第52話 私欲

 影一は思う。

 仕事において、無能であることは罪ではない。

 与えられた仕事が出来ずとも、本人なりに努力し改善を目指しているなら構わない。


 仕事をサボる気持ちも、わからなくはない。

 最低限の責任さえ果たしてくれれば、影一も口を挟むつもりはない。


 彼がもっとも許しがたいのは――不始末をしでかした後、放置して見ないふりをする人間だ。


「分不相応な仕事に手を出した挙句、自分で処理できず、連絡もせず他人に迷惑をかけ、あとは知らぬフリ。私のもっとも嫌うタイプの一つです」


 仕事とは、臭いものに蓋をすれば消えるわけではない。

 水面下できちんと誰かが処理しているからこそ、トラブルは発生しないのだ。

 その仕事を、一体誰がしてると思っている?


 まったく、と影一はへたりこんだ男――九条を見下しながら、苛立たしげに口にする。


「小学校で習いませんでしたか? 赤信号は守りましょう。言葉遣いは丁寧に。他人に迷惑をかけたら謝りましょう。人として当たり前のことを、どうして守れないのか」


 はっきり言って――影一はいま、この愚かな男に大変苛立っていた。

 今までは、あえて見逃していた点もある。

 配信中という問題もあったが、この九条という男自身が、影一に直接危害を加えたことはなかったからだ。

 ……が、今回はあまりに度し難い。


「宜しいですか? ひとたびゲートクラッシュが発生すれば、多くの国民が犠牲になります。その中には私の行きつけのコンビニや、常用する電車。日々の買い物先、そして何より、私の愛する平穏が含まれる。……どういう意味か、わかりますか?」

「は? ……え? き、君はなんの話をして……」

「あなたの取った愚行は、私の日常を脅かす極めて危険な行動だということ。つけ加えて、その問題を解決するため――あろうことか、私がこの世で最も嫌う出来事を私に押しつけた」


 くい、と眼鏡を押し上げながら。

 影一は静かな、しかし明白な怒りをもって男を睨み付け――顔を歪めて、語る。


「この私に――深夜のサービス残業という、あってはならないストレスを与えた。万死に値する行為です」

「……はぁ?」

「医療職のように、残業がやむを得ない状況ならまだ理解します。自然災害なども、それに含まれるでしょう。が、今回は完全に他人の尻拭い、しかも当人は無自覚ときた。これほど許し難い罪が他にありますか? いえ、ありません」


 度し難い。

 全くもって、度し難い――


 淡々と語る影一に、九条の頬が引きつる。

 こいつは何を言っているのか、という顔だが……どうして、理解できない?


「オマケとしてつけ加えれば、あなたの取った行為は大量の無差別殺人未遂。……いいですか? 殺人というのは無差別に行うものでなく、社会に害悪をもたらす人間に対してのみ行うべきです。そこをはき違えてしまえば、ただのシリアルキラーと何の変わりもありません」

「……先生。一応言っておきますけど、殺人はなんでも犯罪です……」

「存じていますが、私の中ではそうなのです」


 全くもって、呆れる他ない。

 影一はただ、安心安全ノンストレスな毎日を送りたいだけなのに、どうして世の中はこうも面倒臭いのか。


 珍しく怒気を露わにする影一の傍で、亀の如き四肢をもつ巨獣がふたたび首を開く。

 新たに現れた影一に、ターゲットを定めたのだろう。

 その口に光が集まり、綺羅星が顔を引きつらせた。


「先生!」

「どうしましたか綺羅星さん。そんなに慌てて」

「お、お説教もいいですけど、モンスターが、」


 まずいです、と彼女が悲鳴をあげるのと同時。

 亀の魔物の口が大きく輝き、熱閃が放たれ――



「失礼」



 超高速のレーザーを、影一は……ぺいっ、と。

 素手でたたき落とした。

 ハエでも払うかのように。


「「……は???」」


 どういう原理か。叩かれたレーザー砲が影一の手首を起点にがくんと直角に曲がり岩盤を貫いていく。

 九条はおろか、さすがの綺羅星も呆然とする。

 心なしか、必殺技を台無しにされた亀のモンスターすら「???」と疑問符を浮かべたような顔をするなか。


 唯一平然としていた影一は、再び眼鏡の鼻を押さえ……


「あのですね。……いまは私がこの男と会話をしているのです。人の話は邪魔しない、というルールはきちんと守っていただきたい」


 まったくもって教育がなっていない、と溜息をつく影一に――



 ――グルォオオオオオオッ!



 亀の魔物が咆吼をあげ、巨大な角を掲げた。

 影一を正式な敵として認識したかのように。

 ……ああ、今のは自分の間違いだったか。些か、冷静さに欠いていたらしい。


「……失礼。モンスター相手に会話マナーを語るのは無意味でした。相手が人間であれば、話を聞かない馬鹿として対処するつもりでしたが、あなたは人間でなくモンスター。己の本能に則り攻撃をしてきた訳ですから、いまの私の怒りは不当でした。謹んでお詫び申し上げます」


 大変失礼しました、と。

 影一は謝罪のためモンスターへと直角にお辞儀をしたのち、インベントリを展開。


 そもそも、ここへ来た理由はゲートクラッシュの危険を排除するためだ。

 男の対処は後回し。まずはボスを退治すべきだろう。

 淡々と。

 いつものように。


「では綺羅星さん、私はあのモンスターを退治いたしますので、避難してください。……ああそれと、今回の戦闘は少々荒くなるかもしれません。私の気が立っているので、ストレス解消も兼ねさせていただきます」

「ストレス解消……あれを相手に……?」

「綺羅星さんが、私をどのような人間と捉えているかは分かりませんが。私はどこにでもいる、普通の元サラリーマンです。……ときに、つまらぬことで苛立つこともあるのですよ」


 そういう感情のさざ波を、影一はひどく嫌う。

 人生どんなに安心安全を望んでも、厄介事はかならず向こうからやってくる。


 そういった、人生における逃れ得ないストレスと直面した時、どうするか?

 決まっている。

 ストレスの元となる出来事を綺麗さっぱり排除する――人間、魔物問わずに、だ。


「では、ストレス発散を兼ねた退治と参りましょう」

「……先生。あっちの男の方は……」

「後できっちりカタをつけるために、わざわざ生かしたのです。一旦放置しますが、逃がさないように。それと……いい機会です。あれを試しましょうか」


 影一はゆっくりと、インベントリよりそれを取り出す。

 いつもの地雷や弓ではない。この強大なモンスター相手に、普段の武器では力不足。


 代わりに取り出したのは、大型の、全身黒塗りのクロスボウ。

 その最大の特徴は、なぜか矢を引くべき弦の部分が五本あることだろう。


 ――名を”竜孥砲りゅうどほう”。

 先日、綺羅星がチェーンソーを購入していた傍ら、NPCキャラクターことニャムドレー氏に作成して貰った影一専用の武器だ。


「では参ります。巨大な亀――前世の名は、地竜ベヒモス。大昔には多少苦労してソロ討伐をした覚えがありますか……いまの私の実力を測る意味では、悪くない相手かもしれません」


 改めてクロスボウを構え狙いを定める影一。

 その戦いは決して、正義や、人命のためではない。

 自分にとって面倒なことを消し、ストレスなく心地良い安眠を得るため。


 私欲のためだけに刃を振るう、それが影一普通という男の生き方であり、アイデンティティそのものだと笑いながら。

 巨獣ベヒモスに狙いを定め、影一はうっすらと唇に笑みを浮かべた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る