2025/04/07 つやごはん・ゆかり
今日の夢は中学時代の同級生が、中学生の姿のまま、「実は離婚したんだ」と話しかけてくる夢だった。お前、中学生じゃん。いや、順当に行けば私と同じ年齢か。でもその夢の中での私の名前は「つやごはん・ゆかり」というらしかった。一体だれだ。教科書の裏を見たらローマ字で書いてあった。誰だつやごはん。
というまあ変な夢のあとに会社から電話がかかってきて、早急に昨日の私の尻拭いをしなければならなくなった。直行する途中に自動車学校(地域によって呼び名が違うと噂の)のひよっこの後ろについてしまってめちゃくちゃ焦った。酷くゆっくりなんだもんな。
会社でやるべきこと全てを終えて、コンビニでヨーグルトを買って食べた後この日記を書いている。さて。
・・・
本は読まないけど漫画は読みます、みたいな、そういうひとが増えている。実のところカクヨム作家の中にもちらほら見受けられる。私はその手の人に出会うたびちょっとびっくりする。
どうやって文章上達したんですかとか、どうやったら小説が上手くなりますかとか、そう聞かれるたびにシヨリンが必ず一回は言っている言葉がある。
「本を読んでください」
これは「おおきくなったら作家になりたいんです!」と抜かした中学生時代のシヨリンが、恩師に言われた言葉でもある。「沢山たくさん本を読んでください。出来れば昔の本が良いですね」
おそらくそうして「どうやったら上手くなるか」みたいなことにアンテナを立てて常に周囲を窺っている人からしたら耳にタコレベルの初歩だと思うのだが、馬鹿にしてはいけない。本当だ。小説本を読め。
どこかの指南本で読んだのだが、とある人は、スランプに陥ったときに古本屋に行って、興味のない小説の棚から適当にごっそりと十冊ほど本を抜き出し、それを買って頭から読むのだという。「興味のない」が個人的にはミソだと思う。
昨日(2025/04/06)の日記で、物語を書く、読むということは作者と読者の「物語にあらわされたなんらか」の共有だ、という話をしたところだが、この「興味のない本をたくさん読む」という行動はまさにそれで、徹底的に読者側に回ることによって、本の作者と「なんらか」を共有するのだ。そしてただしくそれらを「インプット」していく。インプットこそが本を読むべき大きな理由の一つだ。
映画や漫画、他の媒体ではダメなのか?という話もでてくるだろうけれど、それを言われると私は「それでもいいけどぉ……」と言葉を濁してしまう。だってあなたがた(あなたとは言っていない)の表現媒体は「小説」なんだから、小説でインプットした方がいいんじゃないかなぁ……。
絵画だって書道だって生け花だって、いや芸術全般は何にしたって、見る目を養わなくっちゃダメだ。どんな分野でも良いとされる作品が大々的にお披露目されるのにはそういう役割というか、「つとめ」があるんじゃないかなと思う。だから商業作家をめざすあなたがた(そして私)は見る目を養うために沢山の作品に触れた方がいいし、出来れば本を読んだ方がいいとシヨリンは思う。
特にカクヨムは自主企画が盛んなので「○万字以内の短編限定」にして作品を募るのもありかもしれない。ただそれは編集や校正やいろんな人の目をくぐり抜けていないあらのある作品(かもしれない)ので、どっちかといえば「完成品」である本を読んでほしい。
うんざりするほど(ほめてる)作品がある環境にいるので、それを片端から読んでみるのもありかもしれないが……、私は上記の理由から商業ラインに乗っている作品を読むことをおすすめしたい。
今日のシヨリン式
本を読もう。本を読んで物語の町に出よう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます