第12話 友達3

 素人ながらにおかしいと気がついたのは、綺羅星が”森林”ダンジョンに足を踏み入れて十分が過ぎた頃だった。

 ダンジョンは基本的に、モンスターの巣窟だ。

 モンスターはダンジョンに満ちた魔力から誕生するため、ダンジョンが存在する限り、モンスターもまた存在する。


 例外は、直近で他者がモンスターを倒した場合のみだ。理由は、もちろん。


「……姉見さん。妹屋さん。このダンジョン、誰かが攻略してるみたいですけど……」

「そりゃあダンジョンアタックで配信してるんだから、誰かいるっしょ」

「委員長あいかわらずバカ。ナンバーズの先輩がやってるに決まってる」


 だとしても、綺麗すぎないだろうか。

 モンスターは倒したら消滅するとはいえ、一匹残らずきっちり駆除している――まるで仕事熱心な掃除屋でもいるかのように、森の迷宮からは魔物の気配が感じられない。


 ……そのせいで、綺羅星達はだいぶ先に進んでしまった。

 様子見の段階はとうに越えている。


「姉見さん。妹屋さん。そろそろ入口に戻りませんか? モンスターもいないみたいですし、あまり進むと城ヶ崎さんとの合流が遅れてしまいますし――」

「お姉。宝箱、見つけた」


 振り返れば、妹屋がたまたま触れた雑木林――見えないダンジョン壁になっている部分に手を当てている。

 どうやら触れると中を抜けられる隠し通路になっているようだ。

 綺羅星も雑木林のような触れると綺麗にすり抜け、その先にちょこんと宝箱が置かれていた。


 ラッキー、と笑う姉見に対し、綺羅星は思わず身を引く。


 ダンジョン学の先生が話していたが……

 ダンジョンにおける二大死因は、モンスターに襲われることと、迷宮のトラップに引っかかることらしい。


 中でも宝箱周辺は罠が多いことで有名だ。

 自分達みたいな素人は近づかない方が――


「ほら委員長、とってとって」

「え……待ってください。宝箱周りは、トラップが多いと聞きますし、危険かも」

「でもレアアイテムかもよ? ダンジョン産のアイテムって、安くても数千とか数万で売れるらしいし。委員長お金ほしくない?」

「い、命には替えられません……」

「そんな簡単に死なないってぇ。ほらほら、いったいった」


 槍で小突かれ、綺羅星は渋々前に出ながら顔をしかめる。


 ダンジョンに、モンスターが一匹もいない。

 先行している人の名は知らないが、おそらく、その人物は徹底してモンスターを駆除しているのだろう。

 それほどの実力者が、隠し通路の宝箱を見落とすだろうか?



 綺羅星は構えていたタワーシールドを背負いなおし、木の根蔓延る床に膝をつく。

 トラップは、宝箱周りを除けば地面設置型が多いらしい。

 素人が見て分かるものとは思えないが、念のためざらつく地面を右手で撫でながら、何か無いかと探すと……。


「っ……!」


 指先に違和感。

 正しくはか……同じ床だけれど、触れた感覚が妙に軽い。

 リノリウムの張られた床から、急にトタン板へと変わるような心許なさ。これは……。


「姉見さん。妹屋さん。落とし穴です。……やっぱり、罠がありました」


 改めて地面を押すと、僅かにぐらぐらと揺れているのが見えた。

 カモフラージュされているが、このまま足を踏み入れれば、綺羅星は今ごろ奈落の底だったことだろう。


 トラップに気づけたことに安堵し、同時にぶるりと震えた。

 ……魔物がいなくても、ダンジョンは危険だ。素人が入るべき場所じゃない。


 城ヶ崎の件もあるし、友達だといってもこれ以上付き合うのは危なすぎる。

 何より、綺羅星だって怪我をしたり、万が一でも死ぬのは怖い――


「……あの。姉見さん、妹屋さん。やっぱりダンジョンは危険です。今すぐにでも帰り……」

「ラッキー。さすが委員長、ついてるね。手間省けたって感じ?」

「え?」



 ――ドン、と背中から蹴り飛ばされた。


 つんのめった綺羅星は、当然ながら足を前に踏み出さざるを得ず――


 ガコン、と口を開けた落とし穴に吸い込まれる。


「ひいっ!?」


 綺羅星はとっさに振り返り、木の根蔓延る大地にギリギリでしがみついた。


 もちろん、普段の綺羅星にハリウッド映画じみた崖つかまりなど出来るはずもない。

 が、ダンジョンの授業で魔物を倒した経験のおかげか、レベル5程度の魔力と身体能力をもつ綺羅星は、なんとか――済んでのところで、身体が動いた。

 でも。

 どうして。一体何が――


「っ……あ、姉身見、さん?」

「うわしぶとい。ゴキブリかよ。委員長って案外あきらめ悪いし手癖も悪いよねぇ」

「っ……!」


 何かの間違い――期待しながらしがみつく綺羅星の指を。

 姉見が、靴底でぐりっと踏みつける。


 なんで。え、どうして?

 意味がわからない。自分はどうして今、落とし穴に落ちているのか。


 どうして彼女ら姉妹は、綺羅星を助けるどころか、ニヤニヤ笑いながら突き落とそうとするのか――


「待って。た、助けて……!」

「委員長さあ、一月に学校の裏アカ先生にばらしたでしょ? 大騒ぎになったの覚えてるよね? あれさあ、あたしの先輩がメインでやってたんだよね。それバレて、めっちゃ恨み買っちゃってさあ」


 それは確か、去年十二月に生徒会で取り上げられた案件だ。

 特定の生徒に対する、根拠のない誹謗中傷――それを真に受けた親御さんが学校にクレームの電話を入れてくる、と先生から忠告があり。

 綺羅星はたまたま知っていた、生徒限定の裏アカが原因ではと気づき、先生にお伝えした、けど……。


「あたしさ? 友達を裏切るのって、良くないと思うんだよねぇ……やっぱ人間、誠実さが一番じゃない?」

「っ、待って、でもあれは学校のいじめの理由で――っ」

「先に裏切ったのは委員長。だから、あなたの責任」


 姉美につづき、妹屋にまで腕を踏みつけられ、綺羅星は今になってまさかと思う。

 本気で?


 ……私を、突き落とす……?


「た、助けてください。そもそも、こ、こんなの人殺しで」

「ほんと、真面目でいい子だよね委員長って。でもダンジョンでの事故ってよくあるじゃん? 高校生が興味本位で入って行方不明になりました~って……最近、ダンジョンでの失踪で増えてるみたいだし?」


 知っている。

 だから最近、ダンジョン入場時には必ずダンジョンレコーダーを搭載し、トラブル防止を……


 ――してない。

 鎌瀬姉妹は最初から、レコーダーも持たず登録も行わず、綺羅星をせかすようにダンジョンに立ち入った。

 それは、つまり最初から。


「お嬢には説明しておくから安心して? あたし達は止めたけど、委員長が金に目がくらんで落ちました~って涙ながらに言っとくから」

「っ……ま、待って。助けて。お、お願い――」

「ダメ。あたし前からあんたのこと嫌いだったし。ねー妹屋?」

「……お嬢が付き合ってるから、仕方なく合わせてただけ。委員長、窮屈でつまんないし鬱陶しい」


 仕方ないよね。

 友達だったけど裏切られたね、と、姉妹がせせら笑いながら――つま先を蹴り上げる。


 指が、離れた。


 宙に放り出された綺羅星が見たのは、二人のにやついた笑み。

 殺人を罪とすら思わない、醜悪な人間の本性を凝縮したような。


 人の皮を被った悪魔の笑みが――視界から遠のいていく。


「……あ」


 胃がひっくり返るような、自由落下。

 ふっと重力の楔から解き放たれ、綺羅星は混乱の最中に陥れられながら――


 走馬灯とでもいうべき、思考の奔流に巻き込まれる。


(あれ。これって)


 私は、ここで死ぬのだろうか?


 こんな、つまらないことで。

 呆気なく。

 まだ何一つとして、好きなことも、できないまま。


 ……いや別に、好きなこととか、特になかったけど。


 真面目すぎる親元に生まれ、善人であることを強要され、ただただ他人に言われるがまま生きて。

 面倒事を押しつけられ、先生からは便利な子扱いされ、ひたすら人形のように言うことを聞かせられる日々。

 …………。

 思い返せば、自分のない人生だった。


 そんな場違いなことを考えながら、綺羅星は零れる涙にも気づかず、無意識に己の死を受け入れ――





「おっと」


 大地に叩きつけられ、全身がバラバラに……

 ならず。


 代わりに、柔らかなクッションに受け止められたかのように支えられ……?


 ぱちり、と瞼を開く綺羅星。


 そこには、


「失礼。私もダンジョンは相応に経験しているつもりですが、空から女子高生が降ってくる事例には心当たりがなく」

「え?」

「思わず助けてしまいましたが、なにか、問題ありましたでしょうか」


 熱気と湿気に満ち満ちた、密林迷宮のさなか。


 綺羅星を受け止めた男は、じつに場違いな――月曜の朝なら、それこそ満員電車に揺られていそうな。

 どこにでもいる、ごく普通の背広姿のサラリーマンが、綺羅星の背中を受け止めていた。

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