第18話 幼馴染は寂しがり1
昔から里桜は寂しがり屋な女の子だった。
人見知りで引っ込み思案な里桜は基本的に人前ではおどおどしているばかりだったが、気心の知れた相手には感情豊かだった。
嬉しいことがあったり楽しい時は全力で笑い、気に入らないことがあれば頬を膨らませて唇を尖らせ、辛いことや悲しいことがあればボロボロと涙を流す。
そんな里桜は特に寂しいという感情に弱かった。人見知りなくせに一人は苦手、一人じゃなくても自分の気を許した相手としばらく会えなくても寂しがるんだ。
あれは俺達が小学二年生の夏休み、お互いの家の帰省のタイミングがずれて、一週間くらい顔を会わさなかった時のことだ。
数日前に先に帰省から戻っていた我が家、その日は里桜の家が帰省から戻って来る予定になっていた。
夕方、我が家のインターホンが鳴り、母さんがモニターで確認して俺に言う。
「隼? 里桜ちゃんが来たみたいよ?」
「里桜が?」
「今日戻ってくるって言ってたでしょ。ほら、出てあげなさいよ」
「わかったっ」
俺は俺で久しぶりに里桜に会える、それが嬉しくて浮かれる足取りで玄関に向かいドアを開けると、
「里桜、ひさしぶ──うわっ!」
「隼くーんっ! 会いたかったぉ……!」
里桜は俺の顔を見るなり両手を広げて飛び付いてきた。
……あれ?
これって再会の時と一緒なような……?
まぁいいか。
「わわっ……。どしたの、里桜?」
「うー……」
里桜は唸るばかりでなにも言わない。俯いて、さらにぎゅうっと俺に抱き着く。
「里桜ー?」
「さびしかったのーっ!」
「さびし……? おじいちゃんとおばあちゃんのところに行ってたんでしょー? 行く前はあんなに楽しみにしてたじゃん」
父方、母方、どちらの祖父母のことも大好きな里桜は八月に入ってからずっと会えるのを楽しみにしていたはず。とは言っても、普段から月一くらいで会ってはいたみたいだがな。
「そうだけどぉ……それは楽しかったんだけどね、隼くんには会えなかったんだもん……」
この時の里桜はめちゃくちゃ可愛かったのを覚えている。離れたくないって感じで俺にくっついて、ちょっとだけ瞳に涙を溜めて。
母さんが様子を見に来ても、里桜はしばらく俺から離れなかった。
と、昔の里桜はこんな感じの寂しがり屋だったんだ。
***
「それじゃ、隼くんっ。お留守番お願いね?」
「あいよ、まかせとけ」
玄関に立つ里桜の手には小さめのキャリーケース。淡い桜色が女の子らしい。そんな物を持って里桜がどこへ行くのかと言えば実家である。
今はゴールデンウイーク初日の朝。
今年のゴールデンウィークは前半に三連休、平日を三日挟んでさらに四連休。社会人であれば間の平日に有給休暇を充てて十連休にしたりするのだろうが、学生の俺達はカレンダー通りに学校がある。
とにかくその前半の三連休を利用して、里桜が帰省をすることになったのだ。二泊三日で三連休最終日に戻って来る予定になっている。実家がここからかなり遠方にある里桜が帰省をする理由は、入学式の日に会えなかった弟の翔がグズってるとかなんとか。
それならば俺もと一応母さんに聞いてみたのだが『来ても隼の寝る場所ないけど? それに引っ越しで物入りだったから節約しないと。交通費もバカにならないんだから!』と言われてしまった。そんなこんなで、俺はここで一人留守番というわけだ。
そういえば引っ越し先の住所って聞いてねぇな。うちの家族って、今どこで暮らしているんだ……?
交通費がバカにならないってことはやっぱ遠いのかね。
……まぁそのうち行くことがあれば聞けばいいか。それまでには寝る場所くらいは用意しといてくれる、よな……?
そんなことを呑気に考えていると、しゅびっと里桜の指が鼻先に突きつけられた。
「いい、隼くん? 私がいないからってあんまり夜更かししたらダメだよ。それからご飯は冷蔵庫に作り置きしてあるから、それを温めて食べてね。洗濯物は帰ったらまとめて洗うから溜めといていいよ」
「おかんかっ?!」
「違いますぅー、幼馴染ですぅー! ってこれ、ちょっと前にもやらなかったっけ?」
「……やったな」
あれは初めて里桜に弁当を作ってもらった時だったっけか。
「まぁいいや。明後日の夕方には帰ってくるつもりだから、そしたらまた一緒にご飯食べようね」
「はいはい、わかったから。それよりそろそろ行かないと電車に遅れるぞ」
里桜はすでに新幹線の指定席を予約している。乗り遅れさせるわけにはいかないのだ。
「あっ、そうだった。じゃあいってきますっ!」
「ん、いってらっしゃ──」
──ふわり
里桜がそっと俺を包んで、
「いい子にしててねっ」
俺の耳元でそれだけ言うと、パッと離れて軽い足取りで玄関を出てく。俺はそれを呆然として見送った。
まーた、里桜のやつ……。
あの停電の夜からちょくちょく里桜はこういうことをするようになったんだ。買い物に出る前、里桜が先に学校へ行く時なんかに。
「ったく……子供扱いしやがって……」
そう呟いてリビングへ。俺しかいない部屋の中はやたらと静かだった。
うーん……暇だ。四六時中一緒なわけじゃないはずなのに、里桜がいないだけで感覚が狂うな。
「んー……久しぶりにゲームでもしてみっか」
静寂を紛れさせるよう、わざとらしく一人呟いて自分の部屋へ。受験のために未クリアのまま封印していたゲームがあったはずだ。こっちに持ってきて段ボール箱に入れたままだったそれを引っ張り出す。さらにリビングに持っていき、テレビに繋いで電源を入れ、ソファに腰を下ろした。
オープニングムービーをスキップしてタイトル画面、コンティニューを選択。そこからゲームを始めたのだが、
「うげっ! ほとんど操作忘れてんな……。これでっ、中盤からはっ……ぐっ……厳しいな」
久々に触れたゲーム、ジャンルはアクション。感覚を忘れてしまった俺は、前は楽に倒せていたはずの雑魚モンスターにも良いように転がされてしまう。
回避しようとしたはずなのに、その場でジャンプしてそのままタコ殴りにされたり、絶好の攻撃の隙なのにあらぬ方向に回避が入ったり。ボロボロもいいところだ。
「あぁっ……! だーっ、くっそ! まーた死んだっ……。んー……もういっそ最初からやるかぁ?」
すでに何度目かのゲームオーバー、さすがに全然進まないのでタイトル画面に戻り、ニューゲームから始めることに。
序盤から始めれば難易度はそれほどでもない。少しずつ操作も思い出し、攻略方法もなんとなく覚えている。途中に昼食をとっただけで、しばらくはどんどん進んでいくゲームに集中していた。
その日は結局一日をゲームに費やし、里桜の言いつけを破って夜更かしまでしてしまった。そして翌日、すっかり習慣になっているせいで7時に目を覚まし、朝食の後でまたゲームに向かう。
昼食の後もまたゲーム。ここまで来ると俺もさすがに自分の感情に気づき始めていた。
──寂しい
って。
静かすぎるんだ。家だとやたら明るい里桜の声がしない。その無音を誤魔化すためにゲームに集中して。
でも、それに気付いたら途端に虚しくなってしまった。俺はうっかりミスってゲームオーバーになったタイミングでコントローラーを放り投げた。
ソファにぐったりともたれ掛かり、ぼんやりと宙を見る。
……なんでだよ。
たかが一日だろ。
六年も会ってなかったってのに、たった一日でこんなに……。
とてもゲームをやるような気分ではなくなって、そのまま目を閉じる。
あと一日、このままか……。
きゅうっと胸が締め付けられる。無性に里桜に会いたくて。でもまだそれを素直に受け止められない自分がいるのも確かで。
俺に寂しいなんて思う資格、ないのにな……。
夜更かししたせいだろうか、ゲームをやり続けたせいだろうか、そんな気持ちを抱えたまま俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
***
気付けば俺はまたどんよりと薄暗い場所にいた。
なぜか視界が低い。
そして俺の横にはしょんぼりとした顔の里桜。
しかも昔の、幼い里桜だ。
俺達は一つのベンチに隣り合って座っていた。
──また夢か。
そう思うまでに時間はかからなかった。
俺は夢の中で前回の夢を思い出していた。また起きたら忘れてしまうんだろうけどな。違うところがあるとすれば、前回は傍観していた俺が、今回は当事者になっている点だろうか。
俺が状況整理をしていると里桜がゆっくりと、言いにくそうに口を開く。
「あのね……隼くん……」
あの時と──同じだ。
つまりこれは、俺の記憶。
里桜の瞳には涙が溜まり始めていた。
「どうしたの、里桜……?」
俺の口からは意思とは関係なく言葉が出てくる。身体も、金縛りに遭ったかのように自由に動かせない。勝手に動き勝手に喋っていた。
「わたしね……遠くに引っ越すことになっちゃった……。お父さんの……おしごとなんだって……。だから、隼くんと……もう……」
ついに里桜の涙が溢れ出した。頬を伝いそして地面に落ちていく。
いやだっ!
俺は心の中で叫んだ。口の自由がきかないなら、せめて心でって。
「なんでっ!」
また、勝手に口が動く。止めたいのに、止められない。
そうじゃ、ないだろ……。
その先は、やめてくれよ……。
俺が本当に言いたかったのは、そんな言葉じゃなかったのに……。
俺まで涙が流れそうになった時だった。
不意に暗闇を裂き、一筋の光が俺を照らす。
眩しくて、目を閉じた。
その光は優しくて暖かくて、なぜか懐かしい。
光に照らされると、身体の自由が戻ったような感覚に。そのまま口だけを動かす。
「里桜──そんなの、やだよ……。どこにも、行かないでよ。寂しい、よ……」
俺の口調は当時のものに戻っていた。
でも、それは紛れもない俺の──本心なんだ。
「隼くんっ」
里桜が俺を呼ぶ。目を開けると、なぜかいつの間にか里桜は今の成長した姿になっていた。俺を見下ろし、ただ柔らかく微笑んで、そして言うんだ。
「ただいまっ。えへへ、そうかなぁって思ってね、帰ってきちゃった」
って。
その言葉にひどく安堵して、また俺の意識は深く深く眠りの中に沈んでいくのだった。
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