第10話
ラピ達警察があえて『天皇同盟』を放置している数日間で、門の閉鎖はより強固なものとなった。更に加えて坂下門、乾門も封鎖され、より籠城の態勢が強くなっている。これにより開かれている門は宮殿に近い正門、最西の半蔵門、皇居外苑の桜田門のみとなった。桜田門は皇居には直接繋がってはいないので、数えなくても良いだろう。
実質、通れる門は二つだけ。
それは、それだけ警備がその二つの門に密集するということだ。これは通常、攻め込む側からすると望ましいことではない。
通常、の話だ。
一つの門につき十人前後。性別も年齢も服装もバラバラな集団が、警備をしている。銃を持っている者が大半だが、中には剣を持っていたり、中世ヨーロッパの騎士のような格好をしている者もいる。
日はほとんど沈み、夜が完全なる帳を下ろそうとしている最中。こつ、こつとヒールを鳴らしながら、巡は正門に歩み寄る。電灯に照らし出されて、己の影が長く伸びた。
巡の存在に、門番はすぐに気がつく。あからさますぎるその姿に、逆に全員が巡のことを一般人だと考えた。距離にして五十メートル。その距離で、銃を持って武装している彼らは完全に油断していたのだ。あんなか細い女など、何かあってもすぐに叩き潰せると。
彼女の片手に握られた、マイクスタンドに六角形の箱が取り付けられたような道具も、『ガワ』だったら持っていてもおかしくはないと。けれどその認識が甘かったのだと気がついたのは、彼女がそれを構えて大きく口を開いてからだ。
それは、『天皇同盟』としての彼ら彼女らの命を終わらせる死神の声で、同時に鬨の声だった。
『失せろォッ!』
LRAD。音声を増幅させ、一直線上に放射する音響兵器。銃のような直接的な攻撃力はない。
しかし、少女の大音声に指向性を持たせて叩きつけるのだ。常人の聴力ではまともに立ってはいられまい。平衡感覚が狂い、場合によっては鼓膜が破れる。これが人間だったのなら後遺症での難聴などに悩まされるかもしれないが、生憎相手は『ガワ』だ。後遺症なんて残らずに一日もすれば綺麗に完治する。
つまり、LRADは暴徒鎮圧に最適である。集団を戦闘不能に陥らせるその威力に、巡は全幅の信頼を置いていた。
「突破。みんな、来ていいよ」
その異常に気がつくのは早かった。いくら皇居が広く音響兵器の爆音は届かないといえど、一斉に飛び立った鳥の無数の影で何かが起きたのだとすぐに知れる。それだけなら渡り鳥が旅立っただけなのだと納得もできるが、門の警備をしていた者と連絡が通じなくなったとなれば明らかに変だろう。
今や自分の独壇場となった展望台の上で、女は狙撃銃のスコープを覗き込んだ。
正門から侵入してくる者達の影が、うっすらと見える。しかし夜闇の中に隠れてしまい、狙撃はできない。間もなく森林の中に入って、完全にその影は確認できなくなった。
「……襲撃者が複数。人数、性別、武装などは確認できず。警戒されたし」
トランシーバーなどはない。スマホの音声入力を用いて連絡をする。彼女は細く長く息を吐いて、おそらく侵入者がいるであろう地点をスコープ越しに睨みつけた。
彼女の名前は、プシュケ・シュヴァルツ。引退はした凄腕の暗殺者であるという設定を持った『ガワ』。そして、この世に顕現してからの三年間、ひたすらに銃の腕を磨いてきた者である。
黒いベリーショートの髪をほんの少し風に揺らめかせて、左右で色の違う双眸を鋭利に光らせる。彼女は、ただ一つの目的のために全てを賭す冷徹な機械に他ならなかった。
無闇に狙撃しては、この位置がバレる。そう考えて、じっとスコープを覗き敵影が見える瞬間を耐え忍び待っていた。もしかしたらこの位置は既に推測されているのかもしれないが、それならばここに敵が来る前に撃ち殺せばいいだけのこと。
そう考えている最中に、森の中に自然ではない影が垣間見えた。それは茂みにすぐに隠れたものの、位置を予測して銃弾を撃ち放った。
銃声が轟く。薬莢が排出され、乾いた音が地面に転がった。当たったかどうかは、わからない。
小さく息を吐く。いつの間にか、緊張感故に呼吸が浅くなっていた。しかし、敵は複数だ。まだこの切り詰めた呼吸を緩めることなどできない。
プシュケは端末に一瞬だけ視線を向けた。半蔵門の警備をしている雑兵からの連絡だ。異常なし、と。
ならば侵入は正門から来た複数人のみだろう。続投されてくる可能性もあるが、現在皇居に侵入している者達の対処で手一杯であるプシュケにそれは確認できない。外部からの監視カメラのハック、それによりこちらの動向が筒抜けになることを警戒して監視カメラは全て破壊してあるのだが、それが仇になっているかもしれない。
狙撃には極度の集中力を必要とする。プシュケはスコープの向こうに浮き上がる敵影をひたすらに待ち侘びており、逆に言えばそれしか見えておらず、聴覚すら遮断してしまっていた。
だから、気が付かなかったのだ。後ろから聞こえた、パスっ、という軽い音に。
それは発砲音としてはささやかで、人を殺しうるものとしては弱々しすぎた。それもそうだ。それは、絶対に人を殺すためのものではない。
だから違和感を言うとするなら、彼がこの展望台に登るまでの音と気配の無さだろう。
プシュケは人の気配に敏感な訳ではなく、加えて狙撃に集中していた。だからといって、背後に忍び寄る彼の存在に全く気が付かないということはあり得ないだろうに。
しかし、それが有り得てしまったから、彼女のうなじには金属の針が刺さっているのだ。
少しの疼痛。プシュケにも、背後から攻撃されて気が付かないほどの集中力は持ち合わせていない。腹ばいになってライフルを構えていた体勢から体を捩り、背後を仰ぎ見た。
そこにいたのは、一人の青年。雲間から覗いた月明かりに金色の髪を透かし、藤色の双眸を細めている華奢な男だ。その手には、どこか重厚感に欠ける銃が握られている。
プシュケの体に刺さった弾を見て、青年、うつろは冷笑を浮かべた。
「この三年、銃の腕を磨いてきたのが自分だけだとでも思ってたのか?」
その言葉と同時に、プシュケはレッグホルスターから拳銃を抜き、即座に撃ち放つ。うつろはゆらりと骨の入っていないような動きでそれを避け、即座にプシュケと距離を詰めた。
「っ……!」
プシュケは足元にあった狙撃銃を蹴り上げ、自分とうつろとの間に割り込ませる。しかし暴発を恐れる素振りすらなく、うつろはプシュケに尚も手を伸ばした。その手に握られた銃口の奥底、深淵のようにすら見える最奥に彼女は恐怖を覚える。
一か八か。プシュケは柵を乗り越えて、空中に身を躍らせた。展望台から目の前で飛び降りて見せた彼女にうつろは目を見開く。
ほんの数秒の浮遊感。内臓が浮き上がる不快な感覚に、しかし眉を顰める間もなく、青く茂ろうとしている木々の枝に全身が斬りつけられた。
鋭利なもので斬られている訳ではないので、叩き斬られているかのような鈍痛が走る。しかしそれが緩衝材となったようで、地面に叩きつけられても死にはしなかった。
「……!」
それでも、痛いものは痛い。プシュケはあえかな呻き声を上げながら地面に手をつき、立ちあがろうと力を入れる。
さく、と雑草を踏む音に、彼女は顔を上げた。
「……驚いた」
驚嘆の声が降る。わずかに弾んだ息を押し込めて、言葉のままの驚愕をそのまま表した声だ。
「出遅れたと思っていたら、目の前に敵が降ってくるなんて……まさか、哀染先輩はそこまで計算に入れて? いや、あの人も人間だし、これは偶然か。……あの人、人間ですよね?」
森の中の闇からその姿を表した男は、独り言を呟きながらゆっくりとプシュケに歩み寄る。
緑がかった黒髪。柳の刺繍の燕尾服。木々に囲まれた背景には不釣り合いなくらいに優美な出立ち。枝垂は夜闇の中でその色彩を沈没させるように、しかしその存在感を現した。
「『天皇同盟』の方でしょうか?」
張り詰めている緊張感を知らないように、またはあえて無視しているのか、枝垂は朗らかな微笑みすら浮かべていた。
「こちらも無意味にあなた達を害したい訳ではありません。どうか、投降を」
プシュケは歯を軋らせる。その不快な音は枝垂まで届いた。自分の言葉は相手にとって快いものではないだろうと思っていたが、思ったよりも硬い拒絶に枝垂は少し目を瞠る。
「……どこから?」
「北桔橋門の方から」
堅牢に封鎖されていた、北の門だ。
「嘘だ。あそこは厳重に封鎖されているから通れない。破壊するにしても目立って気がつくに決まっている」
「そうかもしれませんね。けれど、私達は少人数なので。まっすぐに通れなくても、乗り越えてしまえばいい話です」
何も馬鹿正直に扉を無理矢理開く必要などない。塀など乗り越えてしまえば簡単に敷地内に入れる。心理的に抵抗はあったが、実際にそれをするのは拍子抜けするほど簡単だった。
まあ、うつろの方が身のこなしが早くて、枝垂は完全に出遅れたのだが。
そして、プシュケの首を庇うような動きで、うつろが既に先手を打っていることを理解した。
「……少し疑問なのですが、あなた方はどうしてこの国を牛耳りたいのですか?」
日本という国の若者の政治への関心は年々薄くなっている。そして、ブイチューバーというの比較的新しいコンテンツで、その年齢層は配信者も視聴者も比較的若い。
遵法意識を捨て、法を犯し、銃の腕を磨く。この国の政治は、彼らにとってそこまで価値が高いものなのだろうか。
何も政治をくだらないと思っている訳ではない。ただひたすらに不思議なのだ。正しくない形で政権を樹立する、そこまでのことをしてやりたいことは一体何なのだろう、と。
枝垂はただただ、純粋に不思議だと思ったのだ。
そのなんの混じり気もない疑問に、プシュケは辛うじて立ち上がりながら口を開く。
「……正直、政治なんかには興味ない。詳しくないし、興味がある人が勝手にやればいいと思う。それこそ、警察を作り直した物好きみたいに、勝手な正義感を振りかざせばいいんだ」
プシュケは地面に血を吐きつける。落ちた時に口の中を切って、先ほどからずっと血の味と匂いがしていた。
「ただ、自分には……『自分』がない。自分は、プシュケ・シュヴァルツは、『中の人』がいない。ただのお人形だった自分を愛してくれた人が、自分に何かを求めてくれたから。だから自分は、その人のために人を殺す」
プシュケは、ただのイラストだった。ただ可動域が設定されただけの絵だった。自分を動かす人もおらず、自分に声を吹き込む者もおらず。ネット上のどこにも、彼女の存在はない。だから、彼女に声はない。機械音声を、まるで自分の声のように流しているだけ。
だというのに、彼女を作ったとある人が彼女を我が子のように愛してくれていたから、プシュケは辛うじてこの世界に存在できている。プシュケを知っている人がたった一人だけいるから、その縁に縋ってプシュケは生きている。
その人が、プシュケにメッセージを送ってきたから。プシュケを頼ったから。
「応えないわけには、いかない……!」
服の内側に隠し持っていたナイフを構え、枝垂に突進する。満身創痍であるその体からは想像も及ばないほどに力強い一刺しは、虚しくも空を切った。
「誰かの、ためにですか……」
その感情は、枝垂にも身に覚えがないものではない。枝垂とて、己の創造主を、『中の人』を、敬愛しているのだから。
けれど、だからこそ。
「だったら、その人の傀儡に成り果てるなんて一番してはならないことでしょう!」
枝垂は『中の人』の傀儡ではない。一個人としての自我を確立しており、だからこそ『中の人』の死を悼み、悲しみ、嘆くことができた。だからこそ、自分は死ぬべきだと思った。
その人を大切に思うのならばこそ、己で思考して行動するべきだ。だって、枝垂もプシュケもただのイラストじゃない。『ガワ』という新たな生命体なのだから。
「無条件で従うなど、アンドロイドにでも任せなさい。私達は『中の人』の写し身として人々を癒し、笑わせ、時に悲しませてきた。そしてあなたの創造主もそうあってほしいと望んだからこそあなたが生まれたのです。結果それが叶わなかったとしても、今こうして存在し創造主を敬愛するならば、その願いに少しでも応えようとするのが親孝行でしょう」
『ガワ』として生まれたのだから、こうして生を受けたのだから。
だから、自分たちは『中の人』としてではなく、独立したキャラクターとして生きるべきなのだ。
「……親孝行?」
プシュケはナイフを握りしめながら、呻くように呟いた。
親。自分の創造主を親と呼ぶなど、今までの彼女は考えもしなかったことだ。もし、あの人が親だったら、自分が娘だったら。自分は一体、あの人になんと言うべきなのだろうか。
自分に顔も見せず、ただ文面だけでこの日本の玉座に座りたいと告げてきたあの人を、自分はどうするべきなのだろうか。
いいや。
自分はただ思考に蓋をしていただけだ。
自分は傀儡だから何も考えないのだと、そうして思考停止して、目を瞑って。
あの人は、今どうなっているのか、自分でもわからない。
ならば。
「あなた達警察は、主を害する……傷つけなくとも、逮捕するでしょう。それは自分の本意ではない。……あなた達を倒して、それから我が主を迎えに行きます」
視界が一気に開けた気がした。目の前を見てるつもりで、何も見ていなかったプシュケの視界が。体中に響いていた痛みが消えていくような感覚に、誰よりもプシュケ自身が驚く。
拳銃を素早く抜き、連続で五発、枝垂に向かって発砲した。しかし森の中であることが災いし、幹に隠れることで簡単に避けられる。拳銃程度に太い丸太を貫通するほどの威力はない。
枝垂は時折木から木へと体を隠しながら立ち位置を移していき、その間に袖口からナイフを投げた。全く同時に放たれた銃弾とナイフが空中で擦れ合い、火花が散った。刃と凶弾が、互いの頬を掠める。
二人は全く同時に木に隠れ、全くの同時に顔を出し攻撃を繰り返す。奇妙なほどに動きがシンクロして、謎の連帯感すら生まれ始めた。
しかし、プシュケは失念していたのだ。これは最初から一対一の戦いなどではない。二対一だったということを。
パシュ、と軽い音。聞き覚えがある音だ。完全に反射でそれを避けようとするが、それは首筋を掠めた。つい数分前に味わった首の痛みが蘇って、プシュケは煩わしげに舌を打つ。
「夜薙くん、そろそろだ!」
展望台から駆け降りてきたうつろの叫びの意味を、プシュケも枝垂もよくわかっていなかった。しかし、プシュケはすぐに自分の身に起きた異変に気がつく。
戦闘の高揚感が横槍によって僅かに冷まされ、その代わりにやってきたのが手足が痺れる感覚。指先などの末端から感覚が失われていき、銃が手から滑り落ちていく。
「っ、な……?」
麻痺はどんどん体中に広まり、とうとう立つ力すら失って地面に頽れた。意識すらも白んでいき、視界は薄ぼんやりとした不鮮明のものに変わっていく。
プシュケが完全に意識を失うその瞬間まで、彼女が思い浮かべていたのは唯一慕う人のことだった。名前も知らない、自分を描いたあの人。ただ一人、自分を想ってくれたあの人の嬉しそうな声だけが、ずっと脳内でリフレインしていた。
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