第46話
「冷静に、あの男を蜂の巣にします」
いっそ恐ろしいほどの静謐さを含んだ声音で、引き金が引かれた。全くの同時に、稲穂も拳銃の弾を放つ。空気を裂くような音が鬨の声となる。
轟音。遮蔽も何もない広場に、弾幕が敷かれる。稲穂の弾丸を避けたがために反動に耐えきれず、弾道が大きくずれる。
「枝垂、二手に!」
「はい!」
稲穂の司令と同時に二人は逆方向に走り出す。
銃口は稲穂を追う。案外簡単に挑発に乗ってきたのだな、と稲穂は鼻を鳴らした。
枝垂が七支刀を片手に走り抜け振りかぶった刀を、かろんの鎌が受け止めた。銃弾にも負けない鋭い剣戟の音が響き渡る。
長い刀と巨大な鎌。互いに間合いが広い武器での打ち合いが十合以上続く。
「っ、なんでんな刀を扱えるのだ……⁉︎」
「生憎、真似だけは得意でしてね!」
この刀が扱われるところは何度か見てきた。そして、枝垂は『中の人』が何十年も歩くことを忘れていた人間であるにも関わらず、夜薙枝垂として目覚めた直後に全力疾走して現場から逃げた。それができたのは、その観察眼と気が遠くなるほどに重ねた脳内シュミレーションによるもの。
つまり、枝垂にとって模倣は大して難しいことではない。筋肉の収縮の仕方、重心の移動、刀を振る角度。その全てを克明に覚えている。
枝垂は舞うように刀を振った。その鋭い太刀筋に、かろんは一歩後ずさる。
軽い足捌きに、くるくると回りながらその遠心力で重くなった刀を叩きつけ、その度に燕尾が揺らめいた。
鬼剣舞を応用した動きだ。重く、しかし軽やかに枝垂は攻勢に出続ける。刀から生えた七つの枝に引っかけられたら、薄い鎌の刃は簡単に折り取られてしまう。だから、かろんは防戦一方だった。
その一方、手毬は稲穂に翻弄されていた。
稲穂は手毬から一定の距離をとりながら円を描くような形で周囲を走り、その後を追うように飛んでくる銃弾を避け続けていた。
自分が踏んだ地面が、一秒後には大量の銃弾が突き刺さり抉られている。一瞬でも足を止めたら。走る速度を緩めたら。稲穂は一瞬で蜂の巣だ。
速度を緩めることなく、まともに狙いも定められないまま弾丸を撃ち放つ。持ち前の技術のお陰で標的のスレスレを掠るも、一歩横に動けば避けられてしまうほどに精度は低い。稲穂はきつく唇を噛んだ。
右手が動かないのが歯痒い。利き手で撃てたのなら、撃ち殺すことはできなくとも手毬の体勢を崩すことくらいはできたかもしれない。無論、それで枝垂に恨み節を吐くつもりは毛頭ないが。
銃弾を威嚇のように数発放ち、後は避けることに専念。
手毬はアサルトライフルで連射を続けている。しかし、そんなことをしていれば必ず弾切れは来る。銃口から吹いていた火が唐突に止まり、手毬は特に困惑するでもなくしゃがみ込んだ。リロードだ。
稲穂はすぐに足を止めて、地面に根を張るように重心を下に置く。走ったせいで荒れた呼吸を止めて、極度の集中に世界が凍りついたかのような感覚がした。正確に、手毬の頭を狙い撃つ。
放たれた銃弾は湿った空気の中を真っ直ぐに突き進み、手毬の頭蓋を抉らんとする。
金属がぶつかり合う激しい音。決して、骨を砕き人の脳漿を跳ね泳ぐ音などではない。
かろんの鎌に、罅が入っている。防がれたのだと、すぐに理解した。
かろんを追って剣を構え走り出す枝垂に、稲穂は静止をかけた。かろんが鎌を振り上げ、しかし誰に向けるでもなく地面に突き刺そうとしているのが見えたから。
「止まれ!」
主語などない命令だったが、枝垂は反射的にブレーキをかける。それと同時に石畳に鎌の切先がめり込み、そこから青い炎が迸った。
それはタイルの模様をなぞるように地面全体に満ちていき、丁度枝垂がいる位置の地面で槍が生えるように燃え盛る。不定形のはずの炎が手毬とかろんを取り囲み、まるで彼らを守る鳥籠のように周囲を包んだ。
「これだからファンタジー設定の奴は……!」
設定次第で世界の理すら捻じ曲げることが可能なファンタジー設定を持つ『ガワ』と戦う時の鉄則を、稲穂はいくつか知っている。
それは、常識も科学も一切忘れることだ。
さもなければ、あの常識の埒外にある炎に燃やし尽くされていたことだろう。
数秒間展開された炎の籠が解かれた時、既に手毬はリロードを終えていた。振り出しに戻ったのである。
これでは、手毬の残弾が全て尽きるか、それとも稲穂の体力が先に尽きるかの勝負になる。あまりのジリ貧に、稲穂は舌打ちをついた。
その時、手毬の背後で動いた黒い影に、稲穂は目を剥いた。
誰に何を言うまでもなく現れたその女は、鋭利に研ぎ澄まされた暗器を手に、手毬の首を狙って一閃。
太い骨に阻まれた太刀は、彼女の首を浅めに斬るに済んだ。急所に走った痛みに手毬は反射的に振り向き、闖入者の細い体を撃ち抜いた。瞬時に十発以上の弾が体にめり込んだ闖入者、孤霧は血飛沫をあげながら地面に頽れる。
稲穂は瞬時に足を止め、孤霧を殺すために振り向いた手毬の背中に、銃弾を三発。一発は腕を掠り、二発は肩に。弾は貫通せずに、彼女の体に残留した。
「いっ……た、かろん!」
手毬は悲鳴を噛み殺して叫ぶ。かろんは瞬時に振り返り、手毬に駆け寄った。
「近付くな!」
稲穂の警告も虚しく、かろんは止まらない。鎌の刃を盾にしながら猪の如き勢いで手毬に走り寄る。
またかろんにあの炎の籠を出されてしまったらたまらない。銃弾の装填だけではなく、孤霧が決死の思い出入れた一撃も焼き塞がれてしまうかもしれない。
かろんを手毬に近づけてはいけない。枝垂もそれは理解していて、しかし手が届かなかった。かろんが小さな体を精一杯伸ばし、再度鎌を地面に突き立てようとしたその時。
「ごめんあそばせ!」
甲高い少女の声。それが誰のものか理解した瞬間、稲穂は叫ぶ。
「耳塞げ!」
あの少女とは、三年近い付き合いになる。正確には稲穂ではなくうつろが、それなりに顔見知りである。
だから稲穂も知っている。
あの少女が、音響兵器LRADを警察で使うことを提唱した者であること。同時にその道具の有用性を己で示した者であることを。
「————————!」
それはただの、意味のない絶叫。晶や巡のように、ありったけの敵意を声にして叩きつけるものではない。
言葉ではない。だからこそ、それはよく耳を通る。少女の歌い上げるような声は、青空の下ではよくよく広がるのだ。
塀の上で木々の隙間からその様子を見届けた多栄は、満足げに息を吐いた。
本来ならば謹慎中で現場に来るどころか寄宿舎から外に出ることも許されていない身分ではあるが、こんな状況になって黙って静観している二人ではない。
幸い、多栄は小柄だ。監視の目も大量に持っている。だから、未だ混迷した状況かつ人員を他に大きく割いている警察署内に潜り込んで音響兵器を盗み出すことは難関ではなかった。
「これで完全に前科持ちですわね」
言葉とは裏腹に、多栄の表情は清々しく晴れやかだ。まるで、何かの重しから解放されたように。
「さて……精々狂犬のように暴れてくださいまし」
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