第16話
思わず独り言を漏らし、思い出したように改めて部屋を見渡す。ここは水面用の部屋らしく、どの家具も高級感に溢れていた。上品さを感じる反面、色や模様、ブランドに統一感はないようで、拘りのなさが滲んでいた。ブラインド越しに窓の外に目を向けると、日が丁度上っていて、我が物顔で辺りを照らしていた。
ぼうっと眺めていると、コンコンコン、とノックする音が響いた。驚いて扉の方を振り向くと、開け放たれた扉から『ブルー』の制服に身を包んだ少女が現れた。水面程ではないが、背が高くスタイルがいい。ウェーブがかったアイボリーのショートカットを楽し気に揺らして、笑顔を貼りつけてたまかのもとへと近づいた。長い袖とミニスカートのフリルが揺れる。
「初めまして! 私、イロハと言います。たまかさんを引き渡し現場に連れていく仕事を任されました。よろしく~」
にこにこと人当たり良く微笑む顔に、たまかは思わず面食らった。
「……初めて、『ブルー』で自分の名前を名乗って貰えました」
「あはは。君、きいていた通り面白い子だねえ」
さあ行こう! と、まるでピクニックに誘うように楽し気に腕を取られた。ミナミの時とは違い、力は込められていない。たまかは引っ張られるまま立ち上がり、部屋を出て行こうとするイロハの背中についていった。編み込まれたハーフアップの髪を大きな花の簪で留めていて、つい視線を奪われた。
「縹様と話してたんでしょ? どう、怖くなかった?」
たまかの手を引っ張って導きながら、イロハは後方に向かって話しかけた。その間も二枚歯の音とたまかの靴音は、一定間隔で鳴り続けていた。
「いやもう……。……怖かったですよ」
「あはは、だよねえ。怒らせたらいつ殺されるかわかんないもんねえ」
イロハはケラケラと笑った。馬鹿にするような感じではなく、なんだか楽しそうだった。
「でも、縹様は普段はすっごくいい人なんだよ?」
「……それは、ミナミさんも仰ってましたね。さっきは殴られてましたけど」
「まあ~、そういう時もあるよね」
(いやいや)
のんびりとした相槌をうつイロハに、たまかは苦笑を浮かべた。
「ホラ、暴力が必要な場面だって、あるじゃない? それに、虫の居所が悪い日もある」
イロハは人差し指を立て、くるくると回した。
「例えば、縹様が大好きな辛いものを食べようとした瞬間、突然『ラビット』が乗り込んできたりとか……」
度々、話の途中で向こう側からやってくる『ブルー』の制服の少女とすれ違う。彼女達は皆頭を下げたが、イロハは話を中断することなく手振りや笑みだけで答えていた。そのうち通路の突き当たりまでやってくると、イロハは角を曲がった。
「んも~! ってなるでしょ? ほら、殴りたくなる」
「いや殴りたくはならないですね……」
『ブルー』のノリにはついていけない。たまかは呆れたように口元をひきつらせた。
「そっか。たまかさんは優しいねえ」
イロハはにこにこと笑みを見せると、再度前方へと顔を戻した。たまかはアイボリーのふわふわの髪が揺れるのを、苦笑とともに眺めた。
(イロハさん、なんか掴みどころのない方ですね。あんまり暴力を振るう姿が想像出来ません)
「時に、たまかさん」
改めて名前を呼ばれ、たまかは小さく首を傾げた。イロハの顔は、後方からは確認出来なかった。
「優しい君なら、これから向かう引き渡し先に行ってもやっていけそうだとは思ってるんだけど。君自身は、どうなのかな?」
「え」
軽快な調子は崩れていないが、それでも笑いながらの世間話の雰囲気ではなかった。足を動かしながら、黙ってその背中を見つめる。たまかは少し考えてから、口を開いた。
「……正直、相手が誰かは知りませんが、引き渡されたら殺される未来しかないんじゃないかと思っています。三組織を動かしてまで私を狙うなんて、目的が何であれただじゃ済まないはずです」
「なるほど、なるほど。とても的確で、客観性に優れた洞察だね」
まるで子供の答案を褒めるように、イロハはたまかを持て囃した。しかし質問の意図がわからず、たまかは素直に喜ぶことが出来なかった。
「……それじゃあ、たまかさんは引き渡されたくないと思ってる?」
「そ、それはもちろん。殺されるとわかっていて行きたくはないです」
だからこそ、危険だと思われた水面との接触さえやってみせたのだ。逃げるための情報を得ることは叶わず、結局徒労に終わったのだが。
「そっかあ。行きたくないかあ」
イロハは繰り返すようにそう呟くと、ピタリと足を止めた。人通りの少ない、長く続く廊下の真ん中だった。突然二枚歯の音が止まり、たまかも背中にぶつからないように慌てて足を止めた。
「……イロハさん?」
どうしたのかと、たまかはイロハの顔を覗き見ようとした——その時、後方から轟音が響いた。耳を劈くような音に、ビクリと身体を跳ねる。思わず、音のきこえてきた方へと振り向いた。建物はカタカタと振動し、破る音、崩れる音、そして人の怒声が遅れてきこえてきた。突然の事態に、たまかは目を白黒させた。
「な、なんでしょう?」
「走るよ!」
イロハはたまかの手を引っ張り、前方に向かって駆け出した。たまかも慌ててそれに合わせて走り出す。長い廊下にいた数人の人影は、音のした方へ向かってしまい、今はもう消えていた。イロハとたまかの二つの影だけが、長い廊下を全速力で駆けていた。音のした方とは、逆の方向だった。
突き当たりで角を曲がると、そこにも長い廊下が続いていた。そこに、一人の少女が立っていた。ここ『ブルー』においては大層目立つ、紅と白、桃色から構成される特徴的な制服。淡いグラデーションを描くふんわりとした生地、足首まである長いスカート。縁取られ丸みを帯びた半袖、スタンドカラーの襟元、小さい花々の中から細長い装飾が垂れる髪飾り。……『レッド』の者だ。
黒いおかっぱ髪を揺らし、小柄な少女はイロハとたまかの顔を確認すると、姿勢を正した。
(なんで『レッド』の者が? 先程の音からして、『レッド』が襲ってきたってことでしょうか。……何にせよ、まずいです。目の前で『ブルー』と『レッド』の喧嘩がおっぱじめられてしまいます)
たまかは青い制服に身を包むイロハと、赤い制服に身を包む黒髪少女へと交互に視線を向けた。二人は正面に立ち、お互いの顔を見つめ合う。先に動いたのは、イロハだった。たまかから手を離し、一歩後方へと下がる。
「ん」
そうかと思うと、たまかの背中を軽く押した。乱暴な手つきではなかった。押されるがままに、たまかは二、三歩前へ進んだ。『レッド』の少女の顔が近くなる。彼女は重い瞼の下の瞳を、じっとたまかへと向けていた。
『レッド』の少女は、おかっぱ髪を揺らしてこくんと頷いた。そして、先程までイロハに握られていたところを、今度は『レッド』の少女の手が掴んだ。
「ああ、そうそう」
イロハは声を潜めながら、思い出したというように口を開いた。
「一応縹を一番遠いC棟まで誘導しておいたけど、あの人ならすぐに駆け付けるかもしれない。襲撃場所付近にいくつか罠を張っておいたけれど、撤収は十分以内の方がいい」
「わかりました。流石です、助かります」
「地図は頭に入れてある? この先を真っ直ぐ、その後左折ね」
『レッド』の少女は真面目な顔のまま頷いた。そして、たまかをついてこいと言わんばかりに一瞥し、走り出した。手を掴まれている以上、たまかもついていくしかない。わけがわからないまま続けて走り出し、困惑のまま後方を振り返る。遠くなったイロハは、こちらへ笑顔で手を振っていた。『ブルー』の制服の長く垂れた袂が、艶やかに揺れていた。
「……な、なにがなんだか」
「私語は謹んでください。『ブルー』の奴らに見つかったら、目も当てられません」
走りながら、『レッド』の少女はたまかを振り向き、自身の口元に人差し指を当てた。たまかはなんとも言えない表情のまま、無気力に頷いた。
遠くで怒声がいくつも響いている。銃声、そして崩れる音も混じって、その度に建物が振動した。『レッド』の少女に導かれるまま、長い廊下を抜け、外付け階段を駆け降り、タイミングを見て外の茂みへと突っ込んだ。『ブルー』の者はみんな轟音の発端である『レッド』の襲撃の対応へと向かっているようで、近くには人影はなく、静かだった。
『レッド』の少女の腕や指は細く、彼女の身体は小柄だった。そのため振り切って逃げることも考えたが、『ブルー』を襲撃したのが『レッド』である場合、近くに大量の援軍がいるであろうことも予測できた。ということは、ここで彼女を敵に回すのは得策ではない。彼女の腰についたホルスターに収まっている銃の存在感もあり、たまかは彼女から逃げ切ることは容易ではないと悟り、黙って彼女についていった。
外の茂みに隠れたたまかの耳は、水面の声を拾った。随分遠くのようで上手くききとれないが、よく通る声質のため、すぐに水面だとわかった。彼女はたまかの名前を叫んでいるようだった。『レッド』の少女もそれに気付いたようで、「急ぎましょう」と険しい顔でたまかへ声を掛けた。静かな一角を、二人はこそこそとしながら足早に去っていった。そうしてたまかは、『ブルー』の敷地内から外に出ることに成功したのだった。
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