第6話

「いやはやいやはや、最近は物騒なので訓練がてら擬似誘拐事件を起こしてみたのですが、やっぱり爆弾は扱いづらいですね! いつ爆発するかわかったもんじゃないからヒヤヒヤしましたよ!」


「それはわっちの台詞でありんす。今後はこういうのは控えておくんなまし」


 そんな応酬を繰り返すラピと孤霧を、枝垂は呆れた目で観察した。うつろに信用できる立場の人間だと言われたものの、これが初対面である枝垂にはその意識は極めて薄い。未だに警戒心が解けきれていなかった。

 後ろではうつろが各所に連絡して、一連の事件はラピ達による訓練のようなものだと知らせている。

 その横顔をじっと見ながら、枝垂は床に落ちている花火玉を拾い上げた。ラピによると、以前炎火にとろの犯行が行われた時に回収された不発弾らしい。


「哀染先輩」


 連絡がひと段落したらしく一息ついていたうつろが、徐に枝垂を見返した。


「これ、どうして対処したんですか」


 枝垂は花火玉を差し出す。結局この花火玉は不発だった訳だが、もし爆発していても大丈夫なようにうつろは対処していたはずだ。そうしないと、枝垂が不審者を取り押さえることは難しかったから。おそらく犯罪者の対応に慣れているであろううつろが不慣れな枝垂にその役目を託したということは、何か対処法があったからだろう。


「どうしてって、こう、自分の体で包み込むみたいに……」


「違う! どうして、あんな対処法をやったんですか!」


 不審者を取り押さえるのに必死だった枝垂だが、確保し終わった後にうつろの姿は見ていた。花火玉を自分の腹に押し付けているうつろの姿を。そして、その意図も察せられた。花火玉の詳しい構造なんて知らないけれど、自分の肉体で爆発の勢いを押し殺そうとしているのだと。

 その姿を見て、うつろは心底から怒りが湧いた。

 うつろの胸ぐらを掴んで、自分よりも小柄な体に影を落とす。


「どうしてそんな、自分が絶対に死ぬ方法をとったんですか⁉︎」


「僕達は、『ガワ』は本当の意味では死なない。知ってるだろ」


 知っている。確かに、下半身が吹き飛んだうつろの死体の生々しさも、焼け焦げた血肉の匂いも、しかしそれが無かったことのように飄々と振る舞ううつろの姿も覚えている。

 しかし、問題はそこではない。死ぬか死なないかが問題ではない。枝垂が激憤しているのは、別に理由があるのだ。


「自己犠牲……そんなもの、私は許しません」


 誰かのために自分を殺す。誰かのために、自分が傷つく。枝垂はその行いが、何よりも許せない。例え枝垂が傷つく側でなかろうと、絶対に。

 昨日のことのように鮮明に瞼の裏に浮かび上がるのは、自分ではない誰かの脚。パソコンの画面に反射した、悔しげに歯噛みする、自分ではない誰かの顔。

 自己犠牲を決断をした人を知っている。しかし、後悔も苦労も人より多い人生を送った人を知っている。

 する側の痛みも、される側の痛みも、我が事のように知っている。


「そんな軽はずみに自分を犠牲にするなんて、しちゃいけないんです……! そんなことは、命への冒涜です。死にたいと願っていても、誰かのために使う命でも、そんな風に杜撰に扱ってはいけない!」


 スーサイド小隊は自殺志願者の隊だ。消し去ってしまいたい命を、その時まで有効に使うことを目的とした隊だ。その本質は自己犠牲に似ているのかもしれない。

 だからと言って、あれは駄目だ。あんな、自分が死ぬことが前提であるような自己犠牲は、絶対に駄目なのだ。

 いくら死にたくても、いくら罪深い命でも、生きれるところまで生きた先での死しか枝垂は認めない。だから枝垂は再起して、だからスーサイド小隊に入ったのだ。


「もっと他に、方法が……」


「あったって?」


 うつろの視線が鋭く細められる。枝垂の明らかな怒りとは違う、沸々と地底で煮えたぎっているかのような静かな憤怒。


「言ってみろよ。何があった? それがあったとして、あの場ですぐに実行できたか? できると言うなら、どうしてお前はそれをしなかった?」


「っ……」


 勢いに任せて叫んだはいいが、うつろの言う通りだった。あの場、あの緊急事態下にあった状況では、うつろの判断は間違いでも悪でもなかっただろう。枝垂が、感情的にそれを認められないだけで。


「君は執事だろ。だったら自分がすべき仕事と他人の仕事の判別くらいつくだろ。あの場では、あれが最善だった」


「……私は、執事なんかじゃありません」


 枝垂は手を強く握り込む。燕尾服の分厚さがのしかかるようで、重く感じられる。


「私も、あなたも、『ガワ』です。執事でも、自警団団長でもない。そんな設定を負わされているだけの、等しい存在なんです。私が働いていた家は存在せず、あなたが所属していた団も最初からない。……執事なんかじゃ、ないんですよ」


 ただ、そんな設定を負わされて生まれた、人間の魂でしかないのだ。

 うつろが少し、目を見開いた。何か衝撃を受けたかのように唇を戦慄かせ、それを抑えるために口元に手をやる。震える声で、消え入りそうな声で、「……そう、だ、そうだった……」と呟くばかり。


「僕は、あの人間じゃない……あの人間が作った設定に沿うだけの、人形じゃない……」


 ぶつぶつと、ここではないどこかの虚無を見つめて譫言を漏らすうつろは、狂気的でどこか危うかった。


「ごめん。……それと、ありがと、夜薙くん」


 背中を向けて部屋を去りながら、振り向きざまにうつろは言った。

 なぜ、うつろが枝垂に感謝したのか。うつろは一体、何を背負っているのか。枝垂はまだ、何も知らない。

 思えば、枝垂は『哀染うつろ』という個人のことは、全く知らないのだ。彼の『中の人』の配信を見ていて、『中の人』のことは配信を通じて知っているけど、それでうつろという人間のことを知った気になっていた。


「……これから、哀染先輩のことも、ちゃんと知っていかなければなりませんね」


 文字通り死ぬまでの付き合いになる上、一体いつ死ねるのかもわからないのだから。数ヶ月後か、十年後か、それとも本来の人間の寿命を超えたずっとずっと先か。

 悠久の時を過ごそうとも、枝垂が己の生を赦す日は来ないだろう。だからきっと、スーサイド小隊がなくなるか、うつろが生きる意欲を得るまで、ずっと一緒だ。

 ふと視線を感じて振り返ると、ラピと孤霧がニヤニヤとした笑みを浮かべていた。


「主さん、哀染さんとどんな関係なんでありんすか?」


「主さんって……あ、大変失礼いたしました。私、スーサイド小隊に加入希望の夜薙枝垂と申します」


「ふふ、知ってますよ」


 ラピがはにかみながら言った言葉に、枝垂は「え」と彼女を見返す。


「『いろどりトリ』のライバーさんは、大体把握してますので。あなたのことも、切り抜きで時折拝見しておりました。会えて光栄です」


「……そういう貴女は、確か『ブイエリアー』の」


 『ブイエリアー』は、枝垂達が所属する『いろどりトリ』と並ぶほどに有名配信者を多く抱えたグループだ。エンターテイメントに特化した『いろどりトリ』に対して『ブイエリアー』はアイドルのような売り出し方をしており、女性配信者の割合が極めて高い。


「あ、ご存知で? 光栄の極みですねー。わたくしなんてペーペーなのに」


「いえいえ、『ブイエリアー』のライバーさんは詳しくなくて、一目で判らなくてすみません」


 何がおかしいのか、ラピは花が咲き綻ぶかのような微笑みを見せる。


「逆に、知られてなくてよかったですよ」


 その言葉の意図を問い返す前に、ラピは踵を返して玄関へと歩む。髪と同じ色の尾がゆっくりと揺れた。

 不思議そうに首を傾げる枝垂の手を引いて、孤霧が蠱惑的に微笑む。


「あの子もあの子で、考えてるところはあるでありんすよ。失礼をば。行きんしょう、哀染さんもラピさんも待っておりんす」


 枝垂が戸惑い抵抗する素振りを見せると、するりと繋いでいた手が解かれた。孤霧はくすりとどこか子供っぽく笑い、真っ直ぐな黒髪を靡かせる。


「夜薙さんは、スーサイド小隊所属希望でありんしたね」


「はい、そうですが……月夜さんはスーサイド小隊ではないんですよね」


「ラピさん直属の部下だから、違うでありんす。……多分、夜薙さんは今すぐにでもスーサイド小隊に入れんすえ。うちはまだ組織として完成しきってござりんせんから、簡単に捻じ込めんすえ」


「えっ」


「寮は……空き部屋は大量にありんすから、今すぐにでもできんすね。別に入らなくても良いし空き家は腐るほどありんすが、寮に入ってもらった方が何かと楽でありんすので」


「え、あの、ハイテンポすぎて何がなんだか」


「言いんしたでしょう? うちは組織としては相当緩いのでありんす。何せ、まともに組織なんて作ったことも統治したこともない人達が創設して三年も経ってないでありんすから」


 二年という月日は個人としては長いと思えるが、世界の変革についていくには短い期間なのだ。

 全人類は『アーカイブ』となり、『中の人』は『ガワ』へと変貌した。まともな思考能力を持つのは『ガワ』だけ。そんな世界で警察組織を立ち上げるのは、さぞや苦労したことだろう。

 そう思うと、三年間腐り続けていたことに慙愧の念に絶えない。致命的な時間の浪費だったのではないかと、今更後悔する。

 階段を下りきってマンションのエントランスを出ると、晶や巡、ローズ達が集合していた。巡は腕に火傷を負っており、涙目になりながら晶がその手当てをしている。そしてそんな巡に、ラピが土下座をしていた。正確には彼女の背後に鬼神の如き圧力をかけながら仁王立ちしているうつろがおり、最大級の謝罪をしなければならない空気が作られていたのだ。


「あの、ほんとすみませんでした……」


「おいラピ、モゴモゴしてないでもっとハッキリ言え」


「演習で大怪我させてしまい申し訳ございません!」


「……いや、あたし別に気にしてないけど」


「駄目だ、巡。こいつは一回調子に乗ったことを許すとタガが壊れるから、ちゃんと反省させておかないと。演習自体はいいが、抜き打ちは駄目だろ」


 しょんぼりと肩を落とすラピをこんこんと叱りながら、しかしうつろの視線はチラチラと巡に向かっている。


「めぐちゃんんん……」


「もう、大丈夫だって。死なないし」


「そういう問題じゃないよっ!」


 いくら死なないとは言え、痛覚は正常に働いている。見るとバニースーツの袖が溶けて穴だらけになっており、肌が一部爛れていた。おそらく、ベランダ下に落とされた花火に被弾し、体を腕で庇ったのだろう。

 晶による手当てを終え、うつろの説教も同タイミングでキリがついたところで、ラピが無邪気に走り出した。


「帰りましょう、わたくし達の居場所に!」

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