第7話

「まだ正式加入とは行きませんが、ひとまず寄宿舎にだけ入居しましょうか。何か荷物があれば翌日にでも取りに行ってください。引越しは手伝いますので」


 そう言われてラピに案内されたのは、うつろにも軽く紹介された寮となる建物だった。

 遠くからではわからなかったが、そこはアパートホテルを再利用して寄宿舎としているらしかった。いくら小さく、傍目にはホテルには見えなくても、仮にもホテルだ。そこが警察署員の住処になっているとは夢にも思わず、少し高級感のあるアパートといった出立ちの建築物を呆然と見上げてしまう。


「反応が新鮮だぁ」


「草」


 晶と巡がその反応を見て口々に言う。


「い、良いんですか? ホテルなんですよね?」


「大丈夫ですよ〜。だってホテルなんかあったって使う人はほとんどいませんし〜、他にもホテルは大量にありますし〜」


 慣れたように自分の部屋なのであろう一階の部屋に入っていくローズに、ゾロゾロと他の面々も各々の部屋に入っていく。晶と巡が同じ部屋に入り、それぞれの部屋に散っていったところで枝垂はふと違和感を感じた。


「あ、そうだ」


 今突然思い出したかのように、ラピが声をあげる。


「ここでは部屋数に問題がない限り、基本的に二人一部屋になってるんです。ご了承くださいね」


 どこか学生寮を思わせる制度だと思いながら、枝垂は頷いた。他人との共同生活は未体験だが、まあどうにかなるだろう、と。


「それでは、私のルームメイトは誰ですか?」


 問うたところで、一人だけ部屋に入っていなかったうつろが片手を挙げる。同時にラピと孤霧がうつろに目線を向けた。


「……哀染先輩と、ですか?」


「嫌か?」


「数ヶ月前に哀染先輩のルームメイトが別部署に移転したので、今彼は一人部屋なんです。色々教えてもらえるから都合も良いでしょうし。哀染先輩、異論は?」


「なし。夜薙くん、わからないことがあればなんでも訊いてくれていいよ」


 言いながらうつろは廊下をなんの躊躇いもなく進んでいき、最奥に近い場所にある扉を開錠して見せた。


「わ、わかりました」


 唐突な話で困惑しているだけで、枝垂も別に嫌な訳ではない。おどおどと部屋に入ると、ラピが満足げに微笑んで頷いた。


「うんうん。それじゃ、入隊の手続きはこっちに任せてください。できるだけ早く終わらせますので」


 それでは、とラピと孤霧は肩を並べて去っていく。彼女達もルームメイトなのだろうかと思いながら、枝垂は扉を閉じた。


「お邪魔します」


「ふはっ、これから君の部屋にもなるんだよ」


 うつろは失笑しながら「まあ、暫く慣れないだろうけどゆっくりしなよ」と言いながら備え付けられたケトルに水を注いだ。


「ハンガーとかドライヤーとか、ホテルに普通にあるようなものとかアメニティは揃ってるから。石鹸類とかの消耗品は一階の倉庫に備蓄があるから、無くなりそうだと思ったら各自補充。どっかに買いに行くのも良いけど、ネットショッピングは使えないから自分で買いに行かなきゃならないことだけ注意だね」


 引き出しやクローゼットを順々に指差しながら、うつろは淡々と説明する。


「結構防音設備はザルだから気をつけてね。配信ができる設備は別の場所にあるから、ちょっと歩かなきゃ行けないよ。使いたかったら案内するけど」


「結構です。配信するつもりは、全くないので」


「そう。……これで粗方は説明できたかな。僕はちょっと巡の様子見てくるから、色々見てていいよ」


 まるで先ほどの言い争いがなかったことのような態度に、枝垂は表情には出さないように困惑していた。部屋を出て行ったうつろの背中を見送って、扉が閉じてオートロックの音が鳴ってから数秒後、ようやくそろそろと息を吐く。

 枝垂は周囲を見まわした。それから、うつろに説明された荷物を確認していく。袋に小分けにされた紅茶や緑茶、コーヒーにココアの粉。ほとんど減っていないのは、こまめに補充されているからなのか、うつろが嗜好品の飲み物を飲まないからなのか。

 次にクローゼット。ハンガーには何もかかっておらず、棚にアイロンとその台やドライヤーが収められている。

 洗面所は使われた痕跡などは全くなく、鏡にも曇り一つない。石鹸は少しすり減っているが、それだけだ。引き出しにはタオルが詰め込まれている。やはりと言うべきか、使用感は全くない。

 トイレと風呂場も水垢一つない徹底ぶり。更には二段ベッドすら両方とも綺麗にベッドメイクされていた。

 もしかして、と思いホテルの名前をネットで検索をかけてみる。そこには、今枝垂が見ている部屋と全く同じ部屋が写っていた。

 ラピの「数ヶ月前にルームメイトが別部署に移動したから今は一人部屋」といったセリフからして、少なくとも数ヶ月はうつろはこの部屋で生活しているはずだ。スーサイド小隊成立時からこのホテルを使っているなら、最長で二年はここに住んでいることになる。だというのに、宣材写真と全く変わらない。

 その部屋は、この部屋の主である哀染うつろの存在を全く感じさせない部屋だったのだ。

 使った痕跡はほとんどない。本当に、普通の職員が整えて次の客を待ち受けているホテルの一室のようだ。生活感なんてない。アパートメントホテルという性質上、壁や棚の飾りなどのお陰で人間が生活していることはわかるものの、部屋の模様から部屋の持ち主の人柄が全く見えないのだ。

 まるでうつろの存在が消されようとしているかのような、空恐ろしさが枝垂の背筋を舐め上げた。

 更に恐ろしいのは、それを他ならぬうつろ自身がやっているということだ。このホテルは従業員が『アーカイブ』となっているからこそスーサイド小隊員が使えているのだから。だから、この部屋の主人の存在感をなくすほどに部屋を整えてくれる第三者などいないはずなのだ。

 私物なんて見当たらない。本来このホテルの部屋にあるはずがないものは、精々救急箱程度だろう。


「哀染うつろ……」


 その名前を口の中で転がす。そして、戦慄を押し込めるかのように己の腕を抱いた。


「あなたは一体、誰ですか……?」


 ちょうどその時玄関の扉の錠が開き、うつろが戻ってきた。自分の腕を抱いている枝垂の姿を見て、首を傾げる。


「空調、寒かった?」


「……ええ、少しだけ」


 曖昧な笑みを浮かべて誤魔化しながら、うつろの表情を覗き見る。

 普通に微笑み、普通に苦笑し、普通の表情をしている。いつもの配信で見ていた、うつろの表情だ。

 その普通こそが異常に思えてならなかった。



 数日間うつろとの共同生活、そしてスーサイド小隊隊員が住んでいる寄宿舎生活が始まってから数日が経過。特に不便を強いられることもなく、快適な日々が続いていた。

 部屋は少々窮屈だが生活には問題ない。枝垂は自分の家を捨ててきた身であるゆえ、私物もあまり増えずに無機質な部屋の現状が続いていた。

 困ったことといえば、冷蔵庫に全く食材が入っていなかったことだろうか。この部屋には小さなキッチンと冷蔵庫が備え付けられており、自炊ができるようになっている。『ガワ』は別に飲まず食わずでも死なないが、飢餓感というのはある。枝垂は三年間で慣れてしまったが、うつろはそうでもないだろうと思って料理を作ろうとした。しかし、食材が皆無ならばそれもできない。

 うつろは料理ができない訳ではないらしいが、少なくともこの三年は全くやってこなかったのだ、とはにかんだ。実際、レトルトのパックを湯煎したり肉まんを焼いて焼き色をつけている手つきには危なげを一切感じなかった。

 うつろは生活力はあるのだが、わざとそれを使わないようにしているように感じる。まるで、人間らしい生活を自分に許していないかのような。部屋の中で腐っていただけの時の自分を彷彿とさせた。

 それは家事以外のところでも出ている。枝垂はまだスーサイド小隊に正式に入れていないので警察署に出勤することはなく、周囲を探索したり部屋で本を読んでいたりしたのだが、うつろは帰ってきても家事以外何もしないのだ。

 本を読んだり、インターネットを見たり、何かの作業をしたり、趣味に没頭したり。そういったことを、全くしない。空虚を眺めているか、眠っているか。話しかけると普段通りに対応してくれるし微笑みかけもしてくれるが、そうでなければまるで人形のようだ。

 部屋の模様と同じく、彼の行動からはあえて彼自身の人間性を除外しているかのような違和感を感じる。

 彼との共同生活は、気遣いの心地よさと気まずさに満ちていた。

 それを三日ほど続けた頃、孤霧がいくつかの書類を持って訪ねてきた。


「遅れて申し訳ありんせん。正式に夜薙さんのスーサイド小隊加入が決まったので、報告に来たでありんす」


「ご丁寧にどうも。認定式などはありますか?」


「そういうことをする余裕すら、うちにはありんせんので……やってみたいでありんすか?」


「いいえ。むしろあったら少し困ると思っていたので」


 孤霧は苦笑しながら、ファイルに入れられた複数枚の書類を枝垂に手渡した。同時に、一冊の手帳も。


「これは警察手帳のようなものでありんす。一応、偽造がし辛いような加工は施してありんすが、一般人が手に入れたら色々面倒なので、くれぐれも落とさないようにお願いしんす」


 ドラマやアニメで見るような警察手帳に、自分の顔写真が入っているのは少し奇妙な気分だ。おそらく外装は警察署にあるものを使い回したのだろうが、中身のカードは少々の手作り感がある。


「これで、あなたも正式なスーサイド小隊の一員。と言っても、色々先輩方から教えてもらって、どうやって活動するのかを学んでほしいでありんす。健闘を祈りんす」


 そう言い残して、孤霧はあっという間に消えてしまった。クノイチのような真っ黒な衣装を纏っているからだろうか。玄関の軒先で呆然と見送りながら、視線を警察手帳に落とす。


「隠しておいた方がいいよ。そんなに他人の目につけていいものでもないから」


 うつろに言われて、枝垂は慌てて懐に手帳を入れる。うつろは頷いて、「それじゃあ、注意事項だけ説明するから」とソファに座った。


 一つ、スーサイド小隊は警察組織。法に反することはしてはいけない。ただし、裁判所などは機能してないので逮捕令状などの発行はできないから、ある程度の荒事は認められる。これはまだ法や政治の問題が片付いていない状況だからこそであり、いつまでも通じるとは思わない方がいい。


 二つ。先ほど言ったように法は守らなければならない。荒事が許されるのは、基本的に現行犯の時だけ。犯人に攻撃や逃亡の意思が見えた時しか、こちらは攻撃してはいけない。


 三つ。スーサイド小隊の存在は基本的に明かしてはならない。隠密部隊の役割も負うことがあるので、簡単に自分の正体を明かさないこと。

 死にたがりばかりが集まることを明かすなんて以ての外だ。ネットで誰に何を言われるかわからない。


 ちなみに、初対面でうつろがスーサイド小隊のことを枝垂に語ったのは、うつろが一度死んでも飄々としているところを見て、枝垂が酷く動揺していたからだと言った。理由を説明しないと納得しないだろうし、そのためにはさっさとスーサイド小隊の事を言ってしまうのが早いと判断したのだそうだ。

 大まかにはこの三つが注意事項。他にも細かな決まり事はあるものの、キリがないので徐々に覚えていくしかない。


「一応、警察組織だから。不祥事があったら問題だろ?」


「そうですね。警察の信用が落ちたら、それこそ世紀末になりかねない」


 ただでさえ、人智を超えた力を持つ『ガワ』も多い現状だ。警察の信用、即ち権威が薄れれば、一体どうなってしまうのか。考えたくもない。


「明日から本格的に業務開始だ。と言っても、しばらくは研修みたいな感じになると思うけど」


「了解しました。今後ともよろしくお願いします、哀染先輩」

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