第7話

 部屋に残った『ブルー』の二人とたまかは、その背中を黙って見送った。静寂が部屋を支配する。水面のいなくなった部屋は、まるで祭りの終わってしまった後の会場のような、寂寞さを孕んでいた。

 ショートカットの『ブルー』の少女が、その袂を揺らしながらたまかへと手を伸ばした。たまかは反射的にびくっと身体を跳ねさせたが、殴られることはなかった。少女の手は真っ直ぐに縛り付けている紐へと伸びていて、彼女はそれを解いてくれた。

「命拾いして良かったな」

 はん、と鼻を鳴らしながら少女は言った。不満なのを隠そうともしていない様子だった。

「縹様と直々に話して無事でいた捕虜なんて、数える程しかいないのにね。こんな、殴ったらすぐ折れちゃいそうな奴に情けをかけるだなんて……縹様はお優しい」

 毛先をくるくると巻いたサイドテールの少女が、『ブルー』の少女に同調するようにそう言った。それからおもむろに、ミニスカートのポケットから折り畳みナイフを取り出した。

「少しぐらい痛めつけて置かないと、調子乗るんじゃない?」

 流れるように刃の部分を出す。室内灯の光に反射して、鋭い鈍色が光沢を増した。たまかは椅子に座ったまま、当たり前のように出された武器を茫然と見つめた。

「まあ待て。……気持ちはわかるが、縹様の意思には反するだろ」

 群青色のショートカットの少女が、ナイフを持った少女を制した。止められた少女は、不貞腐れたようにした後、渋々と刃を仕舞った。折りたたみナイフがポケットの中に戻っていくのを確認すると、ショートカットの少女はたまかへと顔を近づけた。「いいか」。凄みをきかせる彼女の口の中で、八重歯がちらついた。

「明日まで大人しくしていれば、不要な怪我を負わないで済む。あっしらの言う通りにしな、わかったか?」

「は、はい」

 たまかは恐々と頷いた。それから、おずおずと尋ねる。

「……あの。お名前を伺っても?」

「あ?」

「明日までご一緒するとのことでしたので。お呼びする時に知らないと、不便かなーと……」

 たまかはなんとか笑みを作ってそう言った。『ブルー』の少女達は一瞬固まったあと、お互いに顔を見合わせた。再びたまかへと顔を戻した時には、二人の顔は苦々し気なものへと変わっていた。

「てめえ……縹様の言っていた通りだ。……随分と生意気」

「なんだお前……」

 珍獣を前にした時のような反応をされ、たまかは自由になった両手を振った。

「わ、私、おかしなこと言っていますか? 言っていませんよね? 初対面の方のお名前を把握するのは、大事なことだと思います」

 たまかは必死に弁明をした。しかし、二人の顔は変わらないままだった。

「とっ捕まえた奴に名前をきかれたのなんて、初めてだ」

「……名前をきく余裕があるのなら、命乞いをするか私らをぶっ飛ばすかでもしたらどうなのさ」

「私、腕っぷしはからっきしなものでして……」

 たまかは頬をかいた。というか、そんなもの見れば一目瞭然だろう。だからこそ、逃げようとせずに従順になっているというのに。

「さすが、お尋ね者になってるだけあるな」

 群青色のショートカットの少女が、ため息交じりに言った。

 ……お尋ね者?

 たまかは胸の内で『ブルー』の少女の言葉を繰り返した。それは、先程の『蘇生が出来る』という話が関係しているのだろうか。

「……ミナミ」

「え」

 突然の言葉に、内心で考えていた思考が霧散し、現実に引き戻された。たまかがぽかんとショートカットの子を見上げると、彼女は髪をかき上げた。

「名前。訊いたのはそっちだろ」

「こんな弱っちい奴に名乗るなんて、正気?」

「ちなみにこっちはソラね」

「お、お前!」

 ソラと呼ばれた少女が、ミナミと名乗った少女へと突っかかる。たまかはそれを宥めながら、こくこくと頷いた。

「覚えました。ミナミさんと、ソラさんですね。短い間ですが、よろしくお願いします」

「様」

「……ミナミ様と、ソラ様ですね」

 前途多難そうだ、とたまかは未来に思いを馳せた。何処かへ引き渡されるのも大変まずいが、それまでの生活も苦労をしそうである。

 ソラはくるくるのサイドテールを大きく揺らし、キッとたまかを睨んだ。袂を舞わせ、たまかに人差し指を突き付ける。

「言っておくが、私はお前のことなんか認めない。気安く名前を呼んだ時にゃ、お前の首が飛ぶからな!」

「わ、わかりました」

 たまかは勢いに負け、頷いた。それを見ていたミナミが、部屋の時計に目をやった。

「さて、移動するぞ。……てめえの扱いは、実はうちでも結構困ってるんだ」

「……と、言うと?」

 たまかは椅子から立ち上がりながら問うた。ミナミは面倒臭いという顔をしながら口を開く。

「実質捕虜みたいなもんだから、牢屋とかに転がしておきたいんだが……引き渡す都合上、『見栄え』はある程度良くないとだろ? てめえに乱暴しなかったのも、そういうことだ」

 ……牢屋は免れられるらしい。たまかは密かに胸を撫で下ろした。

「では、私はこれからどういう形で囚われるのでしょうか」

「空き部屋に入れて、脱走されても困るんだよな。……仕方ない、あっしのところに来るか?」

「えっ……。いいんですか?」

 組員のもとにいられるとなれば、かなりの好待遇だろう。群青色のショートカットを揺らして背を向けるミナミへと問いかけた。

「別にいいよ。ただし、大人しくしておけ。脱走なんて考えるなよ、手間が増えるだけだ」

「この期に及んでそんな考えしませんよ」

「……ムカつく」

 横からボソリと呟かれた言葉に、ソラへと振り向く。彼女は親指の爪を噛んでいた。

「すぐにでも殴り殺せる奴に、そこまでするような義理あるの?」

「気持ちはわかるがな。引き渡す都合上、そうも言ってられないだろ」

 ソラはむしゃくしゃとして、声にならない声をあげた。そして、長く細い足を動かしてつかつかと部屋を出て行った。たまかはそれを目で追うしかなかった。彼女が廊下に出ると、丁度他の『ブルー』の少女が歩いていて、ソラと鉢合わせた。少女は深く頭を下げて端に寄り、道を譲った。かと思えば、ソラが急に拳を握りしめ、少女に向けて力強く振り放ち、殴り倒した。

「へっ!?」

 殴られた本人でもないのに、たまかの口から変な声が漏れた。それぐらい、一瞬で、かつ流れるような動作だった。

 廊下に倒れた『ブルー』の少女は、殴られた箇所を手で覆いながら、ソラを見上げた。痛そうに顔を歪めている。

「ソ、ソラ様……私、何かしてしまいましたか」

「この廊下を通っていたでしょうが。虫の居所が悪いんだよ、今」

(め、滅茶苦茶じゃないですか……)

 たまかは目の前の光景に頭を抱えた。横のミナミは平然としている辺り、『ブルー』では日常茶飯事の光景のようだ。

「というか、殴られただけで倒れるとかヤワすぎでしょ。鍛えてやる、来い。さっさと立て」

 倒れた『ブルー』の少女のミニスカートから伸びる素足を、ソラは容赦なく蹴り飛ばした。『ブルー』の少女は返事をしながら、蹴られた足を引きずるように立ち上がった。そのままソラに連行され、二人の姿は廊下の奥へと消えていった。

(『ブルー』が野蛮だっていう話は耳にしていましたが、間近で見るとなんとも言えない気持ちになりますね……)

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