第68話 馬鹿

 背後でいきなり机が爆発し――何かわからんが、ヤベェ、と、風見鶏かざみどりはたっぷりと汗を零しながら震えていた。


 なんでヤバいのか正直わかんねぇ。わかんねぇけどやべぇ。

 ……いや、スパイってこと喋ったらダメってのはわかるんだが、とにかく今を乗り切らないとやべーっていうか怖ぇので、とカザミは自宅で震えながらスマホに謝った。


「俺、社長の命令で、ブラザーを調べてこいって言われてッスね!」

『理由は?』

「そこはマジでわかんねーっす! ただ、うちの社長――あ、リトライズの社長、剛翼ごうよく星雄ほしおっていうんすけど、あいつめちゃくちゃ欲しがりなんすよ。自分の欲しいもの全部集めたがり? コレクション気質っつーか。で、気になる配信者みつけるとしつこく声かけるんすよね」


 てか聞いてくださいよ、俺あいつのせいで借金したんスよ!

 配信者になりたいっていったら、まずイイ武器揃えろっていわれて。二百万っすよ、二百万!

 しかもヤミ金にまで目をつけられて、そのくせ事務所はまだデビューさせてくんないし、失敗したら代わりに武器返せって……。


 あ、まあ俺デビューしたらすぐチャンネル登録数100万くらいいくに決まってるッスけど……とにかく!


「俺も被害者なんッスよ! だからなんつーんすかね、すいませんでしたっていうか……!」

『あなたが知る限りの、Re:リトライズの内情を送付して頂けますか』

「ッス! すぐ送ります!」


 こーゆーときは、素直に全部話すに限るぜ!

 という訳でカザミは今知ってる限りの、Re:リトライズ所属の配信者名が並んだリストを送った。

 カザミは実力こそ低いが喋り好きで人なつっこく、先輩にウザがられつつも可愛がられることが多いので、人脈だけは豊富だ。


「あ。あとブラザー、剛翼社長、”玉竜会”とつるんでるッスよ。玉竜会って分かるッスか?」

『私の記憶が確かなら、ダンジョン内での活動を主とする詐欺グループの一つ、準暴力団といった印象ですが……配信事務所が、いまどき反社と繋がりあると末端にも知られているのはどうかと思いますが』

「まあ”玉竜会”って名前はあるッスけど、俺も全部知ってるわけじゃないんで……」


 ダンジョンが一般人に解放されて以降、当然ながらダンジョンに関する詐欺や犯罪も増加傾向にある。

 人気のないダンジョンを探索しに来た者を仕留めて装備やアイテムを強奪する”ダン狩り”や、違法アイテムの取引を行う”運び”等だ。


 警察や迷宮庁も対策に乗り出しているが――レベルやスキルという、個人技量がものを言う世界において、取締が容易でないことは想像に難くない。


『連中の居場所もわかりますか?』

「いまは手元にないっすけど……お、俺が知ってるぶんで良ければ教えるッス……」

『良い心がけです。それがあなたの軽薄さから出た言葉なのは百も承知ですが、素直に返答したことは私にとって細やかな加点になります』


 よかったですね。生かす価値がありそうで。

 耳元で囁かれ、喜んでいいのかさっぱり分からないが、おうおうとオウムのように頷くカザミ。


 ……あ、てかいいこと思いついた。やっぱ俺、天才!


「なあブラザー。俺から提案があるんスけど。……俺、社長の動きを報告しましょうか?」

『ふむ。二重スパイ、という意味でしょうか』

「そうッス! あの社長のことですし、俺があんたに手を出さなくなっても、結局ほかのヤツがブラザーにちょっかい出すと思うんすよね。それなら、俺が間に挟んでたほうがやりやすくないッスか?」


 二重スパイ。なんか格好いい響き!

 一石二鳥、完璧な提案すぎる。くそ、相変わらず俺って頭がいいなあ……。


『確かに。あなたを消すのは、その件が片付いてからでも構いませんが……』

「だろ? な? え、消す?」

『ただし。その話をするには大切な前提条件があります。……分かりますか?』

「え。……いや~、何ッスか?」


 何でもいいよそんなの、早く電話さえ終わってくれれば、俺は助か……




『「あなたが裏切らず、嘘をつかない、という保証です」』

「っ――!?」


 びくっとカザミが固まったのは、語られた内容に驚いたからではない。


 電話越しに聞こえていたはずの声が、なぜか。

 ……通話と現実、その両方を通じて、耳元にねっとりと絡みつくように響いたせいだ。


 ……後ろから? いやまさか。でも。なんで?

 カザミはぞくりとし、でも……振り向かない。振り向けない。


 だって――

 いま背後に何がいるのかを確認するのは……あまりにも、あまりにも。


「私は嘘偽りを許さず、正確な情報を好みます。その点において、あなたは私に正確な情報を提供した。別経路で得た情報とも合致します」

「ッス、そ、そりゃあ当然で……」

「その点を鑑み、今回だけはあなたを見逃しましょう。……しかし一方で、私はあなたを信用しない。雇用主をこうもあっさり裏切り、べらべらと情報を吐く人間はいずれ、私のことも必ず裏切るからです」


 とん、と。

 肩に手を置かれ、カザミは呼吸を失い、喉をひくつかせながら必死に言葉を返す。


「……っ、いや、んなことしないっすよ……俺はこう見えて、約束は必ず守る男っすから……はは……」

「ゆえに忠告です。

 一つは今後とも、嘘偽りのない情報を提供すること。

 二つは今後、私やその弟子に害を与えないこと。

 以上の約束を生涯守るなら、私があなたの前に姿を現すことは二度とないでしょう」


 カザミの背に、べったりと張り付く声。

 まるで死神が、ぴたりと首筋にカマを当てるかのように……。


「……。……ね、念のため聞くんスけど。約束破ったらどうな……」

「実践、してみせましょうか?」

「い、いや結構ッス! わ、わかった、わかったから!」

「本当は”契約書”を使いたいところですが、アレは数に限りがありますし、あなた程度に使うほどには私の苛立ちも溜まっていない。今はまだ、ですが」


 背後でわずかに、男の気配が薄れる。

 カザミは振り返らぬまま、ただ、男の声に耳を傾ける。


「あなたはただ、言われたことを言われた通りにこなせば良い。駅の自動改札口のように、赤信号で止まる車のように、何も考えずにルールを守る。子供でも出来ることが、大人のあなたに出来ないはずはありませんね?」

「も、もちろんッス! 気合いを入れてがんば……」

「気合いや根性など不要です。約束を守る、ただそれだけで良いのです。――と、私が執拗に告げている理由がわかりますか?」

「……な、なんで、ッスか?」

「匂うからです」

「……っ」

「あなたには嘘つき特有の、卑怯者の香りがたっぷりと身に染みついている。誰しもが、お前は必ず裏切る、と――むしろ期待すらしているかのように」

「……………………」

「それでも私は私の矜持に従い、今だけは見逃します。あなたの精神性が仮にマイナス2000点だとしても、僅かな善行により加点された+1点が、あなたを支えた。……ゆめゆめ、薄氷の上に立っていることを忘れずに」


 それだけを言い残し――ふっと、背後から重圧が消えた。

 息苦しかった呼吸が僅かに緩み、っ、とカザミはつんのめる。


 ……た、助かった?

 いや待て、これは俺を落ち着かせてから、また騙すパターンとか……っていうかアイツ、どうやって部屋に入ってきた?

 わかんねぇ、何もわかんねぇ、とカザミはダラダラと汗を零し……


 待つこと、数分。

 ようやく、振り返るも……


「…………」


 幽霊か、悪霊か。

 何かの間違いかと錯覚しそうなくらいそこには誰もいなくて、けれど確かに、爆発で吹っ飛んだテーブルや粉々になったアソートセットだけが床にぶちまけられていて。


 ……カザミは、うぐ、と吐き気を堪えつつスマホを弄る。

 心臓がバクバクと跳ね、吹き出る汗はいまだ止まない。


 とにかく誰かと会話をして、自分の心を落ち着けたい……と、相方にスマホでコール。

 今のが夢だと、誰か俺に教えてくれ――


「っ……よ、よおバカマル! さっきよぉ、あのリーマン野郎に絡まれて……いやまあ変なヤツっていうか、その、」

『兄貴。おで、配信者やめる』

「は?」

『お、おで昨日、家に帰ったら婆ちゃんに言われたんだ。アンタ何と会ってきた、このままじゃ呪い殺されるよ!!! って。俺ん家の婆ちゃんもう80超えた婆ちゃんだけどすんげぇ霊感あってさ』

「待て待て、辞めるってなんだ。お前そんなんだから、バカマルって言われるんだぞ? 考え直せ、霊感なんて――」

『お、おでバカだけど、これだけは分かるんだ。あ、あいつは、ダメだ。関わっちゃいけねぇ……婆ちゃんの言う通り、実家帰って畑耕す……稼ぎは少ねぇけど、おでの人生それでいい……』


 ごめんな兄貴、世話になった。

 ……なあ兄貴。逃げるなら、今のうちだと思うで……?


 奇妙な警告だけがカザミの耳に残り――カザミがバカマルと再会することは、二度となかった。




 ……いや。いくら怖いからって、配信やめるって。

 目の前に超有名配信者の道が開けてんだぞ? しかもいきなり契約破棄とか、違約金どうすんだよ……。


「つうか配信もどうすんだよ……あのバカ。ああもう、ザマスにも電話してみるッスかね――」


 出なかった。

 今たまたま繋がらなかった、という訳でなく……。

 あの、オホホホホ! と騒がしく笑うピンクモヒカンはなぜか二度と、彼の電話にもSNSにも反応することはなかった。


「……。……な、何だよ、揃いも揃って。んなのアイツのコケ脅しだ、つーの……だろ?」


 乾いた笑いを零しながら、カザミは現実逃避をするように家を出る。

 そうだ。今日はミチコと約束してたんだ。まずはあの女のところに行き、楽しい一時を過ごしてから考えよう!


 自宅のテーブルが吹っ飛んだり、ヘンな男が自宅にいた気もするが……

 悪い夢だ。違いねぇ。

 大丈夫。いつも通り過ごしてれば、人生ハッピー。

 多少の借金やら変なオッサンやらに絡まれようとも、人は生きてる限りなんとでもなるんだから!


*


 と、カザミは不倫相手といつも待ち合わせている喫茶店へ到着。

 そこには。

 ひどく青ざめ震えるミチコと、怒りに震える男。

 最後に、向日葵と天秤のバッヂをつけたオッサンに睨まれ封筒を渡された。


「慰謝料。200万、請求させて頂きます」


 ……は? え、えええええっ!?





――――――――――――――――――――

※)作者より

今年の更新はこれが最後になります。

お陰様で☆3000、フォロワー6500人いきました。ありがとうございます。

来年もぼちぼち頑張っていきますので、何卒宜しくお願いいたします。

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