【track.07】②
日が暮れてすっかり夜に染まった学校は、ミチルが死神現象退治をしているはずだというのに、耳が痛くなりそうなほどの静寂に包まれていた。その静けさに耐え兼ねてか、そばに立っていた音枝レンリが声を発した。
「あの、君本さん。夜の学校に用事があるとは、どういうことなのでしょうか? 死神現象退治といった様子ではありませんし、これは一体……」
「――おー、早ぇな」
「!」
適当に理由をつけて音枝レンリを撒いてくることも考えたが、夜に寮を抜け出す以上、変に伏せたりごまかしたりするのははばかられた。それゆえ一人で待っていたわけではなかったのを、やってきたダイキは「悪ぃ。待たせたみたいだったな」と意外にも咎めたりしなかった。
「伊東さん……? どうしてここに?」
「先生か。そりゃこんな時間だし、当然いるよな」
『どうする? 帰ってもらうこともできると思うけど……』
「いや、逆にいてくれると助かるかもな」
「????」
音枝レンリが疑問符を浮かべる。目をやったダイキの表情は、神妙なような軽薄なような相反する印象が同居しており、どうにも真意が読めない。それゆえ、ユウは単刀直入に本題を切り出した。
『ダイキ、話ってなに?』
「あー、ん。そうだな」
ここに来て、ダイキは歯切れが悪い。まだ心を決めかねているところがあったのか、それすらも振り払うように頭を振って、ユウを毅然と見据えた。真っ直ぐな、目を逸らしたくなるほど澄んだ瞳だった。
「俺と――戦ってくれ」
『え?』
「ちょ、ちょっと待ってください! 戦うって、どういうことですか⁉」
思わぬ提案にユウも鼻白むが、それよりも過剰に反応したのは音枝レンリだった。「死神現象退治でもないのに【ココロのウタ】を使うことがどうというよりも、貴方達が戦う必要なんてないじゃないですか!」と必死にダイキの戦意を引き止めようとする。
「そんな、恨み辛みがあるわけでもなしに……」
「恨み辛みがあったら戦ってもいいってことか?」
「揚げ足取りをしないでください」
珍しく、音枝レンリは真剣に怒っていた。
「貴方に一体どんな恨み辛みがあるというんですか。ましてや君本さんと矛を交えるなんて……」
「だったらなにか? 俺が『侑だけ過去を暴かれてないなんて不公平だ』って怒れば道理が通るのか?」
「そ、れは……」
音枝レンリは言葉を詰まらせるが、ダイキの言い分は十中八九嘘だった。それこそ本当にユウに対して怒りを抱いているというのであれば、音枝レンリと一緒にいることを旗色が悪いと顔をしかめていてもおかしくないことは想像にかたくなく、また引き下がらせる提案にも快く乗っていたことだろう。腹に一物あるにしては、ダイキの表情はすっきりしすぎていた。
ダイキは面倒くさそうに首を掻く。
「俺ぁ学がねぇんだよ。ぶっちゃけ頭が悪い。だから考えもうまくまとまらねぇ……でも、音枝レンリの楽曲聞いてて思いついたんだ。そんなら、」
パン、と手を打つ快音が響いた。
「――一度殴り合った方が早ぇと思ってな」
『ダイキ……』
「はらわた煮えくり返りそうなほど、色んな気持ちがグルグル煮え滾ってる。正直、俺自身もなにがなんなんだか、ハッキリ分かってねぇんだ」
打開できない現状。打破したい現状。しかし変わらない現実……それらがひしめき合って壁を作っている。寮生それぞれを遮り、関係を停滞させている壁だ。なにかを変えるためには、その壁を無理やりにでも破壊して、乗り越えなければならないのだろう。
「もう一度言う――侑、俺と戦ってくれ」
その気持ちは、ユウも骨身に沁みて理解できた。
『うん。臨むところ』
殊勝に頷くユウを見て、ダイキは「ありがとな」と笑った。
――その笑みが真顔に戻ると、すっかり秋の空気になってきた夜の闇が動いた。無言の間を揺らすのは、異国情緒漂う楽器の音色と、重厚なコーラスが特徴の民族調曲。ダイキの【ココロのウタ】がユウ目がけて牙を立てんと隆起する。ダイキの形作った音枝レンリは、亡国の騎士を思わせる黒い鎧に包まれていた。
「行くぞ! 吠え立てろ、【ココロのウタ】――‼」
【戦闘】
音が止む。勇ましく響き渡っていた【ココロのウタ】が絶え、髪が砂で汚れるのも気に留めず、ダイキは大の字になってグラウンドに寝転がった。
「負、け、たーっ!」
ユウはダイキに勝った。しかしそんなユウ以上に、ダイキの方がすっきりと満足げな顔をしていた。ガチンコでぶつかり合ったことで、なにか澱のようにわだかまっていたものを吹っ切ったのだろう。そこに、それまで横たわっていた壁はなくなっていた。
「……俺はさ、結構恵まれた人生だったんだよ」
ダイキは独りごちるように語り始める。
「そりゃあよ、生まれと育ちが戦後の混迷期だったから、それなりに苦労したぜ? けどよ、守りたい家族はいたし、いい嫁さんも得たし……晩年は体悪くして病院暮らしだったかもしれねぇけど、百歳目前なら普通だろ? でも、最期は孫と子供に囲まれた大往生だった。それは胸を張って言えるよ」
『ダイキ……』
「たださ、過去の記憶と死因を思い出して……分かったんだ。俺は天寿を全うしたと思ってたけど、未練があったんだよ」
晴れやかだった顔に、ほんの少し陰りが差す。
「言ったろ、家族守るために苦労したって。進学諦めて、就職を選んだんだよ」
「それが伊東さんの、ここへ来るに至った未練……」
「死ぬまで未練とは思ってなかったはずなんだけどな。心の内じゃ、そうは思ってなかったわけだ――俺は確かに、高校に未練があったんだ。今なら、それが分かる。人生経験の割に、気づくのが遅すぎたがな!」
『…………』
ユウは口を挟めない。茶化せないというだけの意味ではない。世話焼きで頼り甲斐のあったダイキの太い芯になにが通っていたのかを垣間見て、圧倒されていたのだった。
みんな、それぞれ違った未練を持っている……それは知っていたはずだ。けれども実際に見せつけられて、ユウは言葉を失った。人生という一人の人間の歴史を、たかだかかいつまんで説明されただけだというのに、そこには深い想いが広がっていたのだ。
「今言うのはちょっと違うかもしれねぇけどよ、だからお前らと高校生として生活したのは、凄ぇ楽しかったよ。部活したり、買い物行ったり……」
「……でください」
「え?」
「過去にしないでくださいッ――‼」
切実な音枝レンリの叫びが、静謐だった学校を揺らす。耳鳴りのような無音が戻ってきても尚、驚きでユウもダイキも二の句を継ぐことができなかった。
「貴方達の棺を暴いた私が言えることではないかもしれません……でも、伊東さんはこの世界で青春を謳歌することができます! そのための場所なんです! ここにいるのに、そんな、諦めたことを言わないでください!」
切実な音枝レンリの声を聞き届け、ユウの中になにかが灯る。
……心のどこかで、「もうなにもかもが終わってしまった後の祭りなのだ」と、希望を手放してしまっていたのかもしれない。悟ってしまったと言えば聞こえはいいが、実際は元に戻すだけの途方もない労力を前に立ちすくんでいたに他ならない。
過酷な道のりを前に、一歩踏み出す力が湧く。
「貴方は死んでしまったかもしれません。もう現実で高校生になることはできません。それは絶対に覆りません。でも、まだ終わっていないんです。私が用意したのは、偽物の代替行為かもしれません。それでも出来るんです。そのことを、忘れないでください」
涙も浮かべた音枝レンリの顔を見て、ダイキは体を起こして砂を払う。
「そっか……そうだよな。俺はまだ、ここにいるんだもんな」
『――なら、それは他のみんなも同じだ』
前へ進む。確かな一歩をユウは刻む。
【選択肢】
『――私は、みんなとまた青春がしたい』
『――僕は、みんなとまた青春がしたい』
「正気か?」
ダイキは当然ながらいぶかしがった。
「俺はまともな死に方ができたかもしれねぇが、他の連中まで同じとは限らねぇ。むしろ未練があるタチだろ、ありゃあ」
そうだろうと、ユウも思う。根本的なところはなにも変わっていなかったダイキは、ある程度自分自身の死に気持ちの整理がつけられたからだ。だが他の寮生まで同じとは限らない。いや、ダイキが言うように真っ当な死に方ができていれば、ああも豹変しないだろう。
『でも、だとしても、向き合わないわけにはいかない』
「……そうだよな」
関わったのは一週間やそこらだ。そうまでして事情に分け入るほど、ユウもお人好しというわけではない――けれども見過ごせないのだ。たとえ過酷な死が亀裂を深めているのだとしても、まだ青春できる土壌があるというのに、動き始めた今、止められるほど器用ではなかった。辛い過去の記憶や死因が壁となっているのならば……それを乗り越えて、手を伸ばすまでだ。
ユウは愚直に覚悟を決める。
「私は、皆さんが青春を全うできればそれでいいと、本気で考えていました……だからこそ、記憶を明かされ、大いに狼狽えました。でも、本当に狼狽したのは、皆さんのはずなんですよね」
音枝レンリが訥々と語る。絶えず、考え続けていたのだろう。胸につかえていたものが氷解し、ぽろり、ぽろりとこぼれていく。
「ずっと考えていました。これから自分がどうするべきなのか……どうなろうと、まず向き合わなければならないんですよね。きっと」
『そうだと思う』
頷けば、力強い視線が返される。
「君本さん……貴方は今、自分が茨の道を選択したのだという自覚はありますか?」
『はい』
「秘したい過去の記憶と死因に踏み込むことになると、重々お分かりですか?」
『はい』
「場合によっては、矛を交えることになるかもしれません。それでもいいんですか?」
『……はい』
「ありがとうございます」
音枝レンリは深々と頭を下げた。
「是非とも私にも協力させてください。貴方にだけ辛いものを背負わせるつもりはありません」
「ただそうなると、俺はその場に同席するべきじゃねぇだろうな」
ダイキの言うことも理解できる。過去の記憶と死因は、それだけ各々の重たいものであり、かつ広く知られるべきものではないからだ。助力を願いたいのは山々だったが、相手を慮るのであれば、どうしても避けなければならない。今後矛を交えるようなことになったとしても、その場にいるべきは招き入れたからには知る責任を負う音枝レンリだけだろう。
「ただまあ、ちったぁ助言はできるぜ」
「助言……ですか?」
「ああ。今の状況からして、帰ってこねぇ睦羽の奴は論外にしても、話をしやすい奴は自然と浮かんでくる」
【選択肢①】
『チハツとか?』
「ご名答。あいつの徹底した青春傾倒ぶりは、裏を返せば現実逃避の結果だ。過去の記憶と死因を正しく把握していることの証左に他ならねぇ。逆にリオンやミチルは得体が知れねぇな。片や引きこもってて、片や死神現象退治に没頭だ。腹を決めて臨まねぇと、つついたら
【選択肢②】
『リオンとか?』
「いいや、あいつはミチルと並んで得体が知れねぇな。片や部屋に引きこもってて、片や死神現象退治に没頭だ。腹を決めて臨まねぇと、つついたら
【選択肢③】
『ミチルとか?』
「いいや、あいつはリオンと並んで得体が知れねぇな。片や死神現象退治に没頭で、片や部屋に引きこもっていやがる。腹を決めて臨まねぇと、つついたら
ダイキの言うとおりだ。ユウとしても、そもそも姿を見ていないリオンや死神現象退治でピリピリしているミチルよりも、無視こそしているが話しかけやすそうな雰囲気のチハツから挑むのはありがたかった。
「俺は直接手伝えねぇけど、相談やらは乗るから大船に乗ったつもりでいろよな」
『流石おじいちゃん』
「茶化すなバカ、敬え」
『ははーっ』
「うむ、苦しゅうない」
そうは言ったものの、ユウにとってはこの高校生のダイキこそが本物のダイキなのだった。たとえ現実では百歳目前で天寿を全うした老人なのだとしても、ユウにしてみれば少々趣味や語彙が古めかしいだけの、竹を割ったようにさっぱりとした性格で世話焼き好きの友人に違いない。
音枝レンリが生んだ数奇な運命に思いを馳せつつ、ユウは過去の記憶と死因を思い出しながら青春に耽溺しているチハツのことを思い浮かべた。
――その時、何故か心の端がピリリと痛んだ。
◇
○伊東大来(イトウ・ダイキ)
死因は『老衰』。孫や子供に囲まれて、百歳目前という大往生だった。年齢の割にはハイカラで、孫達ともスマホを使って交流していたぐらいだが、晩年は病院生活だったことからセルフレジは経験がなかった。当人は割り切っているものの、戦後の混迷期、家族を支えるために学業を捨てて働いていたため、高校生活に未練が残った。
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