第27話


 炎火にとろは自分が打ち上げた花火を見上げて満足げに悦に浸る。自分の技術はまだまだ未熟だが、それでも花火職人の娘としてできるだけの仕事はした。少し不恰好ではあるが、自分の今あるだけの全てを注ぎ込んだ刹那の芸術作品に、にとろは満足している。

 まだまだ花火玉はある、また打ち上げようと筒に玉を入れたところで、背後から声がかかった。


「そこまでだ、炎火にとろ」


 振り返ると、金色の髪を生ぬるい湿気を孕んだ髪に靡かせながら、うつろがゴム銃の銃口をにとろに突きつけていた。


「両手を挙げて投降しろ。そうすれば、悪いようにはしない」


「それが今まで何度も逃げ果せてきたあちきに言うことかい?」


 にとろは無邪気に笑って見せる。

 色も形も炎のように揺らめく髪。同じように燃えたつ色をしている瞳は朱に縁取られ、釣り上がった眦の形を強調させている。女性だと言うのに男物の着流しから片肌を出しており、肩には火が弾けて火傷をしたかのような模様の刺青があった。

 祭りの灯りを背にして、にとろはうつろに微笑みかけた。まるで、普通の友人であるかのように。

 祭りは多摩川の付近で行われていたが、その様子が眼下に望める位置にあるビルの屋上ににとろは立っている。


「せっかくの祭り日和だってぇのに、お堅い野郎は困るねぃ。今夜ばかりはあきちの芸術を楽しもうってぇ気ぃはねえのかい」


「残念ながら、芸術は爆発だなんて本気で宣うような奴輩の花火を呑気に楽しめるほど僕はイカれてないんだ」


「はっ、誰よりも頭が壊れっちまってるあんたが言うかい」


「誰が壊れてるって?」


「んな口きいときながら、誰よりも死に急いであちきの花火爆弾に当たってきたのは一体どこの誰だって言うんで? まるで跡形もなく爆散することを望んでるみてぇに」


 うつろは口を引き結び、にとろの言葉を黙殺した。

 彼女は呵々と大口を開けて笑い、そしてふと口を閉じて掌に花火玉を取り出す。いつの間にか、既に導火線は燃え尽きようとしていた。

 ほんの軽い発砲音と、にとろが爆弾を投げる動きは全くの同時。空中に舞い上がった花火玉と射出された針が擦れ合って、花火玉が上へ、針は下へと向かった。


 結果、小さな花火はにとろが予測した地点より少し上で破裂した。


 ビルの屋上に、炎の花が咲き誇る。うつろは階段入り口の影に隠れて花火を避け、にとろは高笑いを轟かせながら勢いのままにビルを飛び降りる。

 階数にして三階、高さにして十メートルほどの高さしかない雑居ビルではあるが、それでも人間が飛び降りる高さとしては十分に高い。しかしにとろは何の躊躇もなく空中にその身を踊らせた。真下には一台のオープンカー。こんなこともあろうかとにとろが用意しておいた盗品で、座席は後ろに倒してエアークッションが敷き詰めてある。

 自由落下中の無防備な体に、正確にナイフが投げられた。一気に投げられた三本のうち一本は外れ、一本は右肩に。一本は肋骨に防がれ、皮膚を深く斬る程度だった。急所ではないし、出血も多くはないが、とにかく痛い。


「いっ……!」


 見ると、小型の車のすぐ側で何かを振りかぶった後の態勢の枝垂。にとろは彼を睨みつけながらも車に落下した。

 いくら柔らかいものを敷き詰めていたとて、落下の衝撃は殺しきれない。仰向けの状態のまま器用に車のアクセルを踏み、発進させた。


「哀染先輩!」


 枝垂が大声で呼びかけると、屋上からうつろが飛び出す。窓の縁や雨樋、パイプなどを足場にしてするするとビルを降り、車に傾れ込んだ。


「がんばれっ、夜薙くん!」


「はい、頑張ります!」


 車道を爆走するにとろに追いつくため、枝垂もハンドルを切った。カーチェイスの始まりである。


 ところで、枝垂も枝垂の『中の人』も、車の運転はしたことがない。乗った経験自体は多いからなんとなくの操縦は理解していたが、交通ルールや標識の意味などは最低限以上は全く知らない。運転はこの数ヶ月でうつろに叩き込まれたものの、流石に自動車学校に通ったことと同じにはならない。

 何が言いたいかと言うと、枝垂の運転は相当に荒いのだ。


「ヒィッ⁉︎」


 さして広くはない車道で距離を詰め肉薄してきた枝垂の車に、にとろは思わず悲鳴を上げる。一瞬タイヤが擦れ合った音とゴムが溶ける匂いがした。ここまで距離を詰められると、爆弾なんか使えない。自分も巻き添えだ。


「なんでぇなんでぇ、あの運転手は! 危なっかしいったらありゃしねぇよ!」


 にとろが乗っているのはオープンカーであり、銃を持って窓を開けた助手席のうつろにその叫びは筒抜けだった。


「まあ、それはそうだけど……」


 運転の練習に主に付き添っていたこの一ヶ月でうつろはすっかり慣れてしまったが、枝垂の運転は危なっかしい。カーブの時はスリップしそうな上にガードレールや標識に車体を擦るなんてしょっちゅうだし、直線ではスピードを出しすぎる。

 ちなみに枝垂にはうつろの呟きは聞こえていない。交戦的な、普段の彼を知っていると狂ってしまったのかと思うような楽しそうは笑みを浮かべてひたすらにフロントガラスの向こうを見つめている。スピードのメーターなんて知ったことではないのだろう。

 もう一度距離が詰まり、にとろ車のバックドアと枝垂車のフロントグリルがぶつかり合って夜闇に火花が光った。

 助手席から顔を出し、うつろはにとろ車の左後ろタイヤを狙って引き金を引く。しかし、所詮は火薬などないおもちゃに近い銃。射出された針はゴムの厚さと回転に押し負けて弾かれる。


「夜薙くん、もっとやっていいぞ」


 うつろの許可が聞こえているのかいないのか、枝垂は無言のまま更にスピードを早めた。車体同士がぶつかりそうなほどに接近し、にとろは笑みを引き攣らせる。

 窓から手を出し、発砲。麻酔薬が塗り込められた針が、にとろの炎のような髪を突き抜けた。

 そのまま連射を続け、弾を撃ち切ると即座にカートリッジを交換。三秒足らずでまた連射の体制に入る。


「こんちくしょうめッ!」


 にとろはハンドルを回し、車一台分の横幅しかない道に入り込む。枝垂車はスピードを殺しきれずに通り過ぎてしまった。

 ひとまず、車は撒いた。この道はビルが多数建っているから一度見失えばそうそう見つからないことを、にとろは知っていた。もっとも、彼らはきっとドローンを用いた追尾もしてくるから、車に乗ったままでは完全に撒くのは難しいが。

 笑いを噛み殺しながら、にとろは夜の街を走り抜ける。

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