エゴ⑥
「――お帰りなさい」
トキオと別れて寮へと戻ると、音枝レンリが穏やかに出迎えてくれた。
「夕食は帰ってから摂ると伺ったので、フードデリバリーを利用させていただきました。先程届きましたよ。温かいうちにどうぞ」
「え⁉ ぃいやったーっ!」
チハツの喜び勇む声がこだまする。
帰宅時間を知らせていたのもあって、料理がまだ得意ではない音枝レンリは気を利かせて用意してくれていたようだった。夕食は当番制にしていたが、今回は厚意に甘えさせてもらうことにする。
手洗いうがいを済ませて集まると、食堂のテーブルはさながらホームパーティのような様相を成していた。定番のマルゲリータ、照り焼きチキン、バジルソースが香るシーフードミックス、クワトロフォルマッジ。ヤンニョムチキンにフライドポテト、シーザーサラダなど、サイドメニューも充実しており、ショッピングで疲れた体には耐えがたい誘惑となる。ユウは思わず喉を鳴らした。
誰かが音頭を取ることもなく、席に着くと当然のように「いただきます」が群れを成して号令された。そして皆、我先にとばかりにピザへとかぶりついた。
「んま~っ!」
堪えきれなくなった感嘆をチハツが叫ぶ。
「こういうジャンクなものは普段食べないせいか、心なしか沁みるな」
「そんなの言ったらハンバーガーだって十分ジャンクでしょ。未散、結構節制してそうだと思ってたけど、実際はそうでもないのね」
「今日はチートデーだ」
「本当~? 今月何回目のチートデーだか」
「でも未散の言ってることも分かるわ。こういう店屋物は自分じゃ作れないからなのか、とんでもなく旨い」
「なによ、テンヤモノって」
「出前のことだよ」
「ああ、デリバリーのことね」
いつもの応酬も、絶品のピザの前では大人しいものだ。その分、リオンも集中して舌鼓を打っている。だからだろうか、誰よりも先にその事実に行き当たった。
「……ところで、撫木くんはどうしたんですか?」
言われて気づく。談話スペースの方にもいなかったのであれば、いるのは自室の方だろうか。
「撫木さんはアニメの一挙配信があるとかで、パソコンに齧りついているようです。ピザなどは後で私が持っていくので、お気になさらないでください」
「ふーん、まああたし達がショッピング帰りだし、夕食だけ一緒にってのも気まずいだろうから、当然っちゃ当然かもね」
少し酷な話だが、チハツの言うとおりかもしれない。ミチルも一匹狼気質だが、一応はこうしてVFCの輪に混じってショッピングにも参加している。ムツハはチハツを挑発して面白がったりと、一見輪に混じっているように見えて一歩引いているように感じられる。
チハツは強引に誘うほど自分本位ではないが、けれどもムツハが疎外感を受けて自分達を避けているのだとすれば、それはどことなく物悲しい気持ちがした。
……死神現象がなければこうしてみんなと一緒にいることも想像できないユウには、物申す資格などないのかもしれないが。
「けどまあ、あたしはこういうのに懲りないタイプだから。また機会があったらムツハも誘うわよ。外に出るのが億劫だっていうんなら、寮で映画パーティなんかでもいいし」
「でも、とてもいいアイディアだと思うよ。僕も映画は好きだし。侑はどんな映画が好き?」
【選択肢①】
『青春ラブロマンス』
「え! あたしと同じじゃん! じゃあじゃあ、次の機会に見たい奴なににしたいかとか話さない?」
【選択肢②】
『アクション大作シリーズ』
「お、俺と同じだな。定番だけどやっぱりいいよな、でっかい画面にドカーンと派手なアクションってのは」
【選択肢③】
『ミステリー・サスペンス』
「ふうん、私と同じか。ホラーだと露骨すぎるが、先の読めない展開は単純にそそられる」
【選択肢④】
『ミュージカル映画』
「わ、僕と同じだ……一口にミュージカル映画って言っても、作風にかなり幅があるのもいいよね」
その会話を皮切りに、映画の談話室を利用した映画観賞会の企画が持ち上がった。チハツ曰く、最近は大仰なスクリーンを購入しなくとも、お手頃な準備でホームシアターを行う方法はいくらでもあるらしい。
会話も弾めば、自然と食欲も進む。どんな映画を持ち寄ろうか話していると、あっという間にピザやサイドメニューはなくなっていった。
「――皆さん、食後のお茶をお持ちしました」
丁度いいタイミングで音枝レンリがティーポットを持って現れた。彼女自身に食事は必要ないためか、持ってくる頃合いを伺っていたらしい。
「おいおい、味は大丈夫なのか……?」
「このくらいなら、私にもできます……と言っても、お湯を沸かして規定時間まで待つだけですけどね」
恥ずかしそうに微笑みながら、ポットを傾ける。優しい香りがふんわりと食堂に広がった。
「カモミール、レモンバーム、アップルミントをブレンドしたルイボスティー……だそうです。カモミールは胃腸の働きを助ける他、リラックス効果もあるそうですよ」
ショッピングで一日動き回った体にはぴったりの効果ということだ。
……貰ったのならば、こちらも相応に返さなければならない。絶好のタイミングだと、ユウは立ち上がって声を掛けた。
『先生』
「はい、なんでしょうか」
「おっ、来た来た」
チハツが小声で囃し立てる。恥ずかしいのであまりしないでほしかったが、そうも言っていられない。ユウは足元に避けておいた鞄から、一つの包装紙を取り出した。
『これ』
「?」
「『これ』だけじゃ分かんねぇだろうがよ……」
ダイキに釘を刺されて、『プレゼントです』と補足する。
「プレ、ゼント……」
音枝レンリは、手渡されたそれとユウの顔を何度も交互に見る。まるで初めて見るかのようなリアクションだった。
「これを……私に?」
『はい』
「いいんですか?」
『はい』
「中身を見ても」
『いいですよ』
あまり気負わせてもよくないと考えて包装は簡易的なものにしてもらったため、一枚剥がすだけで中身はすぐさま現れた。
「ボールペン……!」
『仕事上、よく使うと思ったので。死神現象でお世話になっているのと、これからよろしくお願いしますという意味での贈り物です』
音枝レンリの髪をもう少し柔らかくしたような色合いのボディは、教員や大人の女性が持っていても不自然のない一品だろう。
「――――っ」
決して安くはないが、さりとて特段高くもないその贈り物を、音枝レンリは後生大事に抱き締める。
「大切にします――ずっと、大切にしますね――」
それはまるで生まれて初めてプレゼントを貰った子供のような瑞々しい感動に満ち溢れており、ユウのみならず、普段はクールに努めているミチルの目までも奪う牽引力を感じさせた。
「お礼と言ってはなんですが、大事な話で気持ちを返したいと思います」
『大事な話……?』
「ええ」
音枝レンリが姿勢を正して座り直す。
「――貴方達を、この世界に招き入れた理由についてです」
『!』
――「理由はあります。ですが……今言っても信じてもらえないでしょう」
先日の屋上で、寂しそうにつぐまれていた唇が――今、開かれる。
「そもそも私がこの世界を創ったのは、『人間を知りたかったから』です……今思うと、大層傲慢な願いですけどね」
『「人間を知りたかったから」……』
「はい。けれど私はボカソですから、実際に触れ合うことはできません。ならば、どうすれば触れ合うことができるのか……その答えが、招き入れられる世界を創ることでした」
「規模が無茶苦茶だな……」
ミチルの渋面も当然と言える。なにせ新瀬学園都市という町を丸ごと生み出したに等しいのだ。人間の考えられる範疇を容易に超越していた。
「私の設定年齢十七歳と誤差一歳に該当する高校生……それに対して強い想い――『未練』を持つ人々の魂が、招き入れられる該当者でした」
――「この世界も学園都市という限られた規模であることは言うに及ばず、貴方達――高校に未練を持った魂しか招き入れられませんでした」
いつだったか、そんなことも言っていた。
「最初は該当者を子細に観察できる環境として、この世界を築いただけでしたが、段々と『未練を解消させたい』と強く願うようになっていきました」
「それが……今……」
「はい。ですが、それを死神現象が害そうとしているのを、私は遺憾に思います」
かなり強引とも言えるユウへの【ココロのウタ】譲渡は、そういった経緯だったらしい。出来事の裏側にあった思いを知り、一同は納得に至る――そして、死神現象や騎士というイレギュラーな存在の異常性が浮き彫りになる。
「でも、反面嬉しく思うんです。それまで彼らの邪魔をしないよう、遠くから見守っているだけでしたから……」
『先生……』
「だから、このボールペン――ずっと大切にします」
音枝レンリの言う「ずっと」とは、本当に「ずっと」なのだろう。ユウ達が去ろうと、それからどれだけの時が流れようと、この世界がある限りは――ずっと。
「――なら、今度は先生もショッピング行きましょ!」
チハツが、ともすれば湿っぽくなりそうな空気を全力で吹き飛ばすように、明るく笑う。
「え?」
「先生が生徒とショッピング行っちゃいけないなんて決まりはないし、人の目が気になるなら変装しちゃえばいいじゃない!」
「で、ですが、皆さんの青春に私が乱入してしまうのは……」
「先生が青春しちゃいけない道理なんてないでしょ? ね!」
同意のウインクを元気よく飛ばすが、言わずもがな、皆一様に同じ思いだった。いつもは斜に構えているミチルも、音枝レンリにはそれなりに感謝の念があるのか、「そういうことなら協力もやぶさかじゃない」と気乗りしている。
「皆さん……」
感銘に目頭を熱くさせながら、音枝レンリは心からの笑顔を浮かべた。
「ええ――その際には、どうぞよろしくお願いします!」
それはとても、人間的な美しい微笑みだった。
確かに、死神現象や黙示録の四騎士など、非日常な危機は今も隣り合わせとなってそばにある。けれども、決してそれだけではない。鮮やかで楽しい青春の日々が、この手の中にある。仲間達もいる。
この穏やかな日々が、少しでも長く続けばいいとユウは願った――――。
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