラビット』。確かに、平和を求める人が行きつく先は、『レッド』になるのかもしれなかった。
壁越しにくぐもった靴音がきこえたかと思うと、扉が開かれた。立て付けが悪いのか、大きな音が部屋に響く。姿を現したのは、サクラだった。
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