第9話
「ミナミさんは、縹様を大変尊敬していらっしゃるんですね」
「当たり前だろ!? 『ブルー』に所属する奴は皆そうだ。縹様になら、自分の命だって喜んで捧げるさ」
「命だって」
「縹様はそれほどまでのお方なんだ。他の組織みたいに下っ端を見捨てたりなんて、絶対にしない。『ブルー』の一人一人に義理堅くて、誰よりも頼れるお方だ。そして何より、体術がとても強い。『ブルー』の、いや、世界中の人をかき集めたって、縹様に勝てる奴はいない」
興奮したように捲し立てるミナミに、相槌を打つ隙を見つけられず、たまかは静かにコップを傾けた。
(それにしても、命を捧げられる、ときましたか。『ブルー』には生計のために半ば仕方なく入ったような人も当然いるでしょうに……。『ブルー』に入ったら、苦労しそうですね)
一昔前、街にはたくさんの会社が栄えていた。人々は何かしらの会社へと勤めて、働き、給料を稼いで生活していた……、らしい。今は基本的に、会社など存在しない。あってもどこかの組織が機械を使って稼働させているため、人手を必要としていない。そのため今の時代、人々が生活していくには、どこかしらの組織に入らなければならない。そして入るとすれば、三大組織、『ブルー』、『レッド』、『ラビット』の何れかを選択することになることがほとんどだ。弱小組織は数多あれど、どこも稼ぎはあまり良くないらしく、大抵の場合三つの大きな組織以外の選択肢はない。昔あった『会社』という概念を使うならば、三つの組織は『大企業』のようなものだと言っていいだろう。もちろん、仕事内容には雲泥の差があるのだが。
たまかは、周りの人が三大組織の何れかに入っていく中、『不可侵の医師団』を選択した珍しいタイプだ。当然街には『ブルー』『レッド』『ラビット』に反感を抱く人々も一定数いて、どの組織にも属さなかったり、弱小組織に入ってひもじい生活をした挙句三つの組織に壊滅させられたり、特別な役割を持つ小さい組織に入ったり、様々な人生を送っている人がいる。たまかもその中の一人であった。ただたまかの場合、三大組織に何等かの感情を持っていたというわけではない。『不可侵の医師団』の在り方に感銘を受け、人々を救うことに正義を感じたため、結果的に少数の道を選ぶこととなった。たまかはその選択に満足していたし、この先『ブルー』『レッド』『ラビット』に治療以外で深く関わることなどないと思っていた。それに、それでいいと思っていた。
……それがこの有様です……。
たまかは自嘲を以って思考を切り上げた。思いを馳せている間に、ミナミの縹様のお話も一段落したらしい。ミナミは乾いた喉をお茶で潤していた。
「『ブルー』では……命はお金と同じなのですね」
「うん?」
「簡単に差し出され、簡単に対価として使われる。そんな印象を持ちました」
「まあ、そうかもね。誤解しないで欲しいけど、大事には思ってるよ?」
「それは重畳です」
医療従事者として、やはり身体は大事にして欲しい。たまかはその返答に笑みを零し、コップを傾けた。既に飲み干してしまっていて、最後の一滴がぽとりと口の中へ落ちただけだった。気を取り直して、たまかはコップを中央のミニテーブルへと置いた。
「さて……。大した情報も得られませんでしたし、非常に困りました。このまま『蘇生出来る』というありもしない看板を引っ提げて、どこの誰とも知らない方に引き渡されるのを待つしかないのでしょうか」
「最初からそう言ってるだろ。いい加減観念しなよ」
ミナミはそう言うと、ミニテーブルに置かれた空のコップを掻っ攫い、気だるげに立ち上がった。座るたまかを見下ろし、複雑そうな表情を浮かべる。
「まあ……縹様が認めていたのも、ちょっとわかるな。てめえ、意味わからんくらい肝が据わっているし、その諦めの悪さは『ブルー』でこそ評価されただろうよ」
「『ブルー』では、そういうのが歓迎されるんですか?」
「まあね。うちは何より『気合い』とか『やる気』を重視するからね。あと『強さ』」
「……うーん、じゃあ私には無理ですね」
ミナミはたまかの言葉に軽快に笑った。八重歯のせいか、少しあどけなさを感じる笑みだった。怖いと思っていた相手が初めて笑顔になって、なんだかたまかもつられて笑みを浮かべてしまった。
ミナミは二つのコップをキッチンへと持っていくと、それを洗った。水切り籠へと乗せてタオルで手を拭きながら、たまかへと口を開く。
「……てめえの『蘇生出来ない』っていうやつ。恐らく、本当なんだろうなとは思ってる」
「え?」
手持無沙汰に部屋を見渡していたたまかは、突然の言葉に目を瞬かせた。ミナミはショートカットを揺らしてたまかのもとへと戻ると、どかりと座った。ミニスカートから肉付きのいい太ももが覗いているが、本人は全く気にしていないようだった。
「恐らく、縹様も既に感づいてる。……だからこそ、『引き渡す』って即決したんだ。もともと、うちで囲った方がいいんじゃないかって話だったんだけどな」
「……な、なんだ。わかってくれていたんですか? あそこで嘘をつくメリットなんて、私にはありません」
「メリットとか細かいことはよくわからん。考えたくもない。そうじゃなくて、てめえの行動を見ていればわかる」
ミナミはたまかを人差し指で指した。よく見ればその手には傷跡が沢山ついていて、いつも戦いをしている者の手をしていた。
「まず、てめえが死亡確認したあの黒づくめ。てめえは蘇生させる素振りを見せなかった。最初は、蘇生出来ることを隠したいだけかと思っていた。だが、話してる内にわかった。たぶんてめえは自分の不利益を隠すためだからって、人が死ぬところを黙って見過ごせるタイプじゃないだろ」
「……」
「『ブルー』向きの性格だからな」
そう言うミナミの口元には、薄っすらと笑みが浮かんでいた。
「あとは、てめえの『命』に対しての感覚が、あまりにも一般的すぎることだな。普通、『蘇生』出来るような力や技術を持っていたら、命にそこまで拘らない気がするんだよな」
……ミナミの説は、根拠に乏しい、ほぼ勘と言っていいものだ。それでも、彼女はたまかと接するうちに、何かを嗅ぎ付け、感じ取ったのだろう。そしてそれは恐らく、水面も同様だ。たまかはなんとなく、『ブルー』という組織が生き残ってきた理由の一端を垣間見た気がした。
「……分かって頂けたのなら、解放して貰えないでしょうか? 私は蘇生など出来ません。貴方達が求める人物ではないのです」
「それは……無理だ」
「なぜです?」
「縹様も言っていただろ。あっしらには、てめえが『本当に蘇生出来るか』は重要じゃないんだ」
窓の外で、遠く烏の鳴き声がきこえた。澄み渡るような青が広がっていた空は、奥の方から橙色に侵食され始めていた。
「『蘇生出来る』とされていた九十九たまかの身柄を、我らが『ブルー』が他のどの組織よりも早く確保し、相手へ無事に引き渡す。それが重要だ。てめえの身を差し出すことが重要であって、『蘇生』がどうのっていうお飾り情報の有無はあっしらには関係ない。例えてめえが『蘇生』出来なかろうが、あっしらにとっててめえの価値は変わらない。てめえの身柄を求める奴に引き渡せれば、あっしらとしては任務完了なんだ」
「……うう、それは引き渡し相手を騙すことになるのでは? 非人道的です」
「この世界、こういうもんだろ。どこの組織も」
たまかは露骨に肩を落とした。ミナミの言っていることは、理解出来た。理解出来ただけに、解放してくれる可能性がほぼゼロであることもわかってしまい、絶望感に打ちひしがれた。
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