2025/04/09 やるきげんきたいやき

 昨日の日記が更新されなかった理由は、スマホで作業していたら日記部分がシュッと左側に消えて復元できず、やる気が消滅してしまったからです。決して忙しくって体調が悪かったからではありません。

 さて。




 自主企画にもお邪魔していたことですし、そろそろ「物語をどうして語る(書く)のか」という話をしようと思います。率直にお答えすると、「どうしようもなくそれが日常に染み付いているから」です。

 私は口が回る方ではありません。普通に文字を書いてる(打ってる)ほうがスラスラ出てくるし雄弁です。自信があります。

 だからぶっちゃけ話すより文字書いてる方が楽です。出力方法として文字が最適なのです。だから書いています。

 狂人(くるんちゅ)です。


 ……という答えが欲しかったわけではないでしょうが、事実なのでどうしようもありません。私は文字上で物語上の人物の辿る道をいじくりまわしたり破滅させたり成功させたりするのが大好きです。これがうまくいけば芸術品にも見えることがあります。自分の作品ながらあっぱれである!と感じることもあります。

 何人もの想像上の人間の人生を狂わせてきました。なので狂人です。


 ものを書くときに「人をネタにしている」という感覚が付きまとうようになったのはひとえに私の好きな作品群を輩出している「seec」のおかげなのですが、それはさておいて。

 結構「人のことをネタにする」ことに無自覚な書き手さんが多いですよね。そのことを責めたりするつもりは毛頭ありませんが、くるんちゅから言わせてもらうと「甘い」です。

 あなたがたの書いた作品の中に、偶然にも読者が「これは私のことだ」とハッとさせられるようなものがあった場合。そしてそのことで深く傷ついてしまった場合。どうしますか?


 最初から「ものかき」というのは、自分を含めた「誰か」を槍玉にあげてそれを「見せ物」にする商売です。「ふざけんな俺らは見せ物じゃない!」と横から殴りかかられるのを覚悟の上でやらなきゃならないと私は思っています。

 「知らねえよ!」 じゃないんですよね。だってやってることは見せ物小屋と同じじゃないですか。


 『ささご覧あれ。これなるは南蛮より来たりし珍しき象!』


 優しい象にしましたけど、これ特定の人間だったら石とかひどければナイフ飛んできますよね。普通に。ここにあなたがたの姿を代入してください。どう思います?


 なので私は「ネタにしてる」自覚は常に持っているし、「ネタにする」意味も考えながら書いています。いつか殴られると思いながら。


 これを読んであなたがたが「じゃあ書けないじゃないか!」となるのか、「おうそれでも書く」と思うのかは、シヨリンにはわからないことですが。「そんなとこまで考えてなかったよ」という方は今一度自分に問い直してください。



今日のシヨリン式

 ネタにするなら自覚を持ってください。

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