第47話 氷竜2
その戦闘はもはや、防戦とすら呼べない一方的な展開になっていた。
地表に弾ける無数の氷弾。
力ある一撃は雪化粧に染まった大地を激しく揺らし、爆発とともに舞い上がる雪がもうもうと粉塵のように世界を曇らせてゆく。
その最中を、ひたすら転がるように逃げまどうのは、氷竜に追われる綺羅星だ。
「ひいい……っ!」
考える時間すらなかった。
敵は地上最強の生物、竜――その巨体は魔力をまとう翼によりゆうゆうと羽ばたき、制空権を得た魔物が地表を這いつくばる人間を見失うことはない。
対する綺羅星は、ひたすら爆発と雪に塗れ、いま自分がどこに立っているかすら分からなくなる始末だ。
立ち向かおう、という気概はとっくの昔に折れた。
今の綺羅星は、ただ闇雲に逃げ惑うネズミでしかない。
「た、助けてっ……!」
息を切らしながら横に走る。せめて敵のレーザー攻撃と、着弾爆発型のブレスが直撃しないように。
そして、追い詰められないように。
見渡す限りの雪原でも、ここはダンジョン。行き止まりの袋小路に追い詰められようものなら綺羅星の命は一瞬で終わりだ。
後方に光。魔力を察し、とっさに頭を伏せる。
青白いレーザー砲が頭上を掠め、遠方の壁に大穴を穿つ。
直撃こそ避けたものの、当たれば魔力全損は免れない。つまり――死ぬ。
「し、死にたくない……死にたくない……!」
カチカチと身体を震わせ、眼鏡を取り落としそうな勢いで走りながら――どうしてこんなことに、と涙が浮かぶ。
先生は、影一さんはどうしてこんな無茶振りを。
工夫しようにも、巨人とアリでは戦力に差がありすぎる。
いかに知恵を絞ろうと、人間に太陽を作ることが出来ないように。
人が空を飛ぶことが出来ないように、世の中には不可能なことが確かに存在する――影一は自分の実力を、見誤っているのではないか。
先生だって人の子だ、絶対的に正しいわけでなく、間違うことだって、
ぶん、と風をなぐ音。
振り返る。反応が遅れる。冷徹な眼光を輝かせる巨竜が、目の前に。
鞭のようにしなる尻尾が迫る。無理。避けられない。直撃。骨が砕け、魔力の全損する音が――――ああ、私、死んだ――――?
「目が覚めましたか? では再戦です」
気がつくと、綺羅星は影一に抱き抱えられる形で雪原の最中に佇んでいた。
……え。あれ?
私はいま確かに、殺されたような……
「綺羅星さんは間違いなくやられていました。なので私が、魔力回復薬を使いました」
「う……あ、ありがとう、ござ――」
「では戦闘の続きをどうぞ」
トン、と容赦なく地面に下ろされた。
その先、視界の全面を覆うように羽ばたく悪夢は、倒れる前と同じ。
巨竜がその口に再び青白い魔力を収束させ、綺羅星の命を再び奪おうとブレスを放つ。
考える間もなく逃げた。
「っ――!」
自分が死ねば。或いは死にかければ、影一が助けてくれるかもしれない――
期待がなかった、といえば嘘になる。
けれど……確かに影一は、命は救ってくれたが、それだけだ。
綺羅星が吹っ飛ぼうと横殴りにされ全身ズタボロにされようと手は出さない。
つまりこの化物を何とかしない限り、綺羅星はひたすら竜に殺され回復され、また嬲られ殺される。永遠の地獄だ。
身体は限界、全力で持久走を走り終えた後に短距離ダッシュをしてるかの如くきしみ、もはや自分が何をしてるのかすら分からない。
「も……ダメ……っ!」
綺羅星は耐えきれずダンジョンの通路へと駆け込み――行き止まりの壁にぶつかり、しまった、と焦る。
失敗。致命傷。壁際に追い詰めれれば、後はブレスや爪で煮るなり焼くなり好き放題されるだけ。
……せめて。せめて身を隠せる場所はと泣きながら、”雪原”ステージの壁を見つめ、
「っ……!」
洞穴を見つけ、飛び込んだ。
氷竜のレーザーが着弾し、壁が崩れたことで出来た穴だ。
綺羅星は洞穴の壁面にへばりつき敵の視認から身を逸らす。
無駄な抵抗だと思った。
そもそも袋小路に空いた横穴など、そこに隠れていると自ら宣言しているようなもの――人間相手なら馬鹿にされるに違いない。
ああもうダメだ、これで私の人生終わり――
震える奥歯を噛みしめ、訪れる死を覚悟し、
…………。
……。
(…………?)
攻撃が、飛んでこない?
横穴からわずかに魔力を飛ばし、察する。
――強大な魔力反応が、通路でホバリングしているのを感じる。
氷竜はたしかに綺羅星を追っている……が、追撃してこない。どうして?
ただ、横穴に隠れただけなのに……。
まさか。
こちらを補足していない?
……そういえば、先生から聞いたことがある。
ダンジョンに存在する魔物は、一般的に語られる生命体と異なる概念を持つ。
モンスターに生存本能は存在しない。ゲームに登場するキャラクターのように、決められた条件で攻撃を仕掛ける、防衛ロボットのような存在だと。
敵の姿形は様々だが、その行動には必ず一定のパターンがあるという。
……もしや、あの氷竜は……
相手を視認していないと、攻撃を仕掛けてこない?
ズシン、と鈍重な音とともに、横穴の外で雪が舞い上がる。
……もしやと気配を探れば――竜が地に足をつき、周囲を伺うように首を振っていた。
「……っ」
どくん、と、綺羅星の心臓が跳ねる。
敵が、降りた。
敵影をロストしたせいか、単純に飛行のための魔力消費を嫌ったのか。
ただひとつ言えるのは、空の上という圧倒的な優位を氷竜が自ら捨てた。つまり……
千載一遇の、チャンス。
綺羅星はインベントリを呼び出す。
反射的にチェーンソーを掴み、……違う、と手を離す。これは対人間用の武器であり、いま頼るものじゃない。
影一も語っていた。得意武器を持つことは大切だが、それに頼りすぎるな、と。
選ぶべきは、虫系モンスターに対する殺虫材のように、適材適所の得物。
でも、あんな巨体相手に最適な武器なんて……?
「…………」
最終的に綺羅星が取り出したのは、兎退治のときに用いたサバイバルナイフだ。
威力は心許なく、鋼より硬いと言われる竜の表皮に突きつけたところで弾かれて終わるだろう。でも。
綺羅星なりに状況を計算する。
氷結竜アイスオーグ。体表は極寒の鱗に包まれ、頭から首、尻尾に至るまで綺羅星の力では傷一つつけることも叶わない、圧倒的怪物。
全てを理解したうえで、綺羅星はナイフに魔力を込める。
……よし、と綺羅星は雪の滲んだ靴の踵を整える。
一呼吸置き、つい逃げ出したくなる自分の心を抑え――横穴より飛び出した。
相手も気づく。
綺羅星に狙いを定め、その口を大きく開いて魔力を収束させるレーザーの構え。
貫かれれば一瞬であの世行きとなる、彼女を幾度となく追い詰めたそれに、
「――っ!」
綺羅星は全力で突撃した。
敵の魔力がチャージしきるより早く雪を駆け抜け、その大きく開いた顎門へと自ら飛び込み――
その分厚く長い舌に、自らのナイフを勢いよく振り下ろした。
――ッガアアアアアア!!!!
氷竜の悲鳴が轟き、綺羅星は鼓膜をやられながらもにやりと笑う。
いかに体表が頑強な生物といえど、その表皮に覆われてない箇所はある。眼球。鼻。耳、そして口。
そしてご丁寧なことに、ヤツはブレス攻撃を行う際かならず口を開いく――自ら弱点を晒している。
ダメージを受けた氷竜が暴れ、綺羅星をかみ砕こうと顎を閉じる。
「くっ……こんな、こんなのっ……!」
構わず身を伏せ、口のなかに飛び込んだ綺羅星はさらにざくざくとナイフを突き上げ、分厚い筋肉で出来ている舌を貫く。
己の身もまた血塗れになりながら――ついにダメージを与えた証たる、紫色の煙が噴出した。
やった。ついに、一撃……加えた!
汗と涎塗れになりながらも一矢報いた興奮に、綺羅星が笑い、
直後――竜の口の中に、青白い光が輝いた。
「……へ?」
パチパチと火花散る音。
魔力特有の香りを捕らえた瞬間、光が炸裂し――竜の口で爆発が起きる。
氷結ブレスを、自らの口内で炸裂させる自爆技。
竜自身へのダメージすら厭わぬ強引な方法ながら、己自身および周囲の敵を一掃する”氷結竜アイスオーグ”の持つ必殺技のひとつだ。
直撃を受けた綺羅星は為す術もなく吹っ飛ばされ、ああ、これは確実に死んだ、と自らの命運を喩り――けれど。
「ふむ。今のは見所のある戦術でしたが、相手の口元に飛び込むのは、その後の展開を考えれば些か自殺行為では?」
「……いえ」
気づくと影一に抱えられていた綺羅星が、ふるりと首を振る。
敵の攻撃を顧みぬ蛮勇。命を惜しまぬ愚かな自爆特効。普通ならそう判断するだろう。……けど。
「私がああいう状況になったら、先生が助けてくれるはずですから」
「……ほう?」
「だって、先生は約束を守る人でしょう? 私は不詳の弟子かもしれませんが、だからといって簡単に見捨てるほど、先生は非情ではありません」
確信したのは、ついさっき殺されかけ影一に救われた時だ。
影一は綺羅星を冷たく見放す言動を取っていたが、致命的な場面では助けてくれる。
……その意図を、利用する。
「先生。確かにあのまま私が死んだら、無謀な突撃だったかもしれません。でも、先生を利用しての攻撃なら、立派なゾンビアタックになりますよね。だって、相手が死ぬまで続ければ勝てるんですから」
使えるものは使え、創意工夫をしろと言ったのは先生です。
そう言われた影一は、ほう……と珍しく眉を寄せ。
やがてその唇がうっすらと酷薄な笑みに代わり、くつくつと小さく笑い出す。
「……先生?」
「失礼。成程、私を利用するという方法は思いつきませんでした。やはりあなたは賢い。それに度量もある」
「……そう、ですか?」
「ええ。いくら自分が助かる可能性があるといっても、一歩間違えば死ぬことを前提に作戦など立てれるものではありません。発想が狂っている――やはり綺羅星さんは面白い」
あなたを弟子にして良かった。
影一が珍しく本音の褒め言葉を零し――綺羅星はその一言に、ぐっと喉に詰まるものを覚えながら、再び大地に足をつけた。
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