【track.08】③
突如グラウンドに現れたのはミチルだった。ショートボブの艶やかな髪を揺らし、こちらへと歩み寄る。
「なに、盗み聞き? だとしたらあんた、相当性格悪いわよ」
「お前がなにやらワーワー泣いてたから、いたのに気づいて、そろそろ終わったと思って顔を出しただけだ。安心しろ、話とやらは聞いちゃいない。元より興味もないしな」
蓮っ葉な物言いはチハツの癪に障ったようだったが、ユウとしてはひと安心だ。チハツも、自身の過去の記憶や死因など、偶然とはいえ聞かれたくはないだろう。
「用があるのはお前じゃない――そっちだよ」
「そっち」と顎でしゃくって示したのは、ユウだった。思いがけない指名に、ユウは確認しつつも目を白黒させる。
ミチルは一歩踏み出した。凄味のある美貌が月明かりの下に晒されて、少しゾッとする。
「――私と戦え」
『え……?』
「ちょ、ちょっとあんた! 突然なに言い始めんのよ!」
「部外者は口を挟むなよ。今私は君本と話しているんだ」
「いや、そうかもしれないけど……!」
どういうつもりか分からない。あまりのことに口をポカンと開けていると、「伊東とも戦っていただろう? だからだ」とミチルはもっともらしい理由を口にする。どうやら校舎からダイキとの戦いを目撃していたらしい。だからといって、どうしてミチルと戦うことになるのか、ユウにははなはだ理解できなかったが。
「気乗りしないか? だったら交換条件でも出そうか。そうだな……お前が勝ったら、そっちの言うことをなんでも一つ聞いてやるよ」
『!』
「代わりに私が勝ったら、言うことをなんでも一つ聞かなくちゃならない……なんてこともない。私は戦うのが目的だからな。それだけで満足だ」
これにはユウも目の色を変えざるを得なくなった。そもそも話したかった相手が、自ら名乗り出てくれただけでなく、交換条件でこっちに圧倒的な利のある提案をしてくれたのだ。ユウもこの機会を逃すわけにはいかない。青い鳥が目の前を悠然と横切って、追い駆けないほどユウも馬鹿ではなかった。
『いいよ。やろう』
「え、なに侑、本気……?」
『うん。ちゃんと本気』
勝ち目や作戦があるわけではないが、ぶっつけ本番。当たって砕けろ。やるだけの価値がそこにはあった。
ミチルはニヤリと不敵に笑う。
「乗り気になったか? それはなによりだ」
笑みの意図はユウには分からなかったが、自身の勝利を確信しているというよりも、ただ単に思いがけない娯楽が舞い込んできて喜んでいるといったふうに感じられた。
「審判は先生も加上もいるし十分だろう――」
これまで死神現象にのみ向けられていた攻撃性の矛先が、ユウへと向けられる。
「――なら、早速戦おうじゃないか」
普段、表情の乏しいミチルの口元が、三日月を大きく描く。始まる激しいドラムのリズムが、鼓動を速めた。ミチルの【ココロのウタ】が、つむじ風と共に現れる。眼帯で片目が塞がっているというのに、瞳は刃のようにぎらついている。剣鬼とも呼ぶべき姿の音枝レンリが日本刀を抜き、臨戦態勢を取った。
「行くぞ――‼」
【戦闘(敗北)】
『…………っ!』
ユウの【ココロのウタ】が限界を迎えて潰える。その光景を、ミチルは無感動な眼差しでぼんやりと眺めていた。
……分かってはいたつもりだったが、その予想を遥かに超えてミチルは強かった。至極当然だろう。ユウ達が悩みに足を絡め取られている間もずっと、ミチルは死神現象退治をし続け、研鑽を怠っていなかったからだ。力量の差は歴然と、勝敗という完膚なき形になって表れていた。
「なんだ、所詮はこの程度か」
勝者は少しも嬉しそうにせず、冷ややかに嘆息する。
「少しは楽しめるつもりだったが、とんだ期待外れだな」
無情な評価を冷静に下し、ミチルは興味を失ったとばかりにきびすを返す。
「当たり前だが、約束した『なんでも一つ言うことを叶えてやる』って話もなしだ……って、これは言うまでもないか」
折角得た機会を無為に消費してしまい、ユウは悔しさから下唇を噛み締める。
「じゃあな」
『――待って!』
片手をひらひらとさせて校舎へと戻ろうとしていたミチルを、ユウは半ば反射的に引き留める。
「なんだ、まだなにか用か?」
『えっと……その……』
「なにもないなら、行くぞ」
『いや、待って! これだけは聞かせてほしい――』
なにか有効打になるような言葉は持ち合わせていない。けれどもここでなにか言わなければ、本当にミチルが遠ざかってしまいそうに思われた。
……そうして無意識的に口からまろび出たのは、純粋な疑問だった。
『――どうして今も、死神現象退治を続けているの?』
実際問題、最早する必要はないようなものだ。ミチルはチハツのようにイミテーションの学生達に友好を抱いているタイプではないうえに、死神現象に襲われたくないというのならば、リオンのように寮に引きこもっていればいい。それ以前に、死神現象は昼間には現れない。VFCの活動にも顔を出していないミチルなのだから、学校が終われば寮へ直帰すればなんの心配もないはずだ。
――それでも死神現象退治を続けているというのならば、そこには明確な理由が存在して然るべきだ。
「…………」
ミチルがユウと向き合う。美貌は凄味を増して、この世の者とは思えなかった。向けられた視線は飢えた孤狼か、あるいは死に場所を求める落ち武者のように獰猛だった。その目つきの暗い鋭さに、ユウは半歩後ずさった。ミチルは囁くように答える。
「そうでもしてないと――誰かを殺しそうだからだ」
それが最後の言葉だった。なにも言わず、ミチルが校舎へと去っていく。今度こそ引き留めることもできないまま、ユウは音枝レンリとチハツと共に、それを見送るしかなかった。
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