第5話 モテない男とイレギュラー
いや、おいおい。おいおいおいおい。
これは一体どうなっている。マジで意味がわからなさすぎる。
別に、今もフロントガラス越しに見えている夜景が綺麗すぎるとか、そういうわけでは決してない。
夜空に流星群が流れ続けているとか、そういう事象も全くない。
そう。今日はまさかの朝から突発的な大豪雨だった。
電車も動いてはいたが、帰りがどうなるかわからないこともあって久々に俺は車で通勤していたのだが...
「あ、この歌。懐かしいですー。当時めちゃくちゃ流行りましたよね!」
「え、あー、流行りましたよね」
「好きだったんですか?」
「まあ、ハマったドラマの主題歌でもあったんで」
「確かそうでしたね。私もこの人の歌すっごく好きだったんです!何だかんだで私たち世代が近いですし、色々と話が合いますね!」
まさか、仕事帰りに自分の車の助手席に女性を乗せる日が来るなんて...
俺は今日が命日にでもなるのだろうか...
それも、まさかのあの高崎さんを隣に...。
昨日の夜、先週の黒歴史的失態に気付き、当分はちょっと顔を合わせたくないと思っていた相手が...
まさかの車という密室の中で、過去最大級の至近距離で隣に座っているという意味のわからない状況。
それも二人きり...。
ハンドル両手に、すぐ隣に視線を向ければ、もうそこには楽しそうに話を俺に笑いかけてくれる高崎さん。
「これは...夢?もしかして俺は既に死んで...」
「え?フフッ、ちょっといきなりどうしたんですか?進藤さんは普通に生きてますよ」
「え、あ、え、生きてます」
やばい。もしかして口に出ていた?いや、もしかしなくても出ていたから今の言葉が返ってきたんだよな。
最悪、最悪すぎる。隣には口に手をあててクスクスと失笑している彼女。
俺、気持ち悪さをさらに更新...。
平静を装って彼女の質問に応えてはいたつもりだが、正直、このイレギュラーな状況に車を運転していることも相まってか、今の俺はみての通り頭がぐちゃぐちゃになっている。
大丈夫、物理的な事故は絶対にしない。
精神的な事故については既に心を廃車しなければならないレベルでさっきから連発しているが...。
そう。そして、雨はもうおさまってはいるが、案の定、夕方まで降り続いた豪雨の影響で電車自体は止まってしまって今この状況だ。
いや、別に彼女から直接頼まれたわけではない。彼女の上司、そして元俺の上司でもある人に、帰りの方向が同じだろうからと頼まれて今この状況。
だから、もちろん彼女がここにいる理由も彼女自信の意思ではないため、もちろんそういうことではない。当たり前だ。
とにかく今は丁寧な運転、ゆっくりブレーキを心掛ける。
「そういえば、進藤さんって歳下の私にもそうですけど、全員に対して敬語なんですか?全然、私にはそんな気を使ってもらわなくても大丈夫なのに」
「え、あー、いや、同期には基本ため口ですね。それ以外は基本敬語です。そっちの方が楽と言いますか」
「へぇー、そうなんですね。あ、でも中野さんには後輩だけどタメ口ですよね!」
「ハハ、あいつはまあ、そういう感じの奴なんで」
「ふふっ、そういう感じのやつ。やっぱり仲良しですね。慕われてますもんね!」
「いやいや全く。まぁ、でも生意気ですけど良い奴ではあるんで。面白いですし、そう言えば高崎さんもあいつと結構仲いいですよね」
「んー、仲いいんですかね?あんまりよくわからないですけど、よくはしてもらっていると思います」
って、何だ...。彼女にしては歯切れの悪い回答が返ってきた。
あいつ、確かこの前、彼女に飯の誘いを躱されたとか何とか言っていたが、もしかしてさらにあれからグイグイしつこくいっちゃったりしたのか?
まあ、とりあえず、話の方向を変えよう。
「そう言えば、高崎さんは休日とかよく車を運転されたりはするんですか?」
「あんまりですかねー。私、実家暮らしなんです。父の運転する車にはいまだによく乗りますけど、自分ではたまにってところです」
へぇー、高崎さんは実家暮らしなのか。知らなかったけどなんか可愛い。まあ、彼女を箱入り娘にしたい父親の気持ちも存分にわかる。
「進藤さんはお独り暮らしですか?」
「まぁ、一応。全然いいところではないですけど」
「へぇー、ご立派です!」
そして何だろう。一人暮らしをしているだけでこんなに可愛い女性に褒めてもらえる日が来るなんて。最高か。
と言うか、女性が自分の車の助手席に乗っている光景。あらためて思うが、カップルとか夫婦のみが味わうことのできるであろう光景だよな。
それを疑似とは言え、あの高崎さんで体験できるとは...。
まさに俺にとっては色んな意味で一生で一度の出来事だろう。
冗談抜きで我が生涯に一片の悔い無し。
男の夢のひとつが最高の形で実現された。夢異常に夢のような空間。
「いやいや、そんな。高崎さんの方が家族と仲良くされていてご立派ですよ」
「そんなそんな、実家がそこまで会社から遠くないんで甘えているだけですよ」
「いやいや、僕も近ければ確実にそうしてます」
そう。当たり前だ。俺の場合はむしろ死ぬまで実家にパラサイトするまである。
「…」
って、ちょっと待て。いや、本当に待て。よく考えれば今、車に流れているこの曲。
確かこの曲の次に再生される曲は...
駄目だ。何でだ。何で反応しない。
ああ、間に合わない。というかもう、もうイントロが...。
そうか。ハンドルのスキップボタンを押したつもりが、俺は音量を上げるボタンを...
「フフッ、進藤さん。プ、プニキュア好きなんですか? うわー懐かしい。これ初代のですよね」
最悪。
30歳独身、モテない男の車で、朝の女児向け変身アクションアニメのオープニングが静かに流れているこの光景は、まさに地獄以外のなにものでもない。
天国から地獄に落ちるとはまさにこのことなのだろう。いや、笑えない。
高崎さんは堪えきれずに失笑が漏れに漏れているが、俺は本当に笑えない。
「いや、内容は全然なんですけど...。この曲が好きだったと言いますか、何といいますか。当時も妹の影響で…」
「わかります!すごく元気がでますよね!」
そして、ここから「わかります」まで彼女は持っていってくれるのか...。それもこの曲の鼻歌まで口ずさみながら...
ありがたいが、死人に回復魔法は全く効果がない。
「ふふ、本当に懐かしい。小さい頃に私の車にもいつも流れていました。あと、さっきから思っていたんですけど、進藤さんの運転。何か私の父の運転と似ていてすごく安心感があります」
小さい頃...。俺もう大きいのよ。
30歳なのよ。
「そうですか。それは光栄です...」
あぁ、終わった...
色々と。
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