【track.02】②



 朝だけに留まらず、その日は一日中が散々なものだった。

 眠気のせいで授業中を上の空で過ごし、トキオに脇をつつかれたのも一度や二度ではない。昼の購買戦争には乗り遅れ、トキオに恵んでもらったほどだ。一日が終わる頃には、大きな溜め息を漏らすまでに落ち込んでしまっていた。


「大丈夫かぁ?」

『うん……』

「そういや、先生がお前呼んでたぞ。授業態度、滅茶苦茶酷かったからなんか言われるんじゃないか?」


 先生――音枝レンリと言われると、別の事柄が連想される。そういえば、今日の日直はトキオだったな……とユウは思い起こしながら、帰り支度を整えて立ち上がった。先生として呼び出されたのであれば、生徒として従わないわけにはいかない。


「先生、屋上前の片付けしてるらしいから、職員室よりそっち行った方が早いと思うぜ」

『うん。ありがとう』

「お安い御用だよ」


 手を振り返して、ユウは屋上階段へと向かった。


 ……新瀬学園高等部の屋上は、珍しいことに解放されている。こんなところにも非日常は転がっていたのかと、普段通らない廊下を彷徨い歩きながら、屋上前の踊り場へと到着した。


『あれ、』


 しかし、音枝レンリはそこにいなかった。使われなくなった古い机と椅子が乱雑に積み上げられているばかりで、人影は微塵も見当たらない。

 ならば屋上にいるのだろうか……と扉を開いた時、びゅう、と強い風が吹き荒れた。


「――、――……♪」

『あ――――』


 屋上の際、グラウンドを見下ろすようにして、音枝レンリが立ちながら小さく歌っていた。風に煽られて、フィクション的な色の髪が揺れている。その横顔が……どうしようもなく切ないものに見えた。


「……あ、君本さん。来たんですか」

『は、はい』

「あれーっ? 君も呼ばれたのー?」


 背後で素っ頓狂な声がする。振り返れば、チハツが明るい色のツインテールを動物の耳のように揺らして、こちらの顔をジロジロと伺っていた。屈託のなさに、少々面食らう。


「……というか、寮生全員が呼ばれたって感じだろ。これ」

「ボクも午後から呼び出されたしね~。眠い……」


 チハツの肩越しにダイキ、そしてムツハが顔を出す。更にその背後にはリオンとミチルもおり、ユウは呼び出された理由は授業態度などではないことを悟った。


「そ、それって、やっぱり僕達が死んでるって話……?」

「はい。詳しい話は寮でもできますが、死神現象が夜間に現れることを踏まえると、判断材料は昼間のうちに伝えておいて損はないと思いました。流石にこんな時間では、屋上にやってくる人もいないでしょうし」


 音枝レンリの言うとおり、グラウンドには準備運動をする陸上部や、アルバイトに遅刻しないように急ぐ帰宅部の姿が見て取れた。遠く、吹奏楽部も練習を始めた気配がする。屋上は切り離された陸の孤島と化していた。


「昨晩も話しましたが――この学園都市の外は存在しません」

「ねえ、それって本当なんですか? だってここから町向こうまで見えますし……あたし達が死んでるっていうんなら、チカやルリも死んでるってことですか?」

「それについては、一つずつ解説します――まずは学園都市に関して」


 音枝レンリの視線が、町の向こうに広がる海へと向けられる。


「この新瀬学園都市の外……正確には海の向こうや大橋の先はイミテーション、偽物です。風景だけの幻。舞台装置の描き割り、と言ってもいいかもしれません」

「本当の話らしいぞ、一応な」


 ミチルも後押ししたその言葉を受けて、ユウも視線を海へと投げかけるが、どう斜に見てもイミテーションだとは思えなかった。だからこそ、一切疑問に思わなかったのかもしれないが。


「あたし、まだ信じません。この後、橋の向こうまで行ってきます」

「行動派は強いね~。ボクは確かめるくらいなら引きこもるけど」

「加上さん、日没までには寮に帰ってきてください。日が落ちれば、死神現象が現れます」

「そ、そのことなんですけど……僕達が死んでるから死神現象に狙われるって、どういうことなんですか?」

「そのことについてもお話しします」


 音枝レンリがこちらを向く。真剣な眼差しに晒されて、思わずユウは目を逸らしてしまった。


「死神現象は名前のとおり、この世界に入り込んだ『死者が死に反して生きていることを許さない存在』です。本来は現れないはずでしたが、なんらかの影響でこの世界のセキュリティホールが広がり、夜という一日における死の時間に跳梁跋扈するようになりました」

「俺達、生きてんだか死んでんだか分かんねぇな……」

「死んではいます。ですが新瀬学園都市――この世界でのみ、活動を許されています。言わばここは、あるはずのない死後の世界です」

「か、仮想世界……ということ、ですか?」

「ワオ! ドラマチ~ック!」

「撫木さん、茶化さないでください。とはいえ、非現実的な話であることは認めます。私がバーチャルシンガーのキャラクターでありながらソフトウェアという物理的な製品であるために、特別な力を得て、電子情報と有機情報の狭間に仮想世界を築けるに至りました」

「……って言うけど、あんたそんなに万能ってわけじゃないだろ?」

「鳴護さんの言うとおりです。この世界も学園都市という限られた規模であることは言うに及ばず、貴方達――


 高校に未練を持った魂――それが、自分達の正体。


「な……なによ、それ。その言い方だと、まるでチカもルリもちゃんとした人間じゃないみたいな……」

「そうです。貴方達以外の生徒や教師、その他の人間はゲームでいうところのNPC――

「っ……‼」


 音枝レンリの言葉を皮切りに、チハツが弾かれるようにして屋上を後にする。開け放たれた扉からは、足早に階段を駆け下りる音が長く尾を引いていた。

 ……ミチルとムツハは既に知っていたのか、ばつが悪そうに所在なさげにしている。他の二人、リオンとダイキはといえば、信じる・信じないの天秤が信じたくないに傾いたような、不安感が顔から滲み出ていた。


 【選択肢】

『私達をこの世界に招き入れたのは、どうしてですか?』

『僕達をこの世界に招き入れたのは、どうしてですか?』


「理由はきちんとあります。ですが……今言っても信じてもらえないでしょう」


 うつむいた音枝レンリの頬に、まつ毛の影が落ちる。傾き始めた陽光で色濃くなったそれは、余計に彼女の表情を暗いものにしていた。


「早く帰りましょう。まだ余裕はありますが、遅からず夜はやって来ます。それまでに寮へと帰っていてくださいね」


 音枝レンリはそう言い残して、屋上を去っていった。


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