第54話 ベヒモス2

 足下に浮かぶ、複数にまたがる円形の光。

 それを目の当たりにした影一は、素早くフィールドを見渡した。

 複数に重なる円は敵の攻撃そのもの――ではなく攻撃範囲を示した予報円だ。


 影一は最後に出現した光の円へ、音もなく滑り込んだ。

 直後、最初に出現した円を破壊するかの如き強烈な落雷が、轟きとともに降り注ぐ。

 フロアを埋め尽くす程の目映い閃光。


 臆することなく影一は出現した円を滑るように渡り歩き、最後に円の外へと脱出する。


「なるほど。現実でこの攻撃を受けると、意外に厄介ですね」


 超範囲攻撃”雷怒”は、指定した円形範囲に落雷を降り注ぐもの。

 足下を見ていれば予測可能ではあるものの、戦闘に気を取られ見逃してしまえば一瞬で餌食となることだろう。

 ただでさえ、真正面から飛び交う熱閃や針に気を取られるのだ。

 足元というのは意外に盲点でもある。


 今後、綺羅星が対峙することがあったら注意喚起をしよう、と影一はひとつ学びながら再び得物を構え、――そういえば二本、舷が切れていたなと思い出す。

 残り三本。まあ戦えない訳ではない。


 狙いを定めるのは、雷攻撃を終えたベヒモスの角。

 熱閃攻撃や針攻撃と同じく、攻撃を行った部位は柔らかくなる――影一はすかさず魔力の矢をつがえ、淡々と、ただの通常攻撃を積み重ねていく。

 通常攻撃。

 通常攻撃。

 無心でひたすらに、敵の角をへし折るべく魔力弾を放ち続ける。


 派手な殺技もなく、淡々と同じ攻撃を繰り返す背広姿は、ある種異様な――だが影一にとっては分かりやすい、最適解の戦闘だ。


 首狩りウサギの対策に、上半身鎧を装備するように。

 蜂型モンスターの対策に、剣でなく殺虫剤を構えるように。

 巨獣ベヒモスの戦闘における最適解は、敵の攻撃を回避したのち劣化した部位をひたすら攻めるのみ。



 ――ガキン!


 鈍い音がフロアに響き、ベヒモスの角が根元からへし折れた。

 部位破壊された角が床に落ち、ベヒモスがダメージのあまり足を折りダウンする。


 好機――と、攻め急いではいけない。


 足を止める影一の前で、ベヒモスの全身から蒸気のようなガスが吹き出された。

 鈍色の装甲をうっすらと赤く染め、しゅーっ……と高熱のガスが周囲一帯に振りまかれる。


 ――”暴走”。

 ガスの噴出とともにベヒモスの装甲が赤みを増し、自身に攻撃速度バフ効果を乗せる、ベヒモスの切り札。

 装甲強度を犠牲にし、代わりに鈍重だった速度を上昇させる最終段階だ。

 ブレスの射出速度はもちろん、不意の突進や針攻撃も鋭さを増すため、より慎重に立ち回らなければ易々と消し炭にされてしまうことだろう。


 とはいえ極端なパターン変化はないため、このまま続ければ問題無い……。


 と、手元の弦に再び手をかけた影一の手元で、パチン、と弾ける音が響く。

 最後の弦が切れ、購入したばかりの”竜孥砲”がついに武器としての機能を失ってしまった。


 ふむ。これは困った。

 武器がなくては、さすがの影一も戦えない……わけではないが面倒臭い。

 あと一押しなのだが……

 いや待て。アレを試すには良い機会か?


「折角の機会です、試してみますか」


 せっかくの大物だ、将来のための実験をするのも悪くないだろう。

 影一がインベントリを呼び出し、その奥底へと手を伸ばす。

 普段は決して手にしないと決めた……禁忌の武器。


 ――柄を手にした瞬間、全身に強烈な圧がかかり、影一の表情が歪む。


「くっ……!」


 重力が数倍になったかのような負荷を受けた理由は、武器そのものの重さではない。

 装備制限。

 ごく一部の装備品は、使用者がそれを扱うに相応しいステータスを所持していないと性能が著しく減少する。

 ――レベル不足による、ペナルティだ。


 やはりまだ足りないか……と、力不足を再認識しながら取り出したのは。

 大剣の……柄の部分だけ。

 本来あるべき刀身はなく、ただ握り手のみが存在するおよそ剣として成立していない代物。


 それでも構わず影一は柄を握り、魔力を込め……

 ブン、と一振りさせ蒼色の刀身を出現させる。



 本武器最大の利点にして欠点は、武器の強さが所持者の魔力に依存することだ。

 素人が使えば、刃を出すことすら叶わず昏倒し。

 逆に優れた狩人が手にしたなら、その力はあらゆる災厄を打ち破る究極の得物となるだろう。


 名を”神威ブレード”。


 影一がこちらの世界に転移した時、自宅の床を突き抜け出現した――LAWにおける対”ラスボス”のために用意された最強の武器である。


 ……なぜこの剣が、影一の転生とともに出現したかは分からない。

 ただひとつ言えるのは、その武器は一振りするだけで空をも裂くほどの威力を秘めており、過剰戦力過ぎるので封印したという事実だ。

 ……が、この相手なら。


「私もダンジョン業務を始めて、二年。多少は成長したかと思いますが、さて」


 実験開始、と影一が大剣を上段に構える。

 対するベヒモスもまた己の口元にジジジと熱を集束させていく。

 十八番”熱閃”。

 ただし最終段階に突入したベヒモスの熱閃は、僅かながら対象を追尾するようになり、より回避は困難になる――回避するなら、の話だが。


 ――ゴアアアアアッ!!!


 ベヒモスの巨大な咆吼と共に熱戦が走る。

 大地を剔りながら迫る光の奔流に、影一は不動のまま構えを取り。


「――唸れ、神威の剣」


 振り下ろす。

 スキル発動の宣言もなく力任せに放つ、影一らしからぬ一撃。


 が、手にした得物は神をも殺す最狂の剣。

 影一の魔力をふんだんに奪い、蒼白い光を増した刃は――眼前に迫る熱閃を、


 ばさり、と切り落とす。


 光柱が二つに裂け、魔力の余波が空飛ぶ神刃となりベヒモスを強襲。

 巨体の頭部に直撃し、音もなくめり込み、そのままするりと――


 相手の身体を、すり抜ける。

 ……否。

 すり抜けたのでなくその巨体を真っ二つにしながら――刃は火口の壁面へと滑り込み。

 ミシリ、と聞き慣れない音を立てながらダンジョン最下層の壁面を破壊し、ついには――



 ダンジョンそのものを、切断した。



「……む」


 刃の角度が、ベヒモスを見上げるため少々上向いていたせいか。

 斜め上に放たれた一撃はダンジョンの壁面すら貫き、穿たれた隙間からはうっすらと地上の朝日が差し込んでいた。


 ……ふむ。

 どうやら、ベヒモスを切るついでにダンジョンの階層を複数にわたり切断してしまったらしい。


 ベヒモスの全身が地に崩れ、紫色の光が噴出する。

 ダンジョンボスの撃破演出を前に、影一は珍しく渋い顔をしながら剣をインベントリに仕舞う。




 感想としては――


「やはりこの武器は、私に合いませんね。現時点では扱いにくすぎる」


 どうにも、気に入らない。

 色々と非効率すぎるし、武器が自分の魔力を勝手に吸い尽くすのも気に入らない。

 そもそも安心安全を信条とする影一と、威力絶大だが隙だらけの必殺技というのは相性が悪いのだ。


 ……だが将来、この武器が必要になるボスが出現すると考えると、今のうちに慣れておく必要もある……か。


 ボスを倒した感傷もなく、影一は冷静に自己分析をする。

 後は、レベル不足の対策。といっても現状の影一では、ベヒモスを倒してすら然程成長しないが……。

 将来を見据えながら、ベヒモスの魔石を回収。

 予定外の残業だったが、これで今日の影一の安眠は確保できるだろう。



 ――にしても、今日はよく働いたと我ながら思う。

 通常業務をこなした後、深夜に”雪原迷宮”へ無断侵入。無数の竜を退治し調査を行ったのち帰宅し、綺羅星の話を聞いて再びダンジョンへ。

 彼女の成長には感嘆したが、その後のベヒモス戦まで考えると明らかに働き過ぎだ。


 明日は仕事をせず、一日ゆるりと過ごして心身の健康に努めよう。

 適切な収入があれば、自由に休みを取れるのこそフリーランスの醍醐味。


 ……が、その前に――


 影一は無言でダンジョンを振り返る。

 熱閃と針攻撃、雷と神刃により荒れ果てたフロアを見渡しながら、影一はじっと――部屋の片隅で呆然としていた男に、狙いを定める。


「さて。本日最後の仕事を致しましょうか」

「っ、ひっ……!」


 影一の睨みに怯え、尻餅をつきながら後ずさりするのは、配信グループ”ナンバーズ”最後の生き残り。

 九条の元へ、眼鏡を押し上げながら影一はゆっくりと迫る。





 目撃者は影一と綺羅星以外、全員消えた。

 迷宮庁の先遣隊もまだ遠く、時間はたっぷり余っている。


 ――わざわざ命を助けた理由くらい、分かるだろう?


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