第10話

「……まあ、てめえも運が悪かったな」

 俯いてしまったたまかの薄桃色の頭を、ミナミは少し決まり悪そうに見つめた。ミナミはなんと声を掛けていいのかわからなかったらしく、それ以降二人とも口を開かなかった。やがてミナミの視線は、たまかの頭から汚れた制服へと下がっていった。

「……風呂入ったら? 制服、洗っておいてやるから」

「……はい」

 たまかは汚れた制服を着替えようと思っていたことを、漸く思い出した。ゆっくりとした動作で立ち上がる。ミナミは先に風呂場へ行って準備をすると、数分で戻ってたまかへと譲った。たまかは風呂場へ入り、その扉を閉じた。辛うじて一人入れるくらいのスペースが確保された、ビジネスホテルに備え付けてあるようなシャワールームだった。ふわふわのバスタオルが二枚、丁寧に畳まれて置かれている。

「はああ……」

 一人になった途端、たまかは深いため息をついた。

「猫さん……ごめんなさい。貴方のもとへはもう帰れそうにありません。治療は済んでいたので、どこか安息出来る場所を見つけたことを祈ります」

 独り言は、風呂場に反響して消えた。たまかはぼうっと天井を見上げたあと、自身の頬を、パンッと叩いた。気合注入だ。高い音が、風呂場に大きく響いた。

(……さて。いい加減、自分のことを考えましょう。このままでは野蛮で乱暴な『ブルー』に『蘇生が出来る』という眉唾な嘘をつかれて、身柄を引き渡されてしまいます。その先が何処かはわかりませんが、恐らくろくでもない結果になるのは間違いなしです)

 たまかは自身の制服のファスナーに手をかけ、ゆっくりと下ろしていった。

(……まずすべきことは、やはり情報収集。一に情報、二に情報です。中でも、『蘇生』という話が一体どこから来たのか、そして引き渡す相手が誰なのかは最重要事項でしょう)

 脱いだ制服を畳み、ドアの外へと置いた。汚れた服を綺麗な廊下に置くことは憚られたが、心の中で詫びて置かせてもらった。医療器具の入ったサイドポーチや空の容器は、衣服の横に距離をとって分けて置いておいた。髪飾り、ニーハイソックス、下着、装飾類を全て置き終わると、扉をそっと閉める。

(そしてそれらの情報は、ミナミさんからは得られない。恐らくソラさんからも)

 備え付けの鏡を見ると、腕に出来た痛々しい大きな青痣を映していた。ミナミに殴られたところだ。鏡の下にある蛇口を捻ると、シャワーから水が吹き出した。心地よい温度に、心が安らいでいく気がした。

(つまり、情報を得るには、水面さんから訊き出すより他ありません)

 薄桃色の髪が、水に濡れて頬に張り付いた。たまかは両手でシャワーの水を掬った。不安気に瞳を揺らす顔が映っていた。

(出来るでしょうか。『ブルー』を率いる長に接触して、上手い具合に情報を引き出すなんて)

 不安を蹴散らすように、両の掌を、きゅっと握った。たまかは、口を真一文字に結んだ。

(……いえ、やってみせます! でないと、待つのは死ですもんね)

 気合を入れ、ふんすと鼻を鳴らす。その時、扉越しに人影が映った。そちらを注視すると、どうやらミナミが制服を回収してくれているようだった。両手を握ったポーズのまま、たまかはその一部始終をぼんやりと観察していた。

(……ミナミさん、悪い人ではないんですよね。いろいろと世話を焼いて下さっていますし)

 それはきっと、水面やソラにも言えるのだろう。『ブルー』は『ブルー』の信念を持って、自分達なりの正義を貫いているだけなのだ。……それが多少、暴力的なだけで。




***




「お風呂頂いちゃってすみません。ありがとうございます」

「お、出たか」

 たまかは、ミナミへと声をかけながら部屋へと戻った。その身は、お風呂場の外に置かれていた洗い立ての制服に包まれている。『不可侵の医師団』の制服の象徴でもある真っ白さを取り戻し、肌触りも心なしか心地よく感じた。石鹸、そしてミナミとお揃いの香りを漂わせながら、ミナミの横へと座った。同時に、ミニテーブルの上にあるコンビニの袋へと視線が奪われる。先程まではなかったものだ。

 たまかが興味深げに眺めていると、ミナミがビニール袋へと手を突っ込み、中身を取り出した。そこには、三つ入りのプリンが入っていた。包装を乱雑に破くと、ミナミは近くの棚の上から黒いペンを取り出した。小気味いい音をポンと鳴らしてキャップを取ると、なにやらプリンのプラスチック容器へと書き殴り始める。たまかはほかほかの湯気を纏いながら、その様子を見守った。

 黒いペンにキャップが戻された時、テーブルの上のプリンには、それぞれ黒いインクで文字が書かれていた。『水波』、『青空』、そして『たまか』。

(ああ……、ミナミさんとソラさんの名前ですかね。こういう字を書くのですね)

 二人の名前の横に自分の名前があるのが、なんだかこそばゆかった。たまかは努めて冷静さを装った。プリンを指差し、「これは?」とミナミへ尋ねた。

「落ち込んでたから。ま、プリンでも食べて元気だせ」

 先程、制服を洗うついでに買ってきてくれたのかもしれない。

「プリンと命は釣り合わないと思うのですが」

「いらないならイロハに譲るけど」

「た、食べないとは言っていません。名前も書いて頂きましたし……」

 たまかはもごもごと口をまごつかせた。

「そ、その、元気。……出ました。ありがとうございます」

「なら良かった」

 ミナミはプリンを全て腕の中に抱くと、キッチンへと入っていった。冷蔵庫を開け、三つとも中へと押し込む。たまかがその様子を遠目で見ると、冷蔵庫の中はほとんど空っぽだった。

「冷やして後で食べるぞ。あっしは冷えたのが好きだから」

「そこは私の好みに合わせてはくれないんですね」

「買ったのはあっし」

 ミナミはにやりと意地悪に笑った。冷蔵庫を閉じると、今度は奥からカップラーメンを二つ取り出してきた。やかんに水を入れ、クッキングヒーターの上へと置いて操作をする。

(もしかして、いつもカップ麺を食べている感じなのでしょうか? 身体に悪い生活ですねぇ……)

 たまかは密かに顔を顰めた。そんなことは知らず、ミナミはたまかの横へと戻り、腰を下ろした。たまかがふと窓に目をやると、縛られていたカーテンが引かれ、窓の外は見えなくなっていた。代わりに時計へと視線を動かすと、もうすっかり夜の時間となっていた。

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