第8話

「おい、突っ立ってないでついてこい」

 気付けばミナミは部屋の入口まで移動していた。たまかも慌てて後を追う。部屋を出て廊下を歩いていくと、時折『ブルー』の少女達が歩いているのが目に入った。ミナミとたまかとすれ違う時は、決まって端に寄り、頭を下げられる。どうやらミナミの立場は、結構上の方らしかった。

 たまかは無言でミナミの背についていった。ごく自然に、ミナミはたまかの手首を取り、がっちりと握っていた。路地で対峙した時と同じだ。それに引っ張られるように、すごすごと歩いて行く。

(いろいろと情報を引き出したいところですが……。ああも野蛮じゃ、迂闊に質問するのも躊躇われます……)

 先を歩く群青色の頭は、たまかより低い位置にあった。頭上にぴこんと髪が跳ねているのに気が付き、歩く度に揺れる毛先をぼんやりと眺めた。

(『蘇生』の話、そして引き渡し先……分からないことだらけです)

 廊下を曲がり、階段を降り、建物間を移動し、エレベーターに乗って上がり、扉の並ぶ通路まで来た。今までの場所と違い、とても静かだ。ミナミは歩みを進めていく。たまかもつられるようにして足を動かし続けた。

(まあ、一番分からないのは明日の我が身ですね。水の流れと身の行方とはよく言ったもので……)

 悲嘆からため息が漏れそうになるのを、ぐっと堪えた。

(『不可侵の医師団』で日々頑張る、ただの平凡な一般市民だったのに。なんで『ブルー』に捕まるなんてことになったんでしょうか……。はあ、泣きたくなってきたわ)

 突然、ミナミが足を止めた。危うく背中にぶつかりかけ、たまかも慌てて足を止めた。顔をあげると、目の前に扉があった。ミナミはポケットから鍵を取り出し、鍵穴へと挿して回した。勝手知ったる振舞いに、たまかは改めて目の前の扉を見上げた。

「もしかしてここ……、ミナミさんのお部屋ですか?」

「ミナミ様、な」

 ミナミは扉を開くと、たまかを引っ張ったまま中へと入った。たまかも入り、泥だらけとなった『不可侵の医師団』の白い靴を脱いだ。脱いだ靴を揃えようとしたが、ミナミはたまかの手を掴んだままずんずんと廊下を進んでいく。靴を揃えるという概念がないらしい。たまかはしゃがむことが出来ず、脱いだ状態の靴を放置したまま、奥へと引っ張られていった。

「ミナミさん、寮生だったのですね」

「まあね。『不可侵の医師団』では珍しいか?」

「いえ、私も寮生です」

 荒れ果てた寮、血に塗れた寮生達が脳を過ぎ、たまかは顔を曇らせた。チリチリと焼きつく様な怒りと悲しみが湧き上がる。

 ……ミナミさんに当たっても、仕方がない。

 たまかは深く息を吸い、吐いた。感情を落ち着かせ、改めて部屋を見渡した。ミナミの部屋は、綺麗に片付いていて、あまり物が置いていなかった。柄物はなく、シンプルな単一色の家具が多い。しかし色に拘りはないらしく、統一性はあまりなかった。

(しかし、まさか寮の自室に泊めるつもりだったとは……。おいそれと外部の人間をあげていい場所じゃないと思うんですがね。私は喧嘩も出来ず影響力もない非力な人間ですから、知られても問題ないという認識なんでしょうか。……実際、その通りなんですが)

「ちなみに」

 ミナミはたまかを掴んでいた手を離した。掴まれていた場所が、手の形に赤く痕になっていた。

「逃げようとしても無駄だ。扉の外で、常に『ブルー』の奴が見張っている」

「逃げようとなんてしません」

(扉の外……、つまり窓からなら脱出出来るでしょうか)

 チラリと窓を盗み見る。黒一色のカーテンが結ばれ、そこから外の景色が広がっていた。思っていたよりも高い。建物や人の小ささからして、ここは十階くらいのようだ。流石に飛び降りるのは無理そうだった。何かに伝っていけば、あるいは……?

「……てめえ、やっぱり強かだね。窓から逃げようと考えてたでしょ」

 たまかは慌ててミナミへと視線を戻した。ミナミは呆れたような表情を浮かべ、その場にしゃがんだ。

「視線の移り変わりでわかるよ。てめえは目が大きいから、視線の移動が分かりやすい。肝が据わってはいるけど、こういうことはやっぱり素人だね」

「あ、当たり前です。ただの一般人なんですから」

 たまかもその場へとしゃがみ込んだ。白色の安っぽいカーペットの毛先が、ふわふわと足にあたった。

「まあ、どうしても脱出したいというのなら止めないさ。すぐに捉えられて、」

 ミナミはたまかの小指の付け根へ、人差し指を、つつ、と這わせた。

「対価を払う羽目になるだけだ」

「……」

 たまかはごくりと唾を呑み込み、自身の小指を見下ろした。思わず、包丁で小指を落とされ、血が吹き出す様を想像してしまった。ミナミは自身の手を引っ込めると、胡坐を組んだ。

「あんまり調子に乗りすぎない方が身の為だ。あっしがこうやって殴って黙らせないでやっているのも、偏に縹様の指示があるからってだけだからな」

 ミナミは八重歯を覗かせた。

「縹様がてめえを認めているうちは、手出しはしないさ。でも縹様の許可さえ下りれば、てめえなんて手首でも切られた痛みでのた打ち回って貰ってた方が好都合なんだぞ?」

「……」

「自分の立場を弁えろ。あっしから出来る忠告はこれくらいだ」

 ミナミはそう言うと胡坐を解き、立ち上がった。キッチンへ行ったかと思うと、冷蔵庫からペットボトルを取り出し、二つのコップへと注いだ。それを持ってきて、一つをたまかへと差し出した。

「ん」

「……ありがとうございます」

 たまかは両手でそれを受け取った。中は麦茶のようで、茶色の水面がたまかの不安気な顔を映し出していた。

「……あの。いくつかきいても大丈夫ですか」

「今日の仕事はてめえの監視と管理だからね。付き合うよ」

「『蘇生』って一体なんのことなんですか? 私が蘇生出来るって、どこからそんなデマが……?」

 麦茶を喉に流し込んでいたミナミは、少し考えるように間を空けてから答えた。

「あっしも詳しいことは知らない。その辺りは全部縹様が知っていればいいからね。あっしら下っ端は、縹様の指示に従うだけさ」

 たまかは受け取ったコップに口をつけた。冷たいお茶が喉を流れていき、気持ちまで落ち着いてくるような気がした。

「……では、引き渡すということについても何もご存じないですか?」

「うーん。正直、知っていても、その辺はどこまで話していいのかわからないからな。縹様の与り知らぬところで、うだうだ喋りたくない」

「なるほど」

(すごい忠誠心ですね……。まあ『ブルー』の内情からして、余計なことを言ったが最後、すぐに首が飛んでいってしまうから慎重にならざるを得ないんでしょう)

「……縹様から直接きくことが出来ればいいんですが」

「てめえ如きが縹様から話がきけるわけないだろうが。てめえは引き渡される身なのを自覚しな」

「むう」

 怒られてしまった。

 たまかは、何の情報も得られず、成果なしに終わってしまったことに落胆した。……それにしても、ミナミは随分と水面を高く買っている様子だ。たまかは半分世間話のつもりで、話題を変えた。

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