第37話 調査

「後藤先輩。まだ調べてるんですか?」

「根拠はないが、違和感が残る。そこまで気にすることではないと思うが……」


 影一達が“ナンバーズ“と、一悶着を起こした数時間後。

 迷宮庁治安維持課係長、後藤は”凪の平原”にある崩落現場を訪れ、瓦礫に触れながら顔をしかめていた。


 人の持つ魔力には指紋のような個人差が存在する。

 まだダンジョン学として正式に研究結果が出ている訳ではないが、魔力のもつ特有の香り、手触り、肌感覚――いずれも個人差があることは、経験則として知られている。

 それを調べているのだが……


「確かに、先輩の魔力ってごつごつしてる感じありますもんね。岩みたいな」

「そういう虎子の魔力には、愛嬌があるがな。愛嬌、という言葉を感覚で語るのも不自然だが」

「おだてても何も出ませんよ? それで先輩、目的の魔力残滓は見つかりましたか?」

「いや。時間が経っているからすでに魔力は消えているな。結局、理由は分からずじまいだ」


 調査しているのは、ダンジョンの壁が崩落した原因そのもの。


 逮捕したナンバーズ、八崎勤によれば、崩落は影一普通が仕掛けたトラップによるものだという。

 ただし具体的な内容は不明……というより、本人達も理解していない節がある。


「やっぱり言い訳じゃないですかね? 自分達を追いつめた影一さんを、犯人に仕立て上げるための」

「俺もそう考えたが、すると何故、ダンジョンの壁が崩落したのか理由がつかん」


 迷宮の壁は非常に強固だ。

 “洞窟”のように元々崩落しやすいギミックが組み込まれている地域はともかく、“平原”ステージに並ぶ高い生垣のような迷宮壁を破壊するにはかなりの出力が必要になる。

 正直、ナンバーズの連中如きにできるとは思えない。

 モンスターが破壊することもまずないし、事故というのも腑に落ちない。


「でも先輩。あの影一さんという狩人が壊した、というのも変だと思いますけど。……あの方、狩人ランクB級ですよね? 言い方は失礼ですけど、普通というか」

「ああ。……が、気になる情報もある。迷宮庁の履歴によれば、彼は掃除屋としての依頼達成率がきわめて高い」


 ダンジョン掃除にトラブルはつきもの。

 難易度D級と申請があったにも関わらず、突入してみればB級上位だったといった難易度誤認。

 想定と明らかに異なる深さを持つダンジョンに遭遇した、攻略中に前触れなくダンジョンの崩壊が始まった――危険の絶えない仕事である。

 当然、全て成功させるのは至難の業だ。


 だが……影一普通の関わったダンジョンのクリア成績はおよそ九割以上。

 これは異常な数値だ。

 仕事熱心な男、その一言で済ませられれば良いのだが――


「うまく言語化できないが……あの男には違和感がある」

「でも先日の説明会で、魔力をチェックした時はごく普通でしたよ? 隣の女子高生も素人でしたし。うっかり私に喧嘩売ってきたのは、面白かったですけど」


 後輩の語る通り、影一普通はごく普通の狩人だ。

 平均的な、どこにでもいる……スーツ姿は珍しいが、依頼主に対して清潔感をもたせるためと言われれば納得もする。

 そう、本当に普通――普通だが。


 彼を見ていると、後藤の直感が囁くのだ。

 ……この男と戦ったら、自分は勝てるのか?


 当然イエスと答えるべき質問に、確信が持てない。

 迷宮庁にて相応の地位にあり、レベル50に至る自分――日本でも数少ないS級狩人に属する後藤が、直感的な勝機を見出せない……いや、はっきり言おう。

 戦ったら勝負にすらならない、というビジョンがぼんやりと見えるのだ。


 気のせい、かもしれないが……。


「先輩すみません、お仕事中ですがモンスターです」


 虎子の声に振り返れば、現れたのはいつもの草原ゴーレムだ。先の掃討作戦で倒し損ねた、生き残りだろう。


 ゴーレムが巨足を踏みだし、兎とともに駆ける。

 拳を引き、軽く腰を落とす後藤。そこに、


「“動くな!”」


 虎子の号令が響き、兎達の足が鎖に囚われたように鈍る。


 虎子の担当はデバッファーだ。

 声に魔力を乗せ、敵に対しデバフをかけるサポートスキル――効果量は高くないが、その真髄は応用力の高さ。

 あらゆる言語を魔力化し、相手に枷を与えるスキル”否定の声”は異常なほどバリエーションに富み、敵をかく乱するには最適なスキルだ。


「“目を回せ!”」


 立て続けに虎子が叫び、速度低下に続いて敵集団を“混乱”状態へ陥れる。

 兎は状態異常系の耐性が低く、その場でくらりと酩酊したようにふらついた。


 その隙に、後藤はゴーレムへと駆け寄り、すうっと深く呼吸を行い、


「――活!」


 空気を吐き出すとともに、渾身の正拳突きを叩きこんだ。

 純然たる物理攻撃。

 草と岩で守られた巨体に、無謀とも呼べるその一撃は――空気を震わせ、穿ち、拳に乗せた魔力をもってゴーレムの体躯に風穴を開ける。


 グオ、と巨体が衝撃にゆらめき、倒れた。

 その隙に後藤は空高く飛び上がり、ゴーレムの核たる頭部にふたたび拳を叩きつける。


 純粋。一途。岩の如く。

 他人に呆れられようと笑われようとも小細工ひとつなく敵を粉砕する戦い方こそ、後藤にもっとも相応しいものであり――融通が効かないその補助を、虎子が庇う仕組みである。


 ゴーレムが倒れたことで、兎達がびくっと震えた。

 その隙を逃さず、後藤は風のごとく突進し兎達を次々と刈り取っていく。





 ひと段落ついた頃、虎子がお疲れ様ですと声をかけてきた。


「やっぱり先輩は強いですね。私はいつも、サポートしか出来ませんから」

「いや。いつも虎子のおかげで助かっている」

「本当ですかぁ? でも先輩って、本気出したら大体一人でなんでも出来ちゃいますよね?」


 そんなことはない。

 後藤一人でも倒せなくはないが、ダンジョンではいつでも万が一が起こりえる。

 そんな時、彼女がいるとどれだけ心強いか。


「一人でも倒せなくはない。だが、背中を任せられる相手がいるのは、有難い」

「え。あ、……そ、そうですか……?」


 返ってきたのはあいまいな返答。

 見れば、虎子はなぜか頬を搔きながら、後藤の視線より逃げるようにそっぽを向いて――


「どうした、虎子――」

「えっと。み、“見ないで”ください」


 ざざ、と後藤の視界にもやが走る。

 突然のスキル発動に驚いていると、虎子がくぐもった声で、ぼそりと。


「今のはちょっと、うれしかったので。……少し、顔が赤くなったので」

「……そうか」


 この副官は優秀だが、たまに、勘違いさせるようなことを言う。

 上司として注意すべきかと思いつつも、個人の趣向にまで口を挟むのはコンプライアンス違反かとも考え、後藤は小さくうなりながらも黙るのだった。



*



 “見ないで“


 スキル宣言とともに、ざざ、と双眼鏡にノイズが走ったのを見て――影一は珍しく眉を曇らせた。


(監視がバレたか……? いや、偶然か)


 気づかれた様子はない。

 今のノイズは、女の方の固有スキルが別の理由で悪さをしたのだろう。


 彼女のスキルは後藤と異なり、範囲が広い――予測が立てづらい。

 自分の予想範囲を超える攻撃、或いはその可能性を秘めた要素を、影一は安心安全の面からとても嫌う。


 さらに、彼等が迷宮壁の崩落調査をしている、ということは……影一の犯行の可能性を疑われている、ということ。

 確信までは、持たれていないだろうが……。

 今後はより注意して活動しようと心を改めつつ、影一はさて、と背伸びをする。




 綺羅星とともに行った、迷宮庁主導の掃討作戦――

 それが単なる前座であることは、理解している。


 本題に入りますか、と、影一は音もなくその場から姿を消した。


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