第16話
痛い。
痛い。
痛い。
ただただひたすらに、痛い。
心も体も痛い。陵辱され尽くしたこの体を脱ぎ捨てたくてたまらない。
自分は、愛玩のために作られたキャラクターだ。
『可哀想は可愛い』などと宣う人間によって、徹底的に痛めつけるという形で愛玩されるキャラクター。身体的にも精神的にも徹底的に不断の苦痛を与え続けられる。それこそが、自分というキャラクターの存在意義なのだ。
腕のリストカットの傷がじくじくと痛む。本来なら『ガワ』の傷は自動的に癒えるものの、癒えない傷もある。最初からキャラクターデザインに取り込まれている傷だ。
つまり、自分は最初から精神を病みやすく、自傷行為に走るキャラクターとされているのだ。
自分自身はそうしたいとは思っていない。しかし、自分の設定がそれを許さない。自然と腕の痛む部分に爪を立て、掻きむしってしまう。
「——ぞめせ——い」
痛い。痛い。痛い。
己の魂にまで染みついた玩弄の傷は、永遠に自分を苛み続ける。
「——あいぞめせんぱい」
痛い。痛い。苦しい。誰か。
僕を、助けて。
「哀染先輩っ!」
はっと目を覚ました。目覚めでぼんやりとした視界の端から、誰かが心配げに顔を出す。
「大丈夫でしょうか、哀染先輩」
「やなぎ……くん……」
二段ベッドの階段に足をかけて、枝垂がうつろの顔を覗き込んでいた。
「……僕、もしかして魘されてた?」
「魘されるというか、ガリガリ音するなと思って見てみたら腕掻きむしってて、顔色も悪かったから慌てて起こしました。表情に合わないくらいに呼吸音は静かでしたよ」
そうか、と返事を返しながらうつろは体を起こす。ほんの少しの血の匂いを感じ取って腕を見ると、右腕の服の袖に僅かに赤色が滲んでいる。
「ごめん、心配かけた。大丈夫だから」
「……どこがですか」
枝垂の声がほんの少し低くなる。突然右腕を強く掴まれて、走った電撃のような痛みに「いっ……!」と思わず声を漏らした。
「すみません。けど、なんでもないような顔してこんな怪我を誤魔化す哀染先輩の方が悪いんですからね」
そのままベッドから引き摺り下ろされて、洗面所まで連行される。寝起きで力が入り切らなくて、うつろのささやかな抵抗なんて枝垂には全く効いていない。
そのまま袖を捲られると、横に何十本も並んだ線状の傷が露わになる。無意識に掻いていたせいか瘡蓋が剥がれて真新しい血が付着していた。
それを流水で洗い流しながら、枝垂は僅かに眉を顰める。
「これ、いつついた傷ですか?」
「……」
うつろは押し黙る。これをどう説明するべきかわからなかった。
「言いたくないんですか?」
子供を諌めるかのように聞こえる口調に、変な汗が流れる感覚がした。顔が上げられない。枝垂の顔を、真っ直ぐに見れなかった。
「……治るんですか?」
気遣わしげな声。純粋に、心配している声。
恐る恐る見上げると、枝垂は腕の傷に布を当てながら、まるでその痛みを自分が負っているかのような痛々しい顔をしていた。他人事なのに、まるでこの蝕む痛みを共有しているかのような。
「……治らない、よ」
気がつけば、そう答えていた。普段の自分ならば、「普通に治るよ。一日二日も経てば」と微笑みながら答えていただろうに。目の前の青年を見ていると、偽る気にはなぜだかならなかったのだ。枝垂は眉間の皺を深めて、傷を眺める。
「救急箱って、どこでしたっけ」
「意味ないから、いいよ」
「見ているこっちが痛いんです。手当てさせてください」
「……勝手にしてくれ」
棚から取り出した救急箱で、手早く傷にガーゼが押し当てられ、包帯が巻かれる。『ガワ』はどうせ放置しても治るのだからと、うつろは一回も自分の傷を手当てしたことはなかった。自分の腕に包帯が巻かれていく光景をぼんやりと眺める。
傷がすっかり白色に覆い尽くされたところで、枝垂がうつろに向き直る。
「もう一度訊かせていただきますが、なんですか、これ」
「君には関係ないものだよ」
枝垂が更に表情を険しくする。大きく溜息を吐いて頭を抱えてしまったので、うつろは自分が悪いのだろうかと困惑した。
「……そうですか」
淡々とした声音で、枝垂は立ち上がる。元の場所に救急箱を戻して、そして何事もなかったかのように本を開いた。
誰にだって他人に言いたくないことや秘密の一つや二つはある。枝垂もそれはわかっているのだろう。
部屋の中に、静かな空気が流れる。丁寧な処置のお陰か、腕の痛みは少しずつ引いていた。
しかし、いくら消毒したとて、いくら包帯を巻いたとて、この傷が治ることはうつろが生きている限り一生有り得ない。この傷も含めて、哀染うつろという名の魂の形なのだから。
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