第5話

「……出たら殺すでしょうに」

 後ろから、ぼそりと『レッド』の少女が返事をした。言葉通り、たまかの後ろから出て行く様子はなかった。声量を落として、焦りの滲む声が続く。その声を、たまかの耳だけが拾った。

「……なんで『ブルー』の総大将、縹水面(ハナダミナモ)がここに?」

 たまかは思わず声をあげそうになった。

 『ブルー』の総大将!?

 改めて、目の前の『ブルー』の少女へと視線を動かす。彼女の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。何者たりとも彼女には逆らえない、彼女の前では全員ひれ伏す。そんな傲慢な自信が溢れているのを感じた。確かに、彼女には人を引き付けるだけのオーラがあった。『ブルー』のトップに立つ人物だと言われたら、納得できる気がした。

 しかし、わからない。そんな人物が、なぜここに?

 水面は『レッド』の少女から興味を失くすと、表立つたまかを不躾にじろじろと眺めた。ボロボロの『不可侵の医師団』の制服、そして内巻きのショートカットの中の小顔。念入りに観察すると、水面は唇を嘗めた。後ろに控える三人へと、声を張り上げる。

「お前ら! いい? こいつは生け捕りだ。……後ろの奴は殺せ」

 たまかは顔を強張らせた。

(つまり、『不可侵の医師団』を襲撃して私を狙っていたのは、やっぱり『ブルー』!)

「『レッド』に先を越されるな!」

 水面の叫びを合図に、三人の『ブルー』の少女が一気にたまかへと距離を詰めた。三人の制服の長い袂と、ミニスカートがふわりと舞いあがる。素早い。その間も、三つの銃口はたまかの胸を捉えたままだ。

(どうしよう、に、逃げる……!? 逃げきれますかね……っ?)

 銃口に視線が吸い寄せられる。足が竦んで、動けない。『ブルー』の少女がショートカットを揺らして、その手を伸ばした。その口元には笑みが浮かんでいて、八重歯が覗いていた。たまかのボロボロの制服から伸びた腕が、大きな袖を揺らした手に捉まれる——。

 その時、それを掻き消すように、突然煙が辺りを支配した。あと僅かの距離にまで伸ばされていた手が遠のき、咳き込む声がきこえてくる。もくもくと広がる濃い煙は、たちまちに視界を奪った。同時に、目元や鼻先に刺激を感じる。たまかははっとして、自身の腕で口元を覆い、叫んだ。

「催涙弾です! 皆さん、目を瞑って口元を塞いでください! 無暗に動かないで! ケホッ、ゴホッ」

 煙を吸い込み、思わず咳き込む。煙だらけで、目の前にいるであろう人の姿すらもう見えなくなっていた。目をきゅっと瞑る。極至近距離——おそらく、たまかの真下からこの煙は発生しているのだろう。暗闇の裏で、たまかの目元に涙が滲んだ。

(ま……待ってください。これはチャンス、なのではないですか?)

 この状況なら、敵に気付かれずにここを去れる。目を瞑り、腕で口元を覆ったまま、静かに一歩、足を後退させた。しかしその直後、腕を痛いくらいの力で掴まれた。この強さでがっちり掴まれたら、振りほどくのは難しそうだ。目を瞑ったままだが、腕に上質な袖の生地がさらりと当たった。どうやら『ブルー』の子の手のようだった。たまかは人並みの体力しかない。力自慢が集う『ブルー』の者に掴まれてしまえば、この状況から逃げられる術はなさそうだった。たまかは逃げることを諦め、煙をやり過ごすためにじっと鳴りを潜めた。

 しばらく動かないでいると、鼻に感じる刺激が段々と減っていった。頃合いかと、そろりと片目を開ける。もう煙はほとんど晴れていた。瞬きをして涙を散らすと、目の前に『ブルー』の子の頭があった。群青色のショートカットを乱暴に揺らし、彼女は辺りを見渡していた。その子から伸びた手が、がっちりとたまかの腕を掴んでいた。少し、赤くなっている。

 たまかは後ろの気配が消えていることに気付き、振り返った。『レッド』の少女の姿は忽然と消えていて、薄暗い細い道が続くばかりだった。

「逃げられたな。……まあいい」

 水面は二枚歯を鳴らして、たまかの目の前へと近づいた。掴んでいる少女が、譲るように恭しく位置を変えた。端整な顔が視界いっぱいに広がり、たまかは思わず息を凝らした。

「お前が例の……」

「あ、……あの」

 内心恐々としながらも、しかし毅然とした声をあげた。長い睫毛を揺らし、水面はぱちぱちと目を瞬かせた。それから思い当たったというように、白けた顔を浮かべた。

「命乞いなら、きかないよ」

「い、いえ。そうではなくて」

 心臓が五月蠅い。しかし、たまかは空いている方の手で力強く遠方を指差した。人差し指の先には、黒い服の人物が血だまりの中倒れていた。たまかは水面をじっと見上げたまま、力強く言った。

「診させてください」

「……は?」

 水面、そして取り囲む三人の『ブルー』の少女は、たまかの言葉にぽかんと口を開けた。

「で、ですから……診させてください。あの方、銃で撃たれています」

 水面は目を白黒とさせた。三人の『ブルー』の少女の視線が、黒い服に注がれ、再度たまかへと戻された。……静寂。静けさを破ったのは、水面の豪快な笑い声だった。

「あっはっは! 何を言うかと思えば……何よ突然。見てわかるでしょ? とっくに死んでるよ、ソイツ」

「だ……だから、それを診させてください、って言っているんです」

 たまかも負けじと口を開いた。微動だにしないし、血の量も尋常じゃない。撃たれた箇所から見ても、生きている可能性は低い。それでも、僅かでも生きている可能性があるのならば、それに賭けたい。医療従事者として、それを諦めたらいけないのだ。

 腕を掴む手に、力が込められた。痛みが走り、たまかは僅かに顔を歪めた。

「おいてめえ、縹様になんて口を」

 たまかを捕まえたまま横に佇んでいた『ブルー』の少女が、ギラギラとした目つきでたまかを睨み付けていた。今にも襲い掛かってきそうな眼光だった。

「いい、いい。好きにさせてやりな」

 水面は部下を宥めると、片手をひらりと振った。遅れて袂がふわりとはためく。

「……いいんですか」

「逃げられないようにね」

 たまかの腕を持つ手が、僅かに緩められた。ショートカットで隠れた顔は、大層不満気だった。たまかは倒れ込んだ黒い服へと、ゆっくりと近づいた。腕を繋がれたまま、ぴったりと『ブルー』の少女が付いてくる。移動するたまかに合わせて、他の『ブルー』の子達の銃口が向きを変えた。

 たまかはしゃがみ込み、倒れている人物を診た。銃創、そして胸の動きを目視で確認し、もうすでに青白くなっている手を取った。脈拍を確認する。完了すると、たまかは無言で重い手をそっと置いた。制服のサイドポーチからペンライトを取り出し、腕を掴んでいる中腰姿勢の少女を振り向いた。

「患者の目を開かせてくれませんか」

「……あ?」

「瞳孔を確認したいのです」

 空いた手にはペンライトを持っている、もう一つの腕は掴まれてしまっている。たまかは患者の目に触れることが出来ない状態だ。『ブルー』の少女は憎々し気に、大きく舌打ちを零した。腕を掴んだまま、もう片方の手で倒れた人の瞼を乱暴に引っ張った。

「ありがとうございます」

 機械的に礼を述べ、たまかはペンライトのスイッチを入れた。瞳孔を確認する。

「……」

 ペンライトのスイッチを切った。合わせて、『ブルー』の少女の手が黒服の瞳から離れた。

 たまかは立ち上がった。腕を掴んでいる『ブルー』の少女も、中腰を解く。

「どうだった?」

 水面は腕を組み、振り向いたたまかを見下ろした。その顔には、意地の悪い笑みが張り付いている。たまかは悲しげな顔で、力無く首を振った。

「亡くなっています」

「だろうな。じゃあ、行こうか」

 紺色の髪を振り、颯爽と背を向ける『ブルー』の長に、たまかは戸惑いを浮かべた。

「い、行くってどこへ……?」

 先を歩く水面からは、返事はなかった。

「黙ってついてきな」

 腕を引っ張りながら、『ブルー』の部下が吐き捨てるように言った。たまかは力強く掴まれた腕に合わせて、仕方なく足を動かした。他の『ブルー』の子達の持つ銃は、依然としてたまかに向けられている。どうあがいても逃げることは出来なそうだ。たまかは俯き、これから自身がどうなってしまうのかと想像し、恐怖に打ち震えた。大通りに出来た人だかりは、向かってくる水面と『ブルー』の部下たちへ行く手を譲り、ぱっきりと二つに分かれた。出来た道を、当たり前だというように『ブルー』の面々は正面を切って歩いて行く。連れて行かれていきながら、たまかは思わず泣きそうな顔をした。




***




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