第4話

 一言でスーサイド小隊に入ると言っても、一応は組織だ。入るにはそれなりに面倒な手続きなどが必要となる。

 その場で書類などを記入し手続きは終わらせて、枝垂は革張りのソファに沈み込んだ。枝垂がすべき仕事はもうないが、もう一つ時間がかかる作業が残っている。

 審査だ。『ガワ』のほとんどは配信者としての活動歴があるため、動画投稿サイトからその経歴を洗い出して問題ない人格などを持っているかを調べるらしい。これは組織側が行う作業であるため、それが終わるまで枝垂がすべきことはもうない。


「つまり、これからしばらく暇になる。ごめんな」


 そう言ってうつろは両手を合わせて頭を下げた。


「仕方ありませんよ。どれくらいで終わるんですか?」


「一週間もすれば終わる。そしたら正式に夜薙くんはスーサイド小隊の一員だ。夜薙くん、君の配信や切り抜きは見たことがあるけど、あれなら大丈夫だと思う」


「みっ……みたことあるんですか⁉︎」


「? うん」


 枝垂の『中の人』はうつろが好きだった。その感情は枝垂にも受け継がれている。だから、好きな配信者に認知されていて嬉しくないはずがない。思わずニヤついてしまう表情を必死に抑えながら、枝垂はうつろを見返した。


「哀染先輩は……隊長って呼ばれていましたけど、いつからスーサイド小隊にいたんですか?」


「隊長とは呼ばないでくれ。確かに立場上はそうなってるけど、そんな大層なものでもないし……」


「そうですか……古株では、あるんですよね?」


「うん。スーサイド小隊には、二年くらい前……結成当時からいるよ」


「へぇ。古参ですか。他に結成時からいる人はいるんですか?」


「いない。僕一人だよ」


 そこでふと、疑問に思った。

 スーサイド小隊という名前だが、小隊、というからにはそれなりに人数は必要だ。うつろ一人きりで隊と名乗ることはできない。


「……ローズさんも、他の人たちも、全員途中加入なんですか?」


「そうだよ」


「じゃあ、スーサイド小隊が隊として成り立ったのはいつですか」


「……めざといなぁ」


 うつろは少しだけ、悲しげに柳眉を寄せた。同じように、周囲にいる少女達も少し空気をピリつかせる。うつろの代わりに、黒いバニー服を着た少女が横から口を出す。


「スーサイド小隊の人員は、移り変わりが激しいの」


 その次に、白いバニー服の少女が。


「ほら、ここって要は生きる意味を失った『ガワ』の行き着く先だからさ。ここでの活動を通して正義に目覚めちゃって、普通に警察になるってこと、多いんよ」


「……えーと」


「あたし、狼牙巡」


 黒いバニー服の少女が名乗る。続いて、白いバニー服の少女が。


「うちはね、あきら! 小蜜晶! よろしく!」


 それでね、と晶は部屋の隅の天使の少女に視線を移す。少女は常に暗い表情をしていて、三角座りをして羽に体を包んでいる。


「あの子はラフィ・ウィングアロウ。天使さまだよ」


「ちょっと、勝手に名前教えないでよ」


 ラフィはいかにも不機嫌そうに眉を顰めて不満を漏らす。


「……随分馴染んでいるように見えますけど、それでも古参ではないんですね」


「ん。うちとめぐちゃんは半年くらいで、ローズちゃんは一年くらい、ラフィちゃんは一ヶ月くらい! ここにはいないけど他にもいるよ」


「小隊規模の人数で、死ななくても、それでも入れ替わるってことですか」


「そーそ。生きる意義を見つけたなら、もうこの小隊にいるような人間じゃないから」


「あくまで『スーサイド』……自殺志願者の集まりなんですよねぇ〜、ボク達は。だから自殺志願者じゃないなら、やっぱい相容れないんですよぉ」


 ここでの活動を通して、たとえば人を助ける喜びを知ったならば、それは生きる意欲となる。しかしそれを知ったなら、普通の警察になるしか道はない。生きる希望を持ったままスーサイド小隊に所属することは不可能ということだ。

 それならば、と枝垂はうつろを見る。自分の身長より少し低い位置にある彼の顔を。スーサイド小隊が出来てから二年余り、ずっと希死願望を持ち続けている彼は、一体どうして死にたいのだろうかと。

 下衆な勘繰りだ。自分が死にたい理由なんてそうそう話したいものではないし、枝垂だって自分が死にたい理由は、その真意までは話したくない。だから、そこで考えることはやめた。


「夜薙くん、三年間引きこもりしてたんだよな」


「そ、そうですけど……改めてハッキリ言葉にされるとちょっと……」


「ははっ、ごめんごめん。寮に案内するついでに、外をぐるりと回らない? 周囲の道くらいは覚えておいたほうがいいと思う」


 そのままうつろに連れ出され、枝垂は外に出た。その風景は、灰色の『アーカイブ』の人波の中にちらちらと『ガワ』の色彩が見えること以外は、特に変わらない。雑踏と人の話し声がさざめく道だ。

 警察署から徒歩十分ほどの場所にある寮を軽く紹介される。まだ正式にスーサイド小隊に加入したわけではないので案内されたのは外観だけだ。

 警察署周辺の道を、うつろと共に歩く。流れている沈黙が気まずかった。


「……僕達の事務所『いろどりトリ』の他のライバーの『ガワ』達とは、半分くらいとは連絡が取れてる」


「そうですか。……お元気ですか?」


「うん。みんな少なからず混乱も困惑もしてたけど、僕みたいになることはなかった。本当に、良かったと思うよ」


 自分を下げるような言葉を、うつろは心底安堵したように呟く。枝垂は咄嗟に否定しようと思ったが、寸前でやめた。なんにせよ、うつろは喜んでいるのだからそれに水を差すべきではない。


「君は? 確か、同期が他に三人いただろ?」


 枝垂は執事やメイドなど、同じ家に使える使用人四人組、チーム名『四季守家』としてデビューした。


「三年前から連絡はとっていません。その、勇気がなくて……」


 まだ自分の身に何が起こったのかわかっていなかったこともある。しかし、何よりも怖かったのだ。だって、彼らは枝垂の『中の人』にとって友人だった。だから、彼を殺してしまった枝垂を拒絶するかもしれない。枝垂にとってもかけがえのない友人である彼ら彼女らに改めて人殺しだと、罪人であることを突きつけられてしまうのが怖かった。


「けど、みんな同じ罪を抱えてるんですね。……傷を舐め合うべきだったのかもしれませんが、もう連絡を取る方法もないですから」


「スマホは? それで連絡できるだろ」


「全部、私の『中の人』の死体があるあの家に置いてきてしまったので。自分のスマホのパスコードすら忘れてしまいました」


 少し冗談めかして肩を竦めるが、うつろの表情は硬く強張っていた。彼は恐る恐るといった風に口を開く。


「少しデリケートなことを言うから、不愉快だったら殴ってもいい」


「殴りませんよ。なんですか?」


「……どうして、『中の人』の死体から逃げ出したんだ?」


 その問いに、枝垂は言葉を詰まらせた。問いの意図がわからなかったし、何よりも答えは明白すぎてあえて言語化するのに苦労したのだ。


「見たくなかったからですよ、自分が犯してしまった罪の象徴を。私が生まれるために殺してしまった人の死体を」


「それだ。……どうして夜薙くんは、『中の人』を殺したことを罪と言うんだ?」


 自分よりも少し低い位置にある瞳が、心底不思議そうに枝垂を見つめる。これもまた枝垂にとって分かりきった問いで、逆に困惑してしまった。


「だって、私の『中の人』は素晴らしい人間でしたから。だから、そんな人を殺してしまって罪悪感があるんです。彼以上に素晴らしい人間になれる自信は、私にはありません」


 枝垂は、自分の『中の人』を心から尊敬している。

 直接言葉を交わしたことはない。ただ、彼の人生の全てを知って、それを『夜薙枝垂』という異なった人格から俯瞰しているだけだ。

 枝垂は『中の人』ではない。『中の人』の全てを知っている他人だ。だからこそ、枝垂は『中の人』を心底尊敬している。


「……羨ましいな」


 風が吹けば掻き消えてしまいそうなほどに小さい声で、うつろは呟いた。聞き返そうとしたが、その前にうつろは小走りに枝垂の数歩先を行く。


「夜薙くん。悪いけど、君と僕は相容れない気がするよ」


 振り返って、彼は言う。一陣の風が吹いて、彼の金色の髪を煽った。はためくカーテンのように髪が彼の表情を隠す。しかし、その切れ間から、うつろの笑顔が見えた。

 そして、その姿が、その顔が、なぜだか儚げに見えた。


「……せんぱ、」


 風に拐われてしまいそうだとだと思って、思わず手を伸ばす。彼の配信を見ている時は、こんなこと思ったことはなかったのに。

 けれど、哀染うつろがひどく虚に見えた。空虚で、空っぽで、吹けば飛んでしまう風船のような。その紐を手繰らねばならないと思った、その時。


 轟音が、鳴り響いた。

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