第44話

 少し時を遡り、にとろや巡と別れて地獄の門の前に待機している手毬は不敵に笑った。

 周囲には、今まで捕えてきた天使の『ガワ』が七人。全員意識はある状態で手足を拘束され、猿轡を噛まされている。その多くが、己がこれからどうなるかわからない恐怖に震え、涙していた。そして、シマエナガが入った鳥籠が足元に。


「準備はいいですか、かろん」

「もちろん」


 かろんは自分の身の丈をゆうに超える大きさの大鎌を振りかぶる。その鋭利な刃で、一人ずつ天使達の心臓を突き刺していった。曇天の暗さも相まって、まるで悪魔の冒涜的な儀式だ。

 轡をつけられていても尚殺しきれない悲鳴が響き渡る。それと一緒に、ぱたりと命が絶えていく。抉り出された心臓に青い炎が灯り、人魂のように浮き上がってかろんの周囲を浮遊する。


「……」


 その光景を、ラフィはじっと見つめていた。自分以外の天使達が次々と残虐に殺され、その魂らしきものさえ勝手に操られる様を。

 一人、二人と立て続けに。六人目を殺し終えるのに、そうそう時間はかからなかった。

 次は、ラフィの番だ。


「どんな気分ですか? 私達を必死で妨害していた貴女が、私達の目的を達成するための贄にされる気分は」


 醜悪な笑みを浮かべながら、手毬はラフィの轡を解いた。口の中に詰め込まれていた布を咳き込みながら吐き出して、ラフィは手毬を睨みつける。


「安い挑発なのですね。メイド? 下賤な下働きの方が似合ってるんじゃないですか」


「ろくに飛べもしない小鳥が何か囀ってますね」


「鳥の囀りの風情を楽しめないなんて、なんて野蛮なのでしょう」


「貴女の汚い声のどこに風情があるのですか? 雀やひぐらしの声に価値は見出せど、鴉の声は耳障りなだけでしょうに」


 両者の間で火花が散る。二人とも表情こそ穏やかな笑みを形作っているが、それと裏腹に剣呑な空気が漂っていた。


「ふん、好きにするがいいのです。消えるも死ぬも同じことなのですから」


「? 消えると死ぬは全くの別でしょう」


「いいえ、同じよ。死んでも消えても、わたくしはシャングリラには行けないのですから」


 その言葉に、手毬は怪訝そうに眉を顰めた。すぐに平静を取り戻し嫋やかに戻ったものの、口角が若干引き攣っていた。


「何を言っているんですか。もし私が消えたのなら、私の存在は『四季守家』と同じグレードになる。その中でならば、私はきっとあのお屋敷に帰れるのです」


 同じように、ラフィが消えたらシャングリラに行ける。勿論、そんなことは手毬が許さないが。

 手毬は、そう主張するのだ。


「……狂ってしまっているのですね。悪魔の証明ができないものはどこかにあるとでも錯誤しているのですか? あなたの存在が消えたとしても、残るのは無のみ。行く先にあるのは無のみ」


 ラフィは、シャングリラという楽園の住人という設定だった。けれども実際はそんな場所は存在しない。

 いくら記憶の中のみにある楽園に焦がれようとも、そんなものは無い。自分の居場所は、シャングリラ以外にないというのに。

 存在しないものは、どこまでも存在しない。結局、手毬の言う『四季守家』など、ただの夢幻でしかないのだ。


「覚えておくのです。貴女がそのままでいる限り、貴女が望むものは一生手に入らない。家も、主人も、かつての仲間も。ただの虚構を現実だと誤認し追い求めている限り、現実に存在する夜薙や他の人間は、誰一人として貴女と共には在ろうとできな——」


 ラフィの言葉を止めたのは、肉を金属が割り開く音だった。

 彼女の心臓のあたりに、ナイフが突き刺さっている。手毬の武装だ。

 同じ場所を、手毬は何度も何度も執拗に刺し続ける。血溜まりが広がり、あまりに濃い血の匂いが広がった。ラフィは既に息絶えていると言うのに、何度も何度も。

 正気を失ったかのような破壊が止まったのは、美術館の屋上に煙幕弾が張られてからだ。無数に重なる銃声に、手毬はようやく己が何をしていたか思い出す。


「……申し訳ありません、かろん」


「全くだ。念の為哀染にもう一人天使の疑いがある人間を捕獲しろと申しつけてはいたが、この調子では時間がかかりそうだ」


 天使の魂七つを贄として地獄の門を開く、と言うのはあくまでかろんの設定だ。かろんがその鎌で命を刈り取ることに意味がある。手毬が殺したのでは無意味だ。


「予備を用意しておいてよかったです」


「全く、これでは成功するかわからぬ。不確定要素が一つ増えた」


「哀染さんの良い報せを待ちましょう。ほら、それまでこれを」


 手毬が差し出したのは、シマエナガが入った鳥籠。彼女がそれを乱暴に振りながら「ほら、変わりなさい」と冷たい声で命じると、シマエナガの姿が変わる。

 サイズは少々大きくなり、フォルムも鳥らしく。白い羽毛から茶色と黒の模様が浮かび上がり、瞬時にモズの姿へと変わったのだ。

 モズは、ドイツでは「絞め殺す天使」という別名を持っている。これは早贄という、獲物を枝などに突き刺し捕らえる習性に由来する名前だ。

 いくら物騒であろうと、天使の名を持つ鳥。これの魂を、天使のものとして利用できるだろうか。今日行うのは、その実験でもある。

 不確定要素でしかないので、このモズを使うのはあくまで次善策。手毬がラフィを無駄に殺さなければ、モズは利用されなかった。

 その創られ方から使われ方まで、そのモズはどこまでも不運だったと言う他ないだろう。

 かろんが、鳥籠の隙間から鎌の刃を通してモズを突き刺す。甲高い悲鳴が響いたのは、ほんの一瞬。両断された小さな体からは青白い小さな火種のような魂が浮かび上がり、かろんの掌の上に揺蕩う。


「使えそうですか?」

「わからなぬ。試すほかないだろう」


 かろんは言いながら、自分の身長からしたら遥かに大きく聳える地獄の門を仰ぎ見る。

 かろんが手を伸ばすと、七つの炎が操られて地獄の門を取り巻いた。

 降り出した雨でも潰えぬ、爛燦たる魂の灯火。

 地獄の門が軋みを上げる。実際は開くはずもない門が揺れて、そしてほんの少しの隙間が開いた。


「……!」


 その光景、そして一センチにも満たない隙間から漏れ出る凍てつく空気と亡者の呻きのような怖気が走る音に、さしもの手毬とかろんも息を呑む。


「もっと、もっと開けますか」


「待って……時間がかかる。完全に開け放つには、十分以上は必要だ」


 かろんの額には薄く汗が滲んでいた。捧げた魂の一つがモズのものだったからか、それとも別の要因か、開くのに苦労がいるらしい。

 充分、上場な結果だ、と手毬は思わず口角を上げる。そもそもかろんの持つファンタジックな設定が現世に完全に適用されるとも限らなかった。けれども、確かに地獄の門は開き、明らかに人智を超えた何かが顔を覗かせつつある。その結果は上場だ。

 美術館の屋上に潜む黒鼠や周囲の喧騒に警戒を巡らせながらも、ひたすらにその時を待った。


 数分が経過し、通り雨が去る。


 地獄の門は人一人ならば通れる程度に開いており、しかしまだ完全には開かれていない。扉の向こうの光景は、微かに星のように煌めく青い光が覗く深淵だった。紗幕でもかけられているかのように、その向こうは窺い知れない。それとも、地獄の門の向こう側には虚無しかないのだろうか。

 一秒ごとに期待が高まる。扉が軋むごとに胸が高鳴る。高揚感に思わず口角が上がる。手毬は、今か今かとその時を待ち侘びていた。


 地獄の開門を。己の消滅を。『四季守家』の家族と、使用人達と、仲間と、共に在れる時を!


 その時。手毬の興奮に水を差す、銃声が一つ轟いた。

 それはかろんを狙い撃ったものらしかった。しかし距離のせいか狙いははずれ、彼の足元のタイルに罅を入れるのみにとどまる。

 視線を向けると、そこには手毬にとって見知った姿がそこにあった。らしくもなく泥に汚れた燕尾服。


「……枝垂さん」


「こんにちは、手毬さん」

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