第36話 力
「先生。あの人達、すこしは反省するでしょうか?」
「無理でしょうね。私個人の経験則ですが、失敗の原因について過度に他責する人間は、おなじ過ちを繰り返す傾向にあります。まあこれは過度な自責も同じですが」
救いようがありませんね、とネクタイを整える影一を横目に、私はどうなのだろう?
と、綺羅星は己を振り返る。
ナンバーズとのトラブルを迷宮庁の役人に引き継ぎ、仕事は無事に終了した。
職員さんの話によると、ナンバーズの大男――八崎勤は公務執行妨害により身柄を拘束されたという。
ただ実際のところ、公務執行妨害による拘留期間は短いらしく、また不起訴になる場合が殆どなのだとか。
「……納得いきません。向こうははっきりと攻撃してきたのに……」
「結果的にこちらは傷一つ負ってませんからね。また、私は彼等が襲撃を企んでいたと想像してはいますが、実際に襲ってきたわけではありません。……ああいった社会の害悪は、早めに焼却処分しておくのが平和のためだと思うのですが……逮捕されたとはいえ、数日経たずに出てくると思いますよ」
何なら消しても良かったが、迷宮庁の公式クエスト中に行うのはリスクが高い。
まあ、あの様子なら配信事務所もクビ、ライセンスも剥奪だろうが。
そんな彼を見ながら、ふと、綺羅星が呟く。
「……先生。話は変わるのですけれど」
「はい、何でしょう」
「……私って……いつか先生のように、強くなれるでしょうか?」
今回の件を通じて、綺羅星は大きく痛感した。
――望んでなくても、厄介事は向こうからやってくる。
それに抗うには、力が必要だ。
影一が悠々自適に生きていける理由は、それに見合う実力を持つからだ。
ナンバーズのような厄介者を軽々とあしらえる力。
掃除屋としての実績。
モンスターに対する知見の深さ……。
先生のレベルは聞いたことないけれど、公式の魔力測定を受けたら、50くらいあるのではなかろうか?
……いまの綺羅星では、とても追いつける気がしない――
「ふむ。強くなるのは必要ですが、私のように強くなる必要はないと思いますね」
「でも、強くないとダメ、って……」
「確かに、暴力は非常に分かりやすい力ではあります。が、強さというのは暴力や魔力のみを示すものではありません。――例えば人望。コミュニケーション能力。知識や経験。若さ。そういった要素も実力に含まれます」
電車を降り、アスファルトを歩きながら、本物の先生のように語る影一。
……若さ? コミュ力?
「その点で考えますと、綺羅星さんには私にはない力があるとも言えます。……例えば電車の中で、あなたが私を痴漢呼ばわりして悲鳴をあげたら、どうなるでしょう?」
「え。そ、そんなことしませんけど……」
「仮定の話です。綺羅星さんは日々学校で真面目に過ごしており、先生や親御さんの覚えもよい。そんな少女が、いかにもくたびれた背広男に襲われたと聞けば、多くの人があなたに味方することでしょう」
それもまた力です、と影一は笑う。
人間は感情で動く生き物だ。
証拠がなくとも、いたいけな少女が涙を流せばそれだけで、人の心は動かされる……というのが、影一の持論らしい。
「卑劣なやり方なのは認めます。あなたが気に入らなければ、使わなくてもいい。……ですが、覚えておいてください。――世に蔓延る卑怯者の多くは常に、自分を“可哀想な被害者”とし、我々を“悪辣な加害者”だと訴えてきます。……そして綺羅星さんも、その気になれば同じようなことが出来るでしょう」
まあ、そのようなことを私に仕掛けてきた人間は、必ず消しますが。
微笑を浮かべる影一に、綺羅星はうっすらと寒気を覚えつつも――自分も彼のようにありたい、と、ぼんやりとした憧れを抱きながら帰路についた。
*
自宅のベッドに寝転び、綺羅星は二週間の春休みを振り返る。
……濃密な日々だった。
影一とともに修行を行い、武器を新調し、実際にダンジョンへ足を踏み入れた経験は、今までの綺羅星では考えられないほど生死に結びついた日々だった。
モンスターと刃を交え、獲物を裂く手ごたえ。
倒した魔物は魔石になるので、命を奪ったという感覚はないけど……それでも人生初の戦は綺羅星にとって重く、学校の授業なんか比べ物にならない実感があった。
それに、ナンバーズという迷惑集団とのやり取り……。
綺羅星一人なら確実に襲われてたであろう連中を、当たり前のようにあしらう影一。
……善悪という点で考えれば、影一普通は悪人だ。
相手に害意があったとはいえ先制攻撃でトラップを仕掛け、迷宮を崩落させ、そのうえ自分は潔白ですと嫌がらせのように迷宮庁職員の前で笑顔をみせる。
しかも平気で、人を殺す。
まさに生粋の悪人。
綺羅星の母親なら、蛇蝎のごとく嫌う相手だろう。……けど。
(先生は、嘘はつかない)
ベッドでごろごろ転がり、抱き枕をぎゅっと掴む。
先生は母親のように「あなたの自由にしていい」と言いながら遠回しに愚痴るようなことはしない。
友達だといいながら遠回しに虐めることも、お前しか頼れる奴がいないと半笑いを浮かべながら面倒事を押し付けてくることもない。
委員長だからと無理難題を押しつけてくることもない。
影一普通は明らかに”悪”だが、同時に誠実で……優しい。
……自分もあんな風に、堂々とした人間になれるだろうか?
はぁ……と、溜息が零れるのは、明日から学校が始まるからだ。
綺羅星は新二年生となり、また憂鬱な生活が幕を開ける。
影一との研修は放課後、もしくは休日に限定されるだろう。
それは仕方ないにしても、綺羅星が一番いやなのは――
スマホが震えた。
表示された名前を確かめ、心臓がどくんと震える。
激しい動機はやがてじんわりとした黒い濁りへと変わり、綺羅星の喉や舌を絡めとり冷や汗となり――震えながら、十コールほど続いた『鎌瀬姉見』と記された通話ボタンを押す。
『見てないでしょうね』
鋭い声に、何の話かわからなかった。
「姉見さん? 何の話で……」
『何って、あんたのせいであたし、この前ダンジョンで大けがしたのよ!!』
「え」
『あんたは知らないだろうけどね。あの後あたしと妹屋でわざわざあんたを探しに行ったのよ。ダンジョンの奥まで! そしたら突然、罠にかかって攻撃を受けたのよ!?』
「…………」
『わざわざ専門の病院に行ったら「なんでダンジョンに無許可で入ったんですか」って詰められるし……そんなの、お嬢とあんたが誘ったからで、あたしは行きたくなんかなかったのに!』
全部あんたの責任だから。慰謝料あとでもらうからね。あたし被害者なんだから。ひどい。ひどい。
一方的にまくしたてられ、綺羅星は唖然としながら――
こいつは、何を言ってるんだ?
責任って……そもそも私を突き落としたのは、そちらでは?
『ねえ聞いてるの? 責任、取ってくれんの?』
「そ、そういわれても。……その前に、姉見さん。ひとつお聞きしたいのですが」
『今あたしが話してんの、あんたの話聞いてないんだけど』
「私を。落とし穴に突き落とした件については…………何も、ないんですか?」
綺羅星はあえて、意地悪な言い方をする。
普通、何かあるだろう。
悪いことをしたら謝るのは、小学生でも出来ること。
しかも彼女たちが行ったのは、謝るくらいじゃ許されない殺人未遂。証拠がないので訴えることはできないが、綺羅星はあの恐怖を今もハッキリと覚えている――
『は? あのさぁ~。そんな細かいこと、今どーでもいいっしょ?』
「…………は? ……細かい……こと……?」
『だってあんた結局無事だったんでしょ? ならいいじゃん、あたしなんか大怪我したのよ!? しかもあたし、あんたを探しに行って怪我したのよ、こんな酷い話あると思う!?』
怪我のせいで春休み中ろくに動けなかった。毎日更新してるインスタも初めて休んで、フォロワーが減ったし家族から文句言われるしもう最悪。
学校からも、どうしてダンジョンに入ったんだって叱られて……。
『ねえ。あたしがこんだけ言ってるのに、なんで謝んないの? もしかしてあんた、自分は悪くないとか思ってない』
「……ぇ」
『別にいいけどね、委員長がそういう態度なら。……いいの? 新学期始まって、学校くるの大変になっちゃうかもよ? 妹屋もおなじ気持ちみたいだし、あんまり怒らせない方がいいと思うんだけどなぁ』
ねっとりと耳の穴をほじくるようにささやかれ、綺羅星は理解できず困惑する。
この人は、いったい何を言っている?
ダンジョンに行きたくないと伝えたのは綺羅星だし、そもそも彼女達が被害にあったのは綺羅星を突き落としたからで――
『委員長がそんな人だと思わなかったな。“友達”だと思ってたのに』
「っ……」
『ま、忠告はしたからね。新学期、楽しみだね』
けらけらと姉見が笑い、通話が切れた。
呆然としながらスマホを放り捨てた綺羅星は、じくじくと痛む胸を抱えながらいまの会話を思い返し、自分の何が悪かったのか考える。分からない。分からない。
天井を見上げながら、いくら考えても答えは出ない。
ただ……
――世の中にいる卑怯者の多くは自分を“可哀想な被害者”とし、我々を“悪辣な加害者”だと訴えてきます。
私は、そういった連中は許さない――
影一の言葉に、綺羅星はぶるりと震える。
先生なら、本当に許さないことも可能だろう。
殺人をもいとわぬ神経を持ち、それを実行する力を持っているのだから。
……けど、未だダンジョン探索を始めたばかりの新人が。
“友達”のフリをした凶悪なモンスターに学校で絡まれたら、どうすればいい……?
布団をかぶり、分からない、と声を震わせる。
……影一には相談できない。ダンジョンのことで迷惑をかけているのに、学校の、私生活のことまで相談なんてとても出来ない。
かといって親にも相談できない。……どうしたら。
(私、やっぱり弱い)
力が欲しい、と切実に思う。
影一の語るような、コミュ力だとか真面目さみたいな曖昧な力じゃない。
彼のように暴力的かつ絶対的な、何者にも負けない力――それを手に入れるには、どうしたら良いのだろう?
陰鬱な気持ちになりながらベッドに突っ伏し、綺羅星はぎゅっと枕を抱きしめながら顔を埋め――結局どうしようもないまま、知らぬ間に眠りに落ちた。
唇の奥に、なぜかじんわりとした、血の味を覚えながら。
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