【track.08】②



 ――早いようで遅いような時が過ぎ、夜が訪れた。

 陽が落ちてしばらく経っているが、死神現象が姿を見せる様子はない。音や気配はないが、今日もミチルが死神現象退治に明け暮れているのだろうか。実際に目撃しているわけではなく音枝レンリからの口伝であるため、ユウ自身は明らかなことはなにも言えない。ただ手持ち無沙汰になった視線を、空箱になった校舎へと向けていた。


「――逃げなかったのね」


 憮然とした態度でチハツが現れた。昼間にあのようなやり取りを交わしたためか、敵愾心を隠しもしていない。けれどもその露悪的な言動を、ユウは眉一つひそめなかった。それもそのはずだ。散々煽ったのはこちらなのだから、チハツの不服ぶりは自然とすら言えた。


『逃げた方が良かったの?』

「そりゃそうでしょ。だって不戦勝になるもの」

『「戦わずに済むなら、それに越したことはない」って言ってるように聞こえた』

「――――っ」


 チハツは肩を怒らせる。流石に今の反応はユウも計算外だった。更に話が荒れそうになったところで、音枝レンリが割って入る。


「二人とも、勝負をするのであれば早い方がいいです。いつ死神現象が現れるとも限りませんから」

「……分かってるわよ。約束はそっちも知ってるのよね?」

「はい。審判役として当然。加上さんが勝てば、VFCからは退部。私を含めた君本さん達とは寮生であること以外の関係性はなくなります。逆に君本さんが勝てば、改めてVFCの活動に参加してもらうことになります……いずれも承知済みですね?」

「ええ。勿論」


 ユウも首肯する。

 確認も終わり、すわ戦闘開始か、とユウも身構えたところで「最後に……一つだけ訊かせて」とチハツが切り出した。


「なんでそうまでして、VFCの活動に参加させたがってんの? たかだか部員の一人ぐらい、在籍だけでも構わないはずでしょ? 意味分かんないんだけど」

『…………?』


 その問いかけこそ、ユウにとって意味が分からなかった。


『だって、勿体ないから』

「は?」

『こうしてなにかの縁で一緒にいるのに、お互いのことをなにも知らないままなんて――それに、チハツだって友達は多いに越したことはないタイプでしょ?』


 ――「だって勿体ないじゃない。こうしてなにかの縁で一緒にいるのに、お互いのことなんにも知らないままだなんて。ていうかあたし、友達は多いに越したことはないってタイプなんで!」


 いつかチハツ本人が言っていた台詞を、意趣返しとばかりにユウは紡ぐ。


『だって、大切な青春だから。チハツにもこれ以上なく、前身全霊、全力で楽しんでもらいたいって思うから。だからまた、VFCとして活動したい……ううん、友達として一緒にいたい』


 ――「だって――? !」


「――――っ」


 ギリ、とチハツは歯噛みする。なにも知らない頃の自分が言い放った無責任な言葉が、巡り巡って自分の心に突き刺さる。


「あんたに……あんたになにが分かるっていうのよッ! なにも知らないあんたにッ! あたしのなにがッ!」


  【選択肢】

『私はチハツのことを、まだなにも知らない』

『僕はチハツのことを、まだなにも知らない』


『だから知るために、無粋だけど心に踏み込ませてもらう――!』

「あたしはチカとルリと一緒に青春するんだ……あんな死にざまなんてなかったし、この世界は仮想なんかじゃない……それを勝って証明してやるッ‼」


 夜風が渦巻く。鋭いエレキギターの音色が、重々しいバンドサウンドを引き連れてロックナンバーを轟かせる。チハツの【ココロのウタ】――ひいてはチハツの心のカタチ。スパイかアクティブなハッカーかと見紛うチハツの音枝レンリが、こちらを敵だと認知する。火蓋は落とされたのだと、ユウも覚悟を決めた。


「高らかに奏でろ、【ココロのウタ】――ッ‼」


  【戦闘】


 チハツの【ココロのウタ】が消える。それと同時に、激しい想いを表していたロックもフェードアウトしていった。


「あははは……あーあ、負けちゃった」


 敗北したチハツは乾いた笑いを浮かべ、白旗を揚げるように両手を掲げた。


「降参です。あれ、降伏だっけ、こういう時って。ま、どっちでもいっか。おおよその意味は同じわけなんだし」

『……チハツは納得してるの?』

「はあ、納得?」


 片眉を吊り上げたチハツは、怒っているというよりも呆れているように見受けられた。


「納得なんて、してるわけないじゃない。負けたんだから。でも約束でしょ。きっちり守るわよ。だからあたしもVFCの活動に参加するわ」

『それで本当に、心の底から青春を満喫できる?』

「……あんたがそれを聞くの?」


 呆れから一転、表情が怒り一色に染まる。


「そんなの、っ――無理に決まってんでしょ‼」


 激昂したチハツは、ユウのネクタイを掴み上げた。


「そもそも無理だったのよ! あたしはね、! 満足に学校に行けた試しなんてない、青春なんて夢のまた夢だった! その中で娯楽なんて呼べたのは、インフルエンサーの投稿ぐらいだったわよ!」


 屋上の時とは比べものにならないほどの憤慨に突き動かされた手は、一歩間違えば首を絞めかねない迫力に満ちていた。口角から泡を飛ばして、限界を超えた怒りの感情を撒き散らす。


「でもね……それも終わったの! 終わったのよ! 『きっと高校には行けるようになる』なんて淡い希望を抱いて、!」

『――――』

「青春なんて、知るわけないじゃない! だって……だってあたしは青春を体験、したことないんだから……っ……!」


 感情の発露はいつしか、怒りから悲しみに変わっていた。


「うああああ、ああ、あああああ――っ――‼」


 溢れ出た涙が滂沱となってこぼれ落ちる。掴みかかっていたネクタイもくしゃくしゃのまま、手の間をすり抜ける。チハツはその場に力なくへたり込んでしまった。


「加上さん……」


 そこに音枝レンリが歩み寄る。ただの審判役のつもりだったが、彼女がいてくれて助かったとユウは思っていた。泣かせてしまったのはこちらなのだから、慰めるのは道理が通らない。音枝レンリはしゃがみ込んで、泣きじゃくるチハツと目線を合わせる。


「私は、貴方が青春を知らないなんてことはないと思います」

「せん、せい……?」

「教師として見ても、貴方ほど学校生活を満喫している生徒を知りません。それは貴方が意識的にせよ無意識的にせよ、学校生活を十全に満喫しようと心掛けていることの証左だと思います」


 それはユウも頷く。なんらかの意志が介在していなければ、ああもバラバラなVFCのメンバーとショッピングに行く発想には至らないだろう。


「それに、イミテーションといえど、私が誰かの友達になってくれるように作った人達です。無論、自然であることを優先したので誰かにとっては嫌な人物となってしまうかもしれませんが……それでも、その人達と友達になってくれたこと、感謝申し上げます」

『こっちからも言わせて――ショッピングに誘ってくれて、ありがとう』

「何様よ、あんた……」


 遅ればせながら告げられた感謝に、チハツは涙顔で面食らう。しかしその驚きで落ち着きを取り戻したのか、「……でも、ずっと苦しかった」と素直な気持ちを漏らす。


「ここが仮想世界で、自分がもう死んでいるって知ってからは、カラオケも、ゲーセンも、全然楽しくなかった。なにもかもが、つついたら崩れる砂の城みたいに思えて……」


 ……どんな思いだっただろうか。過去の記憶がない中でもやっと得た友人がイミテーションで、自分はとうに死んでいるのだと気づいた時は。その一端が、此度の荒ぶる想いなのだろう。チハツは訥々と語る。


「『ああ、あたしがしていたのって、所詮は青春の真似事なんだ』って思えて、ずっと苦しかった」


  【選択肢】

『青春なんて、自分も知らない』

『青春なんて、知っててやる人なんていない』


『だから、一緒にやってほしい――勿論、チカとルリとも』


 『それと、』と言葉を切って、ユウは頭を深々と下げた。


『挑発のためとはいえ、キツいことを言ったと思う。本当にごめんなさい』

「まったく……失礼にもほどがあるわよね。本当のことだとしても、人の友達のことをイミテーションだって言うだなんて」

『……本当に、ごめん』

「許さない」


 そうは言うが、既にチハツからは燃え上がるような怒りは消え失せていた。


「けどまあ……チャラにしてあげても、いい。負けたのは本当だし、折角って言うんなら、VFCの活動に参加してあげてもいいと……思ってる」


 気恥ずかしそうにツインテールの毛先をいじりながら、涙声はけれども穏やかに未来への展望を紡いでいた。


「ぶっちゃけ、VFCの活動が楽しかったのは本当だし、部活に熱中するのも青春の醍醐味だって分かってる――だから、改めて参加させて」

『チハツ……!』


 音枝レンリが微笑みながら「断る道理はありませんよね」と言うまでもなかった。


『うん!』


 そうして――内心、何故か痛みが走ったのを伏せたユウが頷いて、一連の話に収まりがついた時だった。


「話は終わったか? ――なら、こっちの番だ」


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