第3話

 あがった息を整えるため、店先で立ち止まった。はあはあと肩で息をしながら、口元を手で拭う。

 あれから全力で走り、寮からなるべく距離を稼いだ。人目のつかない道を選び、なるべく建物の陰になるところを通ってきた。そして辿り着いたのがここ、街の中でもひときわ賑わう繁華街だ。大きな建物がぐるりと視界を埋め尽くし、店の看板が眩しく光っている。行き交う人々も多く、至る所から話し声がきこえてくる。今度は今までの道のりとは逆に、人の多いところに紛れる作戦だ。

 呼吸も落ち着いてきた。ただの買い物客を装って、堂々と人混みに乗り込む。

(……制服をどうにかしないといけませんね。汚れているし、何より『不可侵の医師団』の者だとすぐにわかってしまいます)

 自身のスカートを摘まみ上げた指を離す。服屋を求めて、周りを見渡した。飲食店や家電量販店、ドラッグストアなどが並んでいるが、お目当ての店はないようだった。もう少し歩いて探す必要がある。ドクドクとうるさい心臓を隠すように冷静を装うと、たまかは人の流れに沿って歩き出した。カフェの新作の飲み物が美味しいだとか、友達とこれから待ち合わせだとか、ブランドの新作スカートの色が可愛いだとか、そんな日常会話が方々からきこえてきた。なんだか日常から切り離されたような、変な感覚を覚える。たまかは思わず、歩みを速めた。

 家電量販店の前を通っていると、店先に並んだ売り物のテレビから、AIの読み上げる声がきこえてきた。ニュースを放送しているらしい。いくつものテレビから同じ声が重なって、たまかの耳へと入ってくる。

『続きまして、……の影響で……の株が暴落した件で、……財団は…………』

 ……おかしい。

 たまかは光り続ける画面へと顔を向けた。沢山の箱が、同じ白い建物を映していた。その建物はたまかの知るものではなかった。少なくとも、『不可侵の医師団』の建物では絶対にない。

(『不可侵の医師団』が襲撃されただなんて、空前絶後の非常事態のはずです。それなのに、ニュースになっていないなんて……)

 情報が規制されている?

 たまかは少し眉を寄せてから、顔を前へと戻した。内巻きの薄桃色のショートカットヘアーが、遅れて舞った。

 『不可侵の医師団』とは、どの組織にも肩入れをせず、完全な中立の立場を保っている医療集団である。どの組織にも属さない代わりに、どの組織の者であれ、分け隔てなく治療をする。怪我をしている人がいれば、その者が誰であるかは問わない。全員を平等に、患者として対等に扱う。だからこそ、どの勢力だって『不可侵の医師団』を攻撃することは出来ない。どの勢力も、『不可侵の医師団』に助けられているからである。文字通り、たまかの所属する組織は『不可侵』な組織なのだ。

(それが、まさか襲撃されるだなんて……)

 寮には、『不可侵の医師団』に所属する者の半数近くが住んでいる。『不可侵の医師団』自体の規模がそれ程大きくないとはいえ、休日ということを加味しても二十人程の少女があの場にいたはずなのだ。たまかは二階までしか見る事が出来なかったが、上の階も被害にあっていたとみていいだろう。『不可侵の医師団』の怪我人は、それなりの数に上っていたはずなのに。

 さらに、『不可侵の医師団』はその特異性故に、どの組織にも引けを取らない程認知されている。小規模ながら、『攻撃してはいけない組織』として名が通っているのだ。どの組織だって、その名前を知らないはずがない。何があっても攻撃してはいけないということも、十分浸透している。つまりその禁忌を破った組織がいたとしたら、他の組織も黙ってはいないはずなのである。

(ニュースになっていないということは、一般人どころか、どの組織にも情報があがっていない可能性も……)

 たまかは遠くなっていくAIの声に耳を傍立てるのをやめた。最後まで『不可侵の医師団』の名前が読み上げられることはなかった。

(確からんは、襲ってきた組織が『ブルー』かもしれない、と言っていましたね。なぜ『ブルー』は、他の組織から批判されかねないようなことをしたのでしょう……それ程までに殺したい相手がいたのでしょうか?)

 そこまで考えて、たまかは思わず歩みを止めた。

(……そのターゲットは、私、の可能性があるんですよね。でも、心当たりが全くありません。う~ん、ここ最近は『ブルー』に関わるようなこともなかったと思いますが……)

 後ろの人達の迷惑になることに気付き、慌てて歩みを再開させる。幸い、後ろを歩く人々は特に気にしていないようだった。

 たまかは『不可侵の医師団』に所属している身だ、当然『ブルー』の者を治療したことは幾度とある。逆に言えば、治療したくらいしか繋がりはない。『ブルー』の者を死の淵から救った時は沢山感謝され、力及ばず患者が亡くなった時は一緒に悲しんだ。

 そしてそれは『ブルー』の勢力だけではない。『レッド』でも『ラビット』でも同様の経験をしてきた。特別『ブルー』で何かがあった、というわけではないし、恨みを買ったというような自覚もなかった。

 たまかはごく普通の一般人なのだ。この荒廃した世界の中慎ましく生活している、何の取柄もない平凡なただの少女。本来、抗争に巻き込まれるような人物ではない。

(リスクを冒してまで始末したい相手が私とは、とても思えません。正直、人違いの方が可能性は高そうですが……)

 たまかはまるで夢のような、しかし実際に起こっている理解不能な現実を分析していく。しかしその間も、頭の中の意識は別のところにあった。——そう、自分が助けてやらねばならない、患者のことである。

(ああ……早く猫さんのところに戻りたいのに。『ブルー』の人にさえ注意していれば、もう戻っても大丈夫でしょうか……)

 襲撃された『不可侵の医師団』の人達のことも心配であるが、あそこには治療のエキスパート達が揃っている。それに、友達の腕前も充分知っている。心配ではないと言ったら嘘になるが、『不可侵の医師団』のことは彼女達に任せれば大丈夫だろう。しかし、治療済みとはいえ、あの猫にはたまかしかいないのだ。なるべく早く、医師を待つ患者の元へ向かいたかった。

 困ったように辺りを窺う。『ブルー』の特徴的な制服は、視界に映らなかった。周りには『ブルー』の者はいないようだ。

「あ」

 その代わりに、遠方に服屋の看板を見つけた。リーズナブルな代わりに過度な装飾のない、大衆向けのチェーン洋服店だ。

(猫さんを抱くためのタオルが必要ですし、制服も着替えられますし。あそこに寄ってから戻りましょう)

 たまかは方針を決め、服屋の方へと歩みを進めた。服屋をしっかりと見据えながらも、周りをこそこそと盗み見る。大丈夫、『ブルー』の制服の姿はない。休日の昼下がりを謳歌し、楽しそうに歩く雑踏ばかりだ。警戒したまま、服屋へと向かった。人の流れに沿えば、その入り口はすぐに見えてきたのだった。

(……ん?)

 洋服店の自動ドアもすぐそこというところで、路地裏の奥にいる二人の人影を捉えた。服屋の大きな建物の隣にある細い道は、薄暗く人目につきにくい。辺りを盗み見ていたからこそ、偶然気が付いた。

 こちらに背を向けて立つ少女は、赤い服を身に纏っていた。全体的にふんわりとした生地、足首まである長いスカート。縁取られ丸みを帯びた半袖、スタンドカラーの襟元、小さい花々の中から細長い装飾が垂れる髪飾り。紅と白、桃色から構成される特徴的なあの制服は、間違いない。『レッド』の制服だ。

 その少女の奥にいる人物は、目立たない黒い服を身に纏っていた。『レッド』の者ではないらしい。二人は人目を憚るように何やらひそひそと会話をしていた。

(取引現場……でしょうか)

 ヤクか、チャカか、はたまたヒトか。何を取引しているかはわからない。たまかは洋服店に入ろうとしていた足を止めた。頭の中に、とある閃きが浮かんだからだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る