第8話
目を瞑れば、いつだって憧れの幻影が瞼の裏に現れる。
『社会の裏側、何するものぞ! どうも、『いろどりトリ』所属、Busy Vigilの哀染うつろです!』
笑顔で定型分となった挨拶を告げるのは、輝かしい金髪を揺らし、宝石のような藤色の瞳を輝かせる青年。
『あのねえ、僕ちょっと田舎の方の出でして、言っちゃうと因習とか結構残ってたんだよね。そこで神職みたいなことしてたんだけど、そろねが探偵業でやって来て。それで村を捨てて今ここで元気にやってるってわけ』
朗々と過去を語るその口調は、まるで自分の悲惨な過去さえ笑い飛ばしてくれそうで。
『そん時に色々あって、悟ったの。人生に結局意味なんてないんだよね。神様がこっちを見てくれてるわけでもないし、苦しみも悲しみも楽しさも自分だけのもので、結局自分一人で抱え込むしかない。だからこそ、意味のないものは長く続くものじゃないと思うよ。どんな辛苦も、意味なんてない』
その声に。その口調に。その一挙一動に。惹かれて、慰められ、希望を与えられた。
『だから、どんなに辛いことも、いつかは終わりが来る。それが幸福になるという意味なのか、死ぬっていう意味なのかはわからないけど。こういうちょっと虚しい、ニヒリズム的な考え方は、頭の片隅に置いておくと少し楽になるかもしれないよ』
辛くても、苦しくても、意味なんてない。なんて、悲しい考え方なのだろう。
ならば、じぶんが今苦しんでいるの誰のため?
あのひとのため? 自分のため?
『もし、辛くて堪らなくて死にたくなったら』
画面の向こうの彼が言う。
『眠ろう。止まない雨はないから、雨雲が過ぎるまで。明けない夜はないから、太陽が昇るまで。苦しみは終わるものだから、そうやって眠って耐え忍ぶんだ。僕はそうしてきた』
思わず、目の下の隈を指先でなぞった。
どうやって眠れば良いのか、もう忘れてしまっていた。けど、彼は慈愛の眼差しで自分をみていた。そう錯覚してしまうくらい、甘い言葉だった。
『それでもし、睡眠導入として僕の配信をみてくれれば、僕はそれでいいからさ』
そしていつの日か、影が差した人生の光に、哀染うつろはなっていた。何もない自分が、様々なものを持つブイチューバーという職に憧れるのは当然で。
気がつけば、事務所『いろどりトリ』のライバー募集のホームページに、応募していた。
ふと指がぴくりと動く。マウスをクリックしたかのような感触が指の腹に蘇る。
「どうした、夜薙くん」
うつろが枝垂の顔を覗き込む。いつも画面上で見ていた顔が、目の前で動いている。それも、画面以上の可動範囲で。
「……なんでもありませんよ」
スーサイド小隊に割り当てられた、警察署内の部屋を前にして枝垂はそろそろと息を吐く。既に一回来たことはあるが、それだけで慣れるわけもない。
しかし、そんな枝垂の僅かな緊張なんてうつろが知るわけもなく。いとも簡単に、扉は開け放たれた。
ほんの一瞬だけ、スーサイド小隊の面々の視線がうつろと枝垂に向いた。しかし彼女らが、部屋に入ってきた者はうつろと枝垂だと理解すると、すぐに表情が緩められた。
「おはよーございまーす、哀染センパーイ」
「はよで〜す」
「……」
全員がそれぞれ挨拶を交わし、うつろは笑顔でそれに対応する。
「やや。夜薙くんじゃあありませんか。正式加入、できたので?」
「おはようございます、フェンタニルさん。本日から正式入隊と相成りました。よろしくお願いします」
深々と頭を下げると、「そんなに畏まらなくていいよ」と晶が気楽な口調で言った。
「うちのこと、名前で呼んでもいいからね。なんなら呼び捨てでもいいよ。その代わり、枝垂さんって呼んでいい?」
「いいですよ。それでは、晶さん」
「めぐちゃんのことも名前でいいよっ!」
「それじゃあボクのことも〜」
「めんどいから、わたくしも名前でいいですよ」
女性陣全員に似たようなことを言われ、馴れ馴れしい呼び方を請われて枝垂は少なからず困惑する。女性、しかもそのうち二人はバニー衣装という際どい格好をしているので、枝垂は思わず両手を挙げてしまった。
「はいはい、きみら全員鎮まれー。今日は特に辞令もないし、ここで待機。事件が起き次第出動だ。各々ゆっくりしていていいからな」
「りょーかい」
どうやら、スーサイド小隊は事件が起きた時以外に、上からの命令で何かの任務にあたることもあるようだ。
「そうだ。夜薙くんには、一つ説明しなきゃならないことがあった」
「なんでしょう」
「巷で活動を活発化させている、『ガワ』の犯罪者集団についてだよ」
どこか重々しく口を開いたうつろに、枝垂もつられて表情を険しくした。他の面々はどうやら知っている情報のようで、特に感動もない様子でめいめいに動いている。
「首謀者不明。構成人数不明。ただ、主要な人物として炎火にとろと大悪魔かろんが所属していることが確認されている。所謂、指名手配犯だね」
炎火にとろは、何度か話に出ている花火を多用する爆弾魔だろう。枝垂は実際に姿は見たことはないが、名前からして派手そうだというイメージを勝手に抱いている。大悪魔かろんという人物については、生憎姿も名前も知らない。
「どちらも個人で活動していたブイチューバーだから、知らないのも無理からぬことだよ。はい、タブレット。これで配信だけでも確認しな。姿と声くらいは覚えておいた方がいいと思うから」
うつろからタブレットを受け取りながら、枝垂は疑問を口にした。
「この方たちは、一体何をしている人なんですか?」
「資金調達のためとみられる銀行や店の強盗。監視カメラなどの設備の破壊……それと、最近起きている『天使誘拐事件』を首謀している」
「天使誘拐事件?」
枝垂は思わず、相も変わらず部屋の角で己の羽に身を埋めているラフィを見てしまった。天使、なんて突拍子もない言葉だが、『ガワ』が溢れている今なら、天使の姿をしている『ガワ』だって一人や二人どころではない。
「お察しの通り、天使の姿をしている『ガワ』が既に六人誘拐されている。警察もかなり警戒していて、確認できている限りの天使の『ガワ』にはひっそり護衛の警察官をつけているんだ」
確認できている限り、というのは、この世界にいるすべての天使の『ガワ』を確認できている訳ではない、ということだろう。戸籍などの制度も整っていないだろうし、だからこそ枝垂は不法にマンションの空き一室を占領できていたのだから。似たように、存在が確認されていない『ガワ』だっているはずだ。
「最近のスーサイド小隊はそれの対応に付きっきり。やんなるよ、全く」
巡がため息を吐きながらぼやき、ソファに全体重を任せて背を逸らした。その膝に晶が頭を乗せながら、上機嫌そうに鼻歌を歌い出す。
その呑気な光景にうつろもふっと表情を緩め、枝垂も肩の力を抜いた。
多くの『ガワ』は、この日本で配信を行なっていた。そして日本は遵法意識が高く、しかもこのネット社会での配信者となると問題を少し起こしただけで簡単に炎上する時代である。
つまり、その配信者としての記憶を残している『ガワ』達はあまり犯罪を犯さない。その代わり、犯罪を犯す『ガワ』の多くは凶悪になる。警察署は人員不足であるため、指名手配犯は現行犯でうまく対応しないとほとんど捕まらない。
こういう言い方は癪だが、犯罪者は少数精鋭、という訳である。
だからこそ、枝垂加入から数日後に起こった事件は、稀有だと言えるだろう。
四月某日。総勢三十人に及ぶ『ガワ』が一斉蜂起。
無人の皇居を、占拠した。
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