第一章
第6話 規約違反
ごく普通のサラリーマン……いや、元リーマンである影一が最も好む仕事は、単純作業の繰り返しだ。
決められた手順を、決められた通りにこなす。
ルールに基づき実行することで、プログラムのように問題なく仕事を完了できる、そんな仕事こそが至高である。
もっとも、世の中そう都合良くいかないことの方が多いのだが。
グルオアアアアアッ!
空気を切り裂く咆哮が”洞窟型”ダンジョンに轟いた。
影一の前に佇む黒犬が、獰猛な口元よりよだれを零しながら牙を剥く。
犬、といってもサイズは常識的なものとは程遠い、成人の背丈ほどある巨体だ。
魔獣ブラッドドッグ。
元LAWにも登場する中堅モンスターであり、現日本政府が定めるB級指定モンスター。
それなりに上位の存在である。
ブラッドドッグが右前足を出し、二度、かりかりと地面を掻いた。
それが炎攻撃の事前モーションだと理解している影一は、ゆるりと右へ揺れるように体重移行。
獣の口が開かれ、灼熱の炎弾が放たれた。
大地をも溶かす一撃は、既に地を蹴りサイドステップに入った影一の脇をあてもなく逸れていく。
しかし、獣はその俊敏性を遺憾なく発揮した。
回避した影一を追尾するように、ブラッドドッグはすかさず牙を剥いて迫り来る。
魔力をふんだんに含んだ紫の牙は、通称"腐食牙"と呼ばれ、傷つけた対象にダメージを与えたうえで腐食状態に陥れる効果を持つ。
対象が金属であれば錆びさせて使い物にならなくし、人であれば毒状態に陥れる厄介な代物……だが。
ピピッ、と耳慣れた電子音。
直後、迫るブラックドッグの足元にて爆発が巻き起こり、巨体が跳ねるように宙を舞う。
トラップスキル”地雷”。
対人用に高い効果を発揮するこのスキルは当然、対モンスターでも同様の成果を期待できる。
ぎゃう、と悲鳴を上げながら吹っ飛んだ魔犬を確認しつつ、影一はすかさずインベントリを展開。
取り出したのは、細長の土台にボウユニットを取り付けた、いわゆる、クロスボウだ。
影一が空の舷を引き、魔力を込める。
ジジ、と出現した白い光が細長く引き延ばされ、魔法の矢が出現。すかさず射出。
獣の頭部に命中し、追撃ダメージを加えていく。
遠距離は弓。迫れば地雷。
敵の接近を許さず、ちまちまと遠距離から攻めるのが影一の基本スタイルだ。
――自分は常に安全圏に立ちながら、敵を一方的に攻撃する、それこそ影一の理想とする戦闘だから。
よろめきながらも、獣が再びこちらに迫る。
ピピ、と再び電子音がし、ブラックドックの巨体が再び吹き飛ぶ。
それを見届け、影一はとどめの一撃を放ち――獣はついに動きを止めた。
魔犬が、紫色の煙をあげて消滅する。
じゅわ、という蒸発音とともに床に残るのは、魔物石と呼ばれるちいさな石だ。
魔石は多分な魔力を含んでおり、魔物を討伐した証になると同時に、政府が相応の値段で買い取ってくれるためダンジョン界隈における通貨としての役目も持つ。
魔犬を片付けた影一はひとつ息をつき、ダンジョン内に満ちる魔力を探る。
著しい魔力低下を確認。
ダンジョンボスの消滅に伴い、ダンジョンを維持する魔力が不足したのだろう。
あと数時間もすればダンジョンは崩壊し、現世と繋がるゲートも自然と消滅する。
業務完了。
これにて今日の仕事も、無事に終了……
(と、なれば良かったのですが、残念ながら、ここからが本番でしょうか)
社畜にしろ、フリーランスにしろ、人間相手というのは苦労が絶えない。
やれやれ、と影一は溜息をつきながら――
*
銀色のゲートを通じ、ダンジョンの外に出た影一を待っていたのは、工場長を名乗る小太りな男だった。
「いやぁ、助かりましたよ掃除屋さん。……本当に掃除は完了したんですね?」
「ええ、問題無く。あと数時間もすれば、ゲートは自然消滅するでしょう」
「それは良かった、よかった!」
はは、と男が鼻で笑う。
今の日本にとって、ダンジョンの出現は悩みの種だ。
自宅に現れればおちおち眠れたものでもなく、会社に現れれば従業員が危険にさらされる。
よってダンジョンのモンスターを倒し、ダンジョンを閉鎖させる”掃除屋”を雇うことは普通だが――
「フリーの掃除屋と聞いて心配だったんですがね、仕事が早くて助かりましたよ。さあこれで明日から工場を再開……」
「依頼人」
わはは、と笑うでっぷり太った頬を、影一はじっと無表情のまま見つめながら。
あえて感情のない声で呟いた。
「規約違反です」
「あ?」
「本日のダンジョンですが、依頼によれば難易度はD級。しかしながら、出現したモンスターはブラックドッグ。難易度B級中位のモンスターであり、事前情報と明白に異なります。つきましては、本件について違約金の支払いおよび迷宮庁への釈明をお願いいたします」
眼鏡を押し上げて睨みつけると、男がびくりと頬を引きつらせた。
……まさかとは思うが。
知らなかった、等とは言うまいな?
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