第48話 氷竜3
遡ること、少し前――
氷竜相手にひたすら逃げ惑う綺羅星を観察していた影一は、些かやりすぎたか、と珍しく考え込んでいた。
無謀であることは理解している。
ホワイト企業なら間違いなくパワハラ判定、即クビが飛ぶだろう。
影一自身、この手のやり方は好まない方だ。
……一方で、人生とは必ずしも順風満帆に過ぎるものではない。
理不尽な出来事は、いつだって予想していない瞬間に牙を剥く。
人として生きる以上どんなに安心安全を願っても”いざ”という時は訪れる。
その時に必要なのは、――人生経験に基づく、胆力。
患者の死を業務として受け止める、医師のように。
仲間が殺されようとも戦線を維持する、兵士のように。
それは座学や通常戦闘で教えられるものではない。
だからこそ、綺羅星に山場を経験させるべきだと考えた。
並の狩人でも裸足で逃げ出したくなる試練を与えれば、少なくとも学校の苛めっ子相手に遅れは取るまい。
――真の安心安全ノンストレスを実現するには、小細工だけでない地力がいる。
(まあ、頃合いをみて助けますが)
こんな仕打ちをしたのであれば、彼女に嫌われるのも当然。
最悪、弟子入りもなかったことになるかと、懸念していたが――
(まさか敵の口に飛び込んで舌を刺すとは。そのうえ私の救援まで利用するとは)
竜の口から綺羅星を救い、話を聞けば、なんと無茶なことを。
もちろん影一が救出をミスするなどあり得ないが、だからと自爆特効に活路を見いだすのは常軌を逸している。
それを、彼女は成し遂げた。――予想以上の成果だ。
影一は笑いを堪えきれない。
元々、彼女は逸材だと思っていたが……評価を上方修正する必要があるだろう。
「……先生、私の戦い方が下手すぎて、笑っているんですか」
「いいえ。優秀すぎたがゆえの喜びです」
「本当ですか……? でも私、こんなにボコボコにされてますけど」
「実力差が出るのは当然。その上でどう抗うかを見ているので構いません」
結果は出た。十分だろう。
彼女を雪原に降ろしつつ、影一はスマホを確かめる。
「ところで、綺羅星さん。そろそろ約束の三十分ですが、どうします?」
「え。どうするって……?」
「私の依頼は氷竜と三十分と戦うことで、倒せとまでは伝えておりません。そもそも無理筋であろうと判断していたので」
そうだったと思い出したらしい綺羅星の傍で、氷結竜が空高く飛び上がった。
自爆技からの復帰に時間を要したのだろう。氷結竜の肌や口元からはうっすらと紫色の煙が零れ、少なからずダメージを与えていることが窺える。
この後は、影一が氷竜を始末して帰宅する予定だったが……
「せっかくなら、倒してみますか。あの竜を。……氷竜の攻撃パターンはすべて、敵影を視認してからのもの。もちろん氷ブレス以外の攻撃も持ち得ていますが、その動きは決して早くありません」
光明を見つけたなら、彼女に最後までやらせたい。
影一のバックアップ付きとはいえ、彼女一人で格上の化物を相手取れた。その経験は、彼女にとって大きな経験となるだろう。
結果が全てとは言わないが、結果を出すことは自信に繋がる。
綺羅星が頷き、立ち上がった。
魔力は酷く傷ついているが、気力は十分。
「……頑張ってみたいです」
「了解しました。では私は優雅に見学しておりますので」
「そんなこと言って、本当に困ったときは助けてくれますよね、先生って」
「私はそんなお人好しではありませんよ」
影一普通は善人ではない。
が、目をかけている人間を見捨てない方が、心が気持ちいいのは事実だ。
「では頑張ってください、綺羅星さん」
「……はい! やってみます」
綺羅星が再びサバイバルナイフを片手に、氷竜へと駆け出した。
視認した氷竜が雄叫びをあげ、脆弱なる人類に牙を剥き――綺羅星はすかさず踵を返し、迷宮の物陰に姿をくらませる。
その後は、焼き直しと呼んで差し支えない展開が続いた。
氷結竜アイスオーグは標的をロストすると地上に降りる癖がある。モンスターとはいえあの巨体で常時飛行するのは、魔力を消費するのだろう。
その着地を狙い、一撃を与えて離脱。
弱点は口だけではない。眼球、耳、狙えるなら首筋の裏といった弱点部位を的確に狙い、氷竜がふたたび空を飛んだら身を隠す。
堅実なヒットアンドアウェイ。
そのうえ致命的なミスをしても影一が手を貸すのであれば、勝敗は見るまでもないだろう――
二時間ほどの奮闘の末、氷結竜の身体が紫色の煙となって消失した。
荒れ果てた雪原に手のひらサイズの魔石が転がり、綺羅星が膝をついて雄叫びをあげる。
……まさか本当に、倒せるとは。
回復ポーションを支給したとはいえ、二時間、継続的に立ち回れたのは素晴らしい。
大したものだ、と珍しく素直に感心していると。
綺羅星が汗塗れになった顔をあげ、ひび割れた眼鏡を抑えながら、ふと。
「なんとか、倒せましたけど。……こんな卑怯な戦い方、何か、役に立つんでしょうか。結局、先生の助けがなければ何も出来ませんでしたし」
「いえ。今回の件は綺羅星さんにとって、大きな財産となりますよ。……何はともあれ、今日はよく頑張りました。お疲れ様でした」
「……先生も、たまには人を褒めることがあるんですね」
「私は優れた成果を出した人は、素直に賞賛致しますよ。賞賛しない理由がない」
影一にとっても、彼女は人生ではじめて取った弟子であるぶん、色々と知見を得るよい機会となった。
褒めない理由がない、とうすく笑いながら、彼女に手を差し伸べる。
……今宵は、心地良い安眠を取れそうだ。
なんて、影一が考えたそのとき――
「……む」
微細な魔力の波動を感じた。
つられて綺羅星も、人工物めいたダンジョンの曇天模様を見上げ、
直後。
びり、とダンジョン全体を揺らすかのごとく轟いた波動に、影一が眉を寄せた。
「ひゃっ……!」
綺羅星が大地震でも起きたかのように膝をつき、影一が眉をひそめ――迷宮が、きしんでいる?
……この予兆は、まさか。
「妙ですね。ダンジョンボスが活性化している」
「え」
「ですが”雪原氷山”はまだ未開拓のダンジョンであり、ボスに到達した者もいないはずが……」
考えられる原因としては、何者かが”雪原氷山”のダンジョンボスとエンカウントし、目覚めさせた可能性が高いが……。
一体誰が――いや、考えるのは後で良い。
懸念すべきことは――ボス活性化による、ゲートクラッシュの可能性。
そして”雪原迷宮”がクラッシュすれば必然的にS級ダンジョン”凪の平原”も部分的なゲートクラッシュを起こすことになり、被害の程は計り知れない。
「せ、先生。これって」
「自然現象であるなら、文句は言いませんが。……万が一、どこかの馬鹿がしでかしたというのなら、度し難いにも程がある」
……やれやれ。
どうして面倒事は、毎回こうも重なるのか。
今日は綺羅星の成長を見届け、気分よく眠りにつくはずだったのに。
まったく、と影一は悪態をつきながら、綺羅星にもうひとつ魔力ポーションを手渡す。
「お疲れのところ恐縮ですが、緊急の仕事が入ったようです。いえ、正確にいえば私の仕事ではありませんが、本件を放置すれば将来、私にとって大変なストレスになる可能性があると判断しました」
「……そうなんですか?」
「S級ダンジョンは魔力内包量が高く、ゲートクラッシュの危険性は低いのですが、万が一が起きたら被害の程は計り知れません。……そうなると、私が愛用しているコンビニや弁当屋も被害に遭う」
「はい?」
「近所の弁当屋で、先日フライミックス弁当を頂いたのですが、中々美味しかったのです。日常の喜びは、ストレス解消の基礎。――それを回避するためであれば、残業も致し方ないでしょう」
人命救助のためとか、正義のために影一は動かない。
彼の動機はひたすらに、安心安全ノンストレス。異国で戦争が起きても眉一つ動かさないが、自宅の隣が小火を起こしたら消火の手助けくらいはする――自宅が燃えないために、だ。
全く面倒な、と影一はひとつ溜息をつきながら、事前に印したマップに基づきボスの元へと急行した。
――その先に、愚かな人間がいないことを望みながら。
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