【track.07】

【track.07】①



 ――代わり映えのしない日々だった。ベルトコンベアに乗せられた大量生産品が流れていくルーチンワークを思わせる。

 いつもの朝、いつもの学校、いつもの放課後、いつもの夜……その繰り返し。飽きるほど繰り返したそれを、まだ一年も続けなければならない。受験があるだろうが、根本は同じだ。ヒット中の新曲、話題の新商品、流行りの言葉。どこか見たような複製品の数々を、砂のように噛む。それを友達と消費するために、これまた大量に仕入れる。飽きるために好んで、捨てるために好いている。我々人類は、きっとゴミが大好きなのだ。我々人類の日常生活は、かつて愛だったゴミで出来ている。


『…………はぁ』


 思わず溜め息が漏れ出る。ロボットのように繰り返しすぎたそれによって、歯車は限界に近づいていた。

 自分が限界ならば、社会も限界だ。山積みになった問題を先送りにした結果、未来は壁に覆い隠されてしまった。夢も希望もなければ、明るい未来も見えない。死を選ぶほどの絶望ではないものの、真綿で首を締めるがごとき淡い失望は、既に十代の学生にまで魔手を伸ばしていた。絡め取られた我々は、若さを湯水のように浪費して生きている。


 ……人はそれを、『青春』と呼ぶのだろうか。


 いつもの朝、いつもの学校、いつもの放課後、いつもの夜……その繰り返し。

 そのはず、だった。


『あ、』


 その日はしとどに雨降る朝だった。水溜まりにタイヤを取られてスリップした乗用車が、コントロールを失った鉄の塊として突っ込んでくる。イメージとしては、大きな銃弾。死神の鎌に似たそれが、スローモーションとなって迫り来ていた。


『――あぁ』


 避けようとすることはできたはずだ。頭を守るとか、お腹を守るとか。

 けれども自分は、それをしなかった。出来なかったのではない。飽き飽きした日々に飛び込んでくるそれは、特撮の巨大ヒーローじみていて、知らず心を弾ませた。


 恐ろしいはずのそれを、自分はゆるやかに享受して――天高く撥ね飛ばされた。


  ◇


 生じた致命的な亀裂が自然に直らないことぐらい、分かっていたはずだった。しかし一夜、また一夜と夢を願う日々が続いた。そして目覚めるたびに、苦しいほどの現実だと痛感するのだった。


『…………起きなきゃ』


 それでも、朝はやって来る――それが無情なのか救済なのか、ユウには判別がつかない。けれどもそれを精査している暇もなく、週末の学校へと赴くべく支度を整えて食堂へと向かった。


「…………あ」


 そこには、今まさにトーストを頬張ろうと口をパカッと開けたダイキがいた。健康的な日焼け肌と黒髪を見て、少しだけ足元が踏み固まるような安定感を得る。いつかのリフレインのような光景を飲み下し、ユウは席につく。


『…………』

「…………」


 会話はない。話題が尽きてしまったというより、話題が弾むような心境でないのが現状だった。無言で黙々と食事を摂り、小さく『ごちそうさまでした』とだけ述べて、ユウはそそくさと席を立った。向こうも居心地が悪かったのだろう。タイミングをずらすように、ユウが去った後にダイキが動くのが感じ取れた。

 通学時間まで重なってしまうのは避けたいと、早めに寮を出ることを思案していると、廊下の途中でとある部屋にノックする音枝レンリがいた。


「朝食をお持ちしました。栗根さん、ご在室ですか?」


 しかし、部屋の中から応答はない。


「……お食事、ここに置いておきますね」


 音枝レンリは、わざわざ移動させてきた脇のミニチェストの上にトレイごと朝食を置いた。やっとこちらに気づいたのか、ふっと目が合う。


「あ、君本さん……」

『……おはようございます』


 小さく頭を下げて通り過ぎる。リオンに関して、ユウはなにも訊かなかった。既に分かりきっているからだ。


 ――リオンの姿は、もう随分見ていなかった。あの夜の出来事以降、リオンは徹底してユウ達を避けて生活しているのは明白だった。そして――ムツハは、ずっと帰っていない。学校にはいつもの不登校だと見なされているようだったが、それだけに留まらない。トキオもまた、学校を欠席し続けていた。風邪をこじらせてしまったということになっていたが、それも音枝レンリが取り計らってくれたからなのかもしれない。


 豹変した現実は、日常となって淡々と侵食しつつあった。


『もう、行こう』


 コンビニで昼食を買うついでに雑誌でも立ち読みすれば、いい塩梅に時間も潰れるだろう。ユウはなにかから逃げ出すように寮を飛び出した。


『――あ、』


 コンビニへと続く道中、川べりをランニングするミチルの綺麗なフォームが、軌跡を描いて通り過ぎる……そこに、挨拶はおろか、会釈すらもなかった。

 ……あれから、ミチルは以前にも増してストイックになった。ユウ達がやらなくなってしまった死神現象退治にのめり込み、ただ一人で夜の学校に耽溺していた。禁欲的と言うよりも、いっそ狂信的と言ってもいいほどに。


「…………っ」


 追ってくることもないというのに、もっと遠ざかりたくなって、ユウは足早にコンビニへと向かった。


「いらっしゃいませー」


 気の抜けた挨拶が出迎える。ここには寮生の誰もいないのだと分かると、張り詰めていた肩の力がほっと抜けた。まだ朝も早いためか、人混みもまばらだ。本棚へと歩を進めて、最初に目についた知らない漫画誌を手に取った。漫画の続きなどに興味はない。ただ持て余した時間がこぼれ落ちるのを待つために、絵と文字を目で追い続けた。

 たまたま読んだ漫画は、連載完結とテレビアニメ放送十五周年を祝って掲載された読み切りだった……元のストーリーは、至ってシンプルな作品だ。通う学園に危機が訪れて、特殊な力に選ばれた主人公と仲間達が友情を育みながら、最後には世界すら滅ぼしかねない巨悪すらも退ける。

 良く言えば王道、悪く言えばひねりのない無個性な作風。愛と勇気と友情があれば、どんな辛く苦しい逆境をも覆し得るのだと物語る、愚直なほどにストレートな筋書きはしかし、ユウの胸を打たなかった。


『あ、』


 白けて顔を上げた時、窓の向こうの更に先、対向車線側にチハツが友人らと歩いているのが見えた。もうそんなに時間が経っていたのかという感慨はない。ただ心底楽しそうなチハツの笑顔は、異国の祭りのように遠く感じられた。

 ……チハツもまた、寮生を露骨に避けている。代わりに友人らと親睦を深めているらしく、門限ギリギリに帰ってくるのが常となり始めていた。まるでユウ達と死の記憶を忘れるべく、青春に打ち込んでいるように見受けられた。

 けれども――それに対して、ユウがなにかを言える立場ではない。どんな死因や過去を抱えているのか知らないというのに、振り切って前に進めなどとは言えなかった。言えるはずがなかった。それは他の寮生も同じだった。


 ――「棺を暴かないでほしかった」


 あの夜のムツハが脳裏をよぎる。口出しするということは、土足で棺を踏み荒らすに等しい行いなのだろう。そのような暴力的な行いを、ユウが出来るはずがなかった。だからこうして、真綿で首を絞め続けるような日々を享受している。なにも出来ないまま、どうしようもなく。


『……そろそろ行かなきゃな』


 囁くように独りごちて、おにぎりとサンドイッチを適当に見繕ってコンビニを出た。


「ありがとうございましたー」


 ――――その時、


『?』


 ぶおん、ぶおんと、スマホが震えた。ついぞ死に体となった連絡手段が、なにかを如実に訴えかける。音枝レンリだろうかと思っていたユウの目に、思わぬ人物の名前が映った。

 チャットの差出人は、ダイキだった。文字列はシンプルに、ただ一文。


 ――「夜、学校で話がある」


 あれから、一週間が経とうとしていた。


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