第18話 甘美

 ……。

 …………。


 待って。冷静に考えたら、犯罪じゃない!

 いくら憎い相手だからと、クラスメイトに毒ガスをぶっかけるなど、人としてやっていいことではない。


 綺羅星は慌てて首を振り、邪な妄想を打ち消しはぁはぁと息継ぎしながら、とんでもない提案をしてきたサラリーマンを押し返す。


「影一さん……やっぱり、ダメです。人に向かって殺虫スプレーなんて」

「ふむ。確かに、彼女らに対して殺虫スプレーは無粋でしたか」

「です、です!」


 よかった。ただの冗談だったらしい。

 人に毒ガスを噴射するなんて、それこそ悪名高い国家元首でもなければやらないようなこと。


 それに――あのまま殺虫スプレーを握らされていたら、綺羅星は過ちを犯していたかもしれない。

 ……そんなことは決してないけど。

 綺羅星は母親からも先生からも、クラスメイトも認める良い子だ。そんなことは、あり得ない――



 ドスン



 隣で物音。

 影一がインベントリに殺虫スプレーを収納する代わりに……見慣れた灯油タンクのような箱と、ノズル?


 彼が、にこやかな笑顔で説明した。


「虫でなく対人なら、やはり火炎放射器を使わないと礼儀に欠けるというもの」

「!?」

「人間なんて燃やしてこそですからね。そう思いませんか?」


 何が、燃やして”こそ”なんだろう?


「ちなみに、こちらは使用者の魔力を用いて噴射するタイプのものですので、綺羅星さんの保有魔力では彼女を殺しきれないと思います。まあ服は焼け焦げるかもですが、それも愛嬌のうち」

「あ、愛嬌……?」

「こっちは死にかけたのです。丸裸で逃げ出すくらい、可愛いものでしょう?」


 な、何この人。頭おかしい……。

 出会った時からちょっとズレてるとは思っていたけど、――そんな、そんなのって……。


 目を剥いて口をぱくぱくさせる綺羅星に、影一はどうぞと自前の火炎放射器を進呈する。


「…………」


 外見は、灯油タンクにホースを繋ぎ、先端に大口径の発射口をつけたロケットランチャーのようなもの。

 トリガーを引けば一発で火を噴くと理解できる外見が、綺羅星を誘うように、なまめかしい光沢をぎらつかせている。


 ……もちろん、気のせい、だと思うけれど。


「どうされます? 全ては綺羅星さんの自由意志ですので、お断りするならご自由に。まあ私なら遠慮なく害虫駆除に走りますし、”ハイドクローク”のお陰で相手に見つかる心配もありません。クラスメイトに犯人だとバレることなくお仕置きできるよい機会だと思いますが、価値観の押しつけは宜しくありませんからね」


 当たり前のように笑いながら、眼鏡を押し上げる影一。


 ……けど、バレなくても犯罪は犯罪だ。

 お天道様は見ているし、クラスメイトを半焼させるなんて人道に反してるし、復讐からは何も産まれない。

 一時の感情に流されて、一生を棒に振るのはバカのやること。


「……。……」


 そもそも、真面目で心優しいのが取り柄の綺羅星に、こんなものを扱えるはずがない。

 うちの両親も散々、口にしているではないか。


 ――うちの娘は、悪いことなんて絶対しないから。

 ――真面目なだけが取り柄なの。

 品行方正な委員長。融通が効かない、臆病で陰鬱でいつも一歩前に踏み出せないのが綺羅星善子という人間だ。

 それでも真面目に生きていれば、きっと、誰かが助けてくれる……


 だから。

 こんな悪いことは絶対、綺羅星の人生にあったはならない。


 それに、もしバレたら……あの真面目な委員長が、人を焼くなんて。

 真面目な顔して、いつかやると思ってました――なんて言われたらもう、綺羅星は生きていけない。


 だから。

 たとえ目の前に、憎き姉妹がいたとしても……


「――――ふぅ……」


 ゆっくりと、深呼吸を挟む。

 ……大丈夫。

 私は、まっとうな人間だ。うん。


 無意識のうちに握りしめていたトリガーから、そっと力を抜く。

 ようやく思考を整理し終え、影一へにこりと微笑んだ。


「……すみません、影一さん。私にはやっぱり、できません。……だって私は学校で委員長って呼ばれるしかない、真面目に生きてくことだけが取り柄の、ただの女子高生ですから」


 そう。

 私の人生は、これでいい――




「ねえ、お姉。お嬢にはなんて説明するの」

「んー、ダンジョンに実は彼氏連れ込んでヤッてた、でいいんじゃない? あ、学校でもそう説明するといいかも! あの真面目な委員長がじつはセックス三昧って超アガんない?」

「いいね。相手は年上のおじさんにしよう。不細工な。真面目な眼鏡委員長がパパ活。売れる」

「いいねいいね、友達に頼んでAI写真合成して学校のアカウントに流そうよ、高く売れるって、どうせもう死んでるんだし金にな――」


 綺羅星はトリガーを引いた。




「「ぎゃあああああああっ!!!!」」




 噴出された業火はあっという間に害虫共を包みこんだ。

 悲鳴をあげ、火だるまになりながら転げ回る鎌瀬姉妹。


 熱い、何これ、と悲鳴をあげながらぎゃあぎゃあと泣き叫ぶ虫共に綺羅星はずかずかと近づき、無表情のまま地面に転がる奴らに二度目の火炎をぶちまける。


 ダンジョン内の物理現象は、その多くが魔力に変換される。

 肌を焼かれても重度の熱傷にはならず、魔力ダメージを受けるのみ。魔力が全損――HPがゼロにさえならなければ、生きていけるという。


 ただし。

 生きたまま焼かれる感覚は、現実のそれと変わらない。

 激痛を伴う熱と咽せるような息苦しさに、虫共は立つこともできず哀れにも悲鳴をあげゴロゴロと地べたを転げ回っていた。

 その地獄を、綺羅星は無表情なまま作業でも行うように。

 逃げ惑うやつらを追いかけ、ひたすらに炎をぶちまけていく。




 やがて、かちっ、と燃料切れを起こして炎が途切れると、綺羅星はその手に持った火炎放射器を勢いよく振り上げ、ごすっ、どすっ、と得物に向けて何度も何度も振り下ろした。

 金属バットで頭をかち割らんとばかりに殴打し、叩きつけ、自らの腕が痛もうとなお振り下ろす。


「痛い、痛いっ! なに、なこれっ!」

「お姉助けて、助けてえっ」


 ノズルの金属がへし曲がってもなおひたすら殴打を続ける綺羅星。

 そして最後に残った燃料タンクを両腕で持ち上げ、鎌瀬姉見の顔面めがけ石でも降り下ろすように全力で叩きつける。


 姉見の鼻から血が吹き、顔面がヘコむほどボコボコにされた姉妹は、その制服を哀れにも肌を露わにしたまま――


 悲鳴をあげ、転げるように、迷宮から去って行った。





「っ……!」


 姉妹らが逃げられたのは、綺羅星のレベルが低いせいだ。

 影一が助言した通り、火炎放射器に込められる魔力総量が少ないので、致命傷にはならない。


 そんなことは、どうでもいい。

 ぶるり、と綺羅星は逃げた姉妹を見送りながら、自らの身体を抱きしめる。


 ……やってしまって。

 私は、とんでもないことを。

 怒りにまかせ、相手に一方的に暴力を振るうという最低最悪な行為に手を染めてしまった。


 誰もが嫌悪し顔をしかめる、非道にも程がある蛮行。

 真面目な委員長という人物像にあるまじき、悪。

 罪。

 愚行。

 決してやってはいけないこと。




 なのに、ああ。

 なんと甘美で、心踊る最っ高の行為なんだろう――




「どうでしょう。少しは気が晴れましたか」

「っ……!」


 興奮に打ち震えていた綺羅星に、影一がさらりと笑う。


「人生を生きるというのは、ただ安心安全に過ごせば良いものではありません。順法精神。他者への献身。おおいに結構。しかし、それでストレスを溜めて己の人生を棒に振るのはあまりにも勿体ない、と常々思います」

「…………」

「一度きりの人生を、健康的かつ心穏やかに生きるためも――暴行や殺人というのは、社会に迷惑をかけない範囲でカジュアルに行ったほうが良いと思いますけどね、私は」


 まあ、この価値観は誰にも理解されないでしょうが。

 平然と語る影一に、綺羅星は――そもそも殺人の時点で社会に迷惑をかけているのでは、とも思う。




 背広姿の、いかにも真面目そうなサラリーマン風。影一普通。

 彼はその名と見た目に反し、倫理観が完全に壊れている。

 バレなければ犯罪でないからと、平然と人に牙を向け、それを他人に勧めるような人がまっとうな人間のはずがない。


 本来の綺羅星であれば、蛇蝎のごとく嫌うべき、異常者だ。


 ……なのに。

 彼の主張に、こんなにも心惹かれてしまうのは、どうしてだろう……?





「さて。程よく息抜きできたところで、本題に参りましょうか」

「え……と。何、でしたっけ」

「仕事です。私の業務はダンジョンのボスを退治すること。そのために、例の配信者を追いかけている最中です」


 今のは道中で出会ったモブ雑魚モンスターですよと言われ、そうだった、と荒ぶる高揚感を抑えながら、綺羅星は男の背中を追いかける。


 ごく平凡なスーツ姿の背中が、いまの綺羅星には妙におぞましく――

 同時になまめかしくも魅力的に見えたのは、彼女の気のせい、だけでは済まない何かを秘めている気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る