第45話

「こんにちは、手毬さん」


 にこやかに、挨拶。手毬と相対する枝垂の目には、敵意こそない。しかし、確たる意志が滲み出ていた。

 必ずや、止めてみせるのだという。正義の光が宿った鋭い光。


「どうしてですか……」


 手毬は呻く。嘆く。


「私は、貴方とも共に在りたいんですよ、枝垂さん」


 こんなところで敵対するのは、決して手毬の本意ではない。自分のことを理解してほしい。賛同してほしい。これは、枝垂のための行いでもあるのだから。


「なのに、どうして私の前に立ちはだかるんですか、枝垂さん」


 枝垂は困ったように微笑む。


「私は、貴女が共に在りたいと願ってくれた、私の『中の人』ではありませんから」


 思えば、枝垂は一番最初から、『中の人』とは全く違う自我を確立していた。自罰感情という形で。枝垂は最初から、『中の人』と『夜薙枝垂』が別の存在であると理解していたのだ。

 だから、手毬が望んでいるのはあくまで『中の人』であろうから、彼女の想いには応えられない。

 そう思っていた。


「『中の人』なんて関係ない!」


 手毬は甲高い声で叫んだ。切り裂くような、傷ついたような、悲鳴にも近い叫び声だった。


「私は、私は……! 『中の人』なんて関係ない、弥生さんと、桂花ちゃんと、貴方と……仲間として、一緒に遊んでみたかった。私の『中の人』が幻想したようなお家で、本当の家族みたいに一緒にいたかった!」


 遊んで、みたかった。

 まるで一度も遊んだことがないような言い方。それでようやく気がついた。

 手毬はわかっていたのだ。自分と自分の『中の人』は違う存在で、それは全員が同じであることに。自分はこの世に生まれたばかりで、『四季守家』の配信者として一緒にいた時の光景は脳に焼き付けられただけの幻想なのだと。


 幻想だからこそ、ひどく憧れてしまったのだと。


 だから、その光景を手に入れたくて。けれどどうしようもなく手に入らないものだと理解してしまったから、彼女は狂ってしまったのだ。


「どうして⁉︎ あの夢みたいな時間をもう一度手に入れたいと思うのはいけないことなの? 『瀧手毬』として、四季守家のメイドとしての幸せを手に入れようとするのは駄目なことなの?」


 紫紺の瞳を潤ませて、慟哭を響かせる。石畳の空間に、虚しいほどに反響した。


「何もわからない、わからないです! 私を止めようって言うなら教えてよ! 私が私としての最上の幸福を手に入れるためには、どうすればよかったの⁉︎」


 ああ。この人も、きっと同じなのだ。

 『中の人』が遺したものに振り回されるだけの、産まれてから三年しか経っていない子供。

 いいや、きっと全ての『ガワ』がそうなのだ。枝垂も、手毬も、晶や巡、ローズにラフィも。


「……わかりませんよ」


 わかるはずもない。だって、枝垂だって手毬と同じ、運命に振り回されるだけの無力で無知な子供に等しいのだから。

 それに、それは『中の人』であろうとわからない。幸福を手に入れる方法なんて、普通に生きていてもわからないのだ。自分で追い求めて、そして手に入れるものでしかない。誰かに教えてもうものでもない。


「わかりません。けど、これだけは言える。私は、私の幸福のために貴方の願いを潰します」


 手毬の瞳が、絶望に濁る。

 そして、次の瞬間には眉が吊り上げられ、宿る光が完全な殺意に変わる。


「ならば、殺すまでです」

「ええ、やってみなさい。私達を、殺せるものなら」


 私、達。

 その言葉に手毬が怪訝そうにしたその時。

 枝垂が銃を天高く投げた。

 一瞬、投降かと目を疑う。しかしそれは違った。枝垂の背後から生え伸びた左手が、銃を掴んだのだ。

 枝垂よりも小柄な人物が、彼の背中に隠れていた。彼は特徴的な七支刀を地面に突き刺して、その姿を現す。


「哀染うつろ……寝返りましたか」

「違うね。僕はもう哀染うつろじゃない」


 彼は挑戦的に微笑む。手毬もかろんも、一度も見たことのない表情だ。枝垂が刀を引き抜きながら、その一歩後ろに従者のように侍る。


「四季守稲穂。覚えておいてよ」


「は……?」


「聞こえなかった? 僕はもう、新しくこの世界に生まれ落ちた存在なんだよ」


 手毬の表情に険が増していく。そして、地の底を這うような低い声で叫んだ。


「お前が……お前如きが、四季守を名乗るなッ!」


「手毬さん、私が頼んだんですよ。四季守という苗字を名乗るように」


「……!」


「わかったかな? 枝垂はもう、きみの知ってる枝垂じゃない。きみが思うキャラクターの夜薙枝垂なんかでは、もうとっくにないんだよ」


 銃口を手毬の頭に向けながら、淡々と稲穂は告げる。


「僕達は一人の人間としてここにいる。たった二回しか会ったことのない、幻で知っているだけの相手を、どうして語ることができるんだ」


 手毬のこめかみに青筋が立つ。ピキリ、とひび割れるような音がこちらまで聞こえるようだった。


「手毬」

「ええ、わかっています。私は至って冷静ですよ」


 かろんが声をかけるも、あまり意味のないことのように思える。手毬は引き攣った微笑みのまま、アサルトライフルを構えた。彼女の瞳には、爛々と殺意が灯っている。


「冷静に、あの男を蜂の巣にします」

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