第3話


 人通りのない、建物が半ば崩壊している道ばかりを通って歩くこと一時間。半壊した警察署に案内された枝垂は、応接間のような部屋に通された。

 ローズは「ボク、うつろクンを彼岸クンのとこに持っていきますねぇ〜」と早々に死体を抱えて出ていき、室内には枝垂れだけが取り残される。

 よくよく見れば、そこは応接間というより談話室といった風情だ。それにしても、ここが警察署だとは思えないくらいに雑然としているが。

 所々破けている革張りのソファに、蜘蛛の巣の模様にも見えるヒビが入ったガラスのローテーブル。よくよく見れば壁が一つぶち抜かれて隣の部屋と繋がり、広いスペースが取られているらしい。

 棚には何故だか化粧品や香水、非常食といった雑多なものが入っている。何かの書類が収められているファイルの横に漫画の単行本が一シリーズ並んでいたり、非常用の水の容器の口にネックレスがかかっていたり、複数人の私物と生活必需品を押し込めたかのような印象だ。部屋の隅っこにある、白い毛玉の塊のようなものは一体何だろうか。

 困惑したまま、ソファに座ることもできずに枝垂は立ち尽くす。三年間も時間を意識しない生活を続けていたのだから、時間の感覚なんてとうに狂ってしまっていた。一体何分そうしていたかわからないが、とにかく待っていると、唐突に背後の扉が乱暴に開かれた。


「たっだいまぁ〜! ……はれ、だれ?」


 現れたのは、二人の少女だった。

 片方は、白いバニー服とバニーコートという露出の多い服装。レッグベルト以外何も纏っていない白く長い脚が艶かしい。髪はボリュームのある白髪で、腰までの長さがある。声を出したのはこちらの少女で、蜂蜜色の大きな瞳を丸くして枝垂を凝視していた。

 その後ろから顔を覗かせるのは、よく似たシルエットのバニー服とバニーコートを纏った少女。ただしこちらの衣服は黒色で、白い少女よりも細く見える脚にはストッキングが吸い付いている。肩ほどの長さで切り揃えられたの絹のような髪は鴉を思わせる黒色だ。白い少女よりも怜悧そうな顔立ちをしていて、縹色の瞳を細めてじとりと枝垂を睨みつけていた。

 彼女達は二人とも、それぞれ奇妙な道具を片手に携えている。マイクスタンドに六角形の箱をくっつけたかのような、ものだ。それぞれの手首には揃いのデザインのブレスレット。彼女たちの手首はそれよりもずっと細いのに、なぜか地面に落ちていない。

 二人は一瞬警戒するように空気を剣呑としたものにしたが、すぐにそれを霧散させた。


「保護されてきた感じか。生活感あるとこだけど、ゆっくりしてって」


 黒い少女がそう言いながら、棚の横に道具を立てかける。まるで何事もなかったかのように枝垂の横をすり抜けて、ソファに座り込んだ。「あ、まってよめぐちゃん」と言いながら、白い少女も同じようにソファに並んで座った。

 彼女達も、イラストがそのまま動いているかのような姿をしている。どういうことだろうかと、枝垂は更に頭を混乱させた。


「というか、ラフィちゃんはどうしてそんなところにいるの?」


 白い少女が部屋の隅に向かって問いかける。枝垂が目線を向けると、先ほど疑問に思っていた白い毛玉の塊がもぞりと動いた。

 そして、まるで蝶が蛹から羽化するかのように、開いたのだ。

 現れたのは、くるくると巻かれた肩甲骨までの長さの亜麻色の髪の少女だ。少し不機嫌そうに顔を歪めている。ドレープが効いた真っ白なワンピースはウェディングドレスのような華美さだ。

 中学生ほどの年齢に見える彼女の特筆すべき点は二つ。虹彩が虹色であることと、背中に大きな翼が生えていることだ。その浮世離れした姿から、枝垂は天使を連想する。


「……警戒してるのです。だって、こんなぽっと出の男の前に姿を出せるわけないでしょう」


「あの羽の塊みたいなフォームに反応しなかったんなら、ラフィちゃんは狙ってないと思うけどねー」


「……それもそうですのね。ごめんなさい。けど、ここ案外落ち着くのです」


 羽の少女は立ち上がった。白鳥を思わせる羽は地面に引きずりそうな大きさだ。背丈は小さく、かなり小柄で細身。やはり、彼女もイラストのような質感だ。

 この短期間で何人も、自分と同じように自意識を持っている立体となり動いているイラストに会っている。

 一体、どういうことなのだろうか。枝垂が混乱していると、後ろから「あ〜。お揃いで」とローズの声が聞こえる。

 助けを求めるように振り返ると、そこには二人の人間がいた。片方は、服に血の一滴もついていないローズ。

 もう一人は。

 毛先が遊んだ猫っ毛の金髪。男にしては大きく、幼なげな印象の藤色の瞳。細く、しかし精悍さも備えたボディラインを際立たせる服の上にオーバーサイズの上着を羽織った、いずれも現代的なデザインの装い。

 彼は目を丸くする。そして、己の脚で一歩踏み出し、枝垂に一歩近づいた。


「……夜薙枝垂、くん?」


 その姿は、先ほどまで確かに下半身が消失して死んでいたはずの哀染うつろに他ならなかった。



「うん、やっぱり夜薙枝垂くんだよ、な? 僕のこと知ってる? 一応同じ事務所所属の先輩なんだけど」


「え、あ……も、もちろん存じ上げて、ますけども……」


「そっかそっか。よかった」


 うつろは安堵したように柔らかく表情を緩め、どもっている枝垂の次の言葉を待つように小首を傾げた。


「哀染……先輩は、さっき、死んだはず、じゃ」


「ああ、死んだけど」


 あっけらかんと、うつろは答える。己が死んだ事実を。


「な、なら、なんで生きて」


「なんでって……そういうもんだからとしか言いようがないし……。あ、上下が分かれてただけで欠損はなかったから、戻るのが早かったかな」


 うつろがそこまで不思議そうに言ったところで、背後から「あ」と声が聞こえる。


「どうした、晶」


「いや……もしかして、知らないん?」


「何が」


「うちら『ガワ』が死なないこと」


 白いバニー服の少女の言うことに、枝垂は首を傾げた。


「『ガワ』って、私のことですか」


「君っていうか、僕らだけど」


「あの人達全員、ブイチューバーってことですか?」


 何かを察したのか、うつろが呆れたような表情になった。


「……君、三年前に何が起きたか、それから何が変わったか、どれくらいまで知ってる?」


 枝垂は表情を歪めた。三年前のことは、あまり思い出したくない。けれど話さないと話が進まないので、渋々口を開く。


「部屋で突然、私の……夜薙枝垂の中身の配信者を殺して、私は生まれました。それがあまりにショッキングで、あのマンションまで逃げて無断で住み込んで……今日まで、何もせずに生きてきました」


「SNSの類は見なかった?」


「一切、見てません」


「じゃあ、本当に何も知らないわけだ」


 この手のは珍しいな、と呟きながら、うつろは頭を掻く。周囲の少女たちも目を丸くしていた。


「それじゃ、三年前に何があったかから話すか。君に何が起こったかではなく、世界に何が起こったか」


「世界……?」


 首を傾げる枝垂に、うつろが訥々と語り始める。


「三年前、世界は決定的に変わった。と言っても、変わったのは人間だけだけど。人間が大きく二種類に分けられたんだ」


 うつろは指を一本立てる。


「一種類目が、一般人。彼らは全員自我がなく個性なども塗りつぶされて、ただ決められた動きをなぞるだけの、ゲームのNPCのようなものになったんだ。元に戻す方法は、今のところは見つかってない。こいつらは一般的に『アーカイブ』って呼ばれてるよ。人間の営みとかを、記憶をなぞってトレースする存在だから」


 指をもう一本立てつつつ、うつろは少し表情を歪める。


「その他は全員、僕達みたいな『ガワ』だ。ブイチューバーの立ち絵がガワって呼ばれることがあるって、君も多分知ってるだろ。この世界で現在自意識を持っている人間は、全員ブイチューバーとして一瞬でも活動していた人間なんだ」


「全員……ブイチューバー……?」


 枝垂は思わず周囲を見回した。

 バニー服を纏った二人の少女。天使の羽を持った女の子。それからローズに、うつろ。

 全員、ブイチューバーの、『ガワ』。

 全員、枝垂と同じように、自分の姿を操っていた配信者の腹を突き破って生まれてきた存在。


「元々僕達の立ち絵を使って配信をしていた配信者、動画投稿者は『中の人』と呼ばれてる。……今現在この世界は『アーカイブ』と、『中の人』を殺して新生した『ガワ』しかいないディストピアだ」


 冷徹に告げられた言葉に、枝垂は息を呑んだ。


「それじゃあ、哀染先輩も……」


「うん。『中の人』を殺して生まれた」


 枝垂が信じられなくて、認めたくなくて、逃げ続けていた事実。しかし全く同じ体験をした人がこの世界に何千人といて、乗り越えている。それが、枝垂には到底信じ難かった。


「皆さんは……すごいんですね」


 三年も、何もない部屋で腐っていた自分とは違う。

 そう思ったが、それは「違う」と即座に否定される。背後にいた、白いバニー服の少女によって。


「それは違うよ。うちらはまだ、逃げようとしてる。きみと同じなんだよ」


 その瞳はわずかに潤み、揺れている。その側に黒いバニー服の少女が寄り添っていた。

 枝垂が彼女の言葉の意図を察しかねていると、ローズが後ろから口を開いた。


「人間の大部分が『アーカイブ』になった、ってのはわかりますよねぇ。知名度ほぼナシだろうとブイチューバーになった人ってのは、総人口からするとかなり少ないはずですから。それで、『アーカイブ』ってのは本当にNPCみたいに決まった動きしかしないんですねぇ」


「は、はぁ」


「警察の『アーカイブ』もねぇ、犯罪が起きたら一応対応する動きは見せるんですけど、臨機応変さが全くないんですよぉ〜。人間として動いて、しかも設定によっては人間よりずっと強い『ガワ』には、あんまり勝てないんですねぇ」


 それはつまり、警察は役に立たないということではないか。

 設定というのは、『ガワ』のキャラクターとしての設定のことだろう。例えば、天使なんて想像上の存在だが、すぐ近くに天使のように羽が生えたような少女がいる。それと同じように、例えば最強の武器を持っている勇者、なんて設定の『ガワ』は本当に最強の剣を持ってこの世に生まれる、ということだ。

 ただし、技術は基本的に『中の人』に準拠する。最強の剣を持っていても、『中の人』が剣の技術を持っていなければ『ガワ』も剣を振れないという訳だ。実際、枝垂は執事の設定ではあるが実際に執事として完璧に人に仕えることは不可能だろう。


「目には目を、『ガワ』には『ガワ』を、ってことで、警察に代わる組織が作られたんですねぇ。警察官の設定を持ってたり、元々『中の人』が警察ないし捜査機関やらに所属していた『ガワ』が少なくも結集したんです〜」


 それでも、そんな経歴や設定を持っている『ガワ』は非常に少ないだろう。正義を重んじる設定を持っている『ガワ』ならもっといるだろうが、『中の人』としての記憶も持っているというのにそれを貫徹できる『ガワ』がどれほどいるか。


「んでもって、夜薙くん。僕達、警察に見える?」


 枝垂は首を横に振る。後ろから「見えるわけないでしょう」と天使の少女が言った。


「哀染先輩が自警団……っていう、設定なのは、知ってますけど」


 哀染うつろが所属していたグループ『Busy Vigil』は、裏社会にて公機関に頼らぬ取り締まりを行う自警団、という設定のグループだった。うつろはそこのリーダーだ。だから、正義を重んじて警察代替組織に所属しても不思議ではない。

 少女達が顔を見合わせ合って、「言っていいの?」と声を潜める。「いいよ」とうつろが許可を出す。


「あたし達は別に正義になりたいわけでも、悪を取り締まりたい訳でもない」


 黒バニーの少女が眉を顰めながら言う。


「じゃあ、どうして」


 ここは警察署だし、彼女達が全員警察代替組織に属しているのはわかる。けれど、その目的はわからない。

 枝垂は訳もわからず問い続けるしかできないでいる。その状態を嗤うかのように、あるいは自分自身を嘲るかのように冷笑を溢しながら、天使の少女が呟くように告げた。


「死ぬため」


 その短い言葉を理解するのに。枝垂は数秒の時間を要した。ようやくその意味を理解して、追い打ちをかけるかのようにうつろが喋り出す。


「僕達はスーサイド小隊。絶対に死ねないという理を持っている『ガワ』であるのに、しかし死にたくてたまらない。そんな『ガワ』が集まって、いつか訪れるかもしれない死を求む集団。自らの軽い命を少しでも有益に使おうとしている、そんな集まり」


 その話に、何故だか枝垂は驚かなかった。むしろ、納得すらあった。ほんの少しだけ呼吸を吸って、吐いて、そして思う。同じだと。


「『ガワ』は死なない。死ねる方法はまだわかってない。けど、ここは人の死が何よりも近い場所にあるから、ここなら何かわかるかもしれない。そういう希望を持って生きているのが、僕達なんだよ」


 ようやく、うつろが一度凄惨に死んでも何とも思っていないかのような態度だった理由がわかった。

 死にたかったからだ。体がバラバラになっても、よかったからだ。

 五対の瞳が、真っ直ぐに枝垂を見る。どこか乾いた、厭世、または自己嫌悪が少なからず含まれた、さまざまな色彩の瞳。


「……まあ、説明はここまでにしよう。重い話をしてごめん。元々ここに連れてきたのは、爆弾魔に何か被害を被ってないか、情報を得られていないかを訊くためだったんだ。事情聴取は何も僕達がしないといけないことでもない。他の職員を呼んで……」


「入れてください」


「……ん?」


 枝垂の唐突な一言に、全員が枝垂を見返した。特にうつろは藤色の大きな瞳を丸くして、目を瞬かせている。


「スーサイド小隊、ですか。私も、入れてください」


 はっきりとした枝垂の言葉に、うつろはいよいよ「……えぇ?」と困惑した声をあげる。


「な、何血迷ってるん? そんな簡単に入りたいって言ったら……」


「簡単じゃありません。死にたいのは、私も同じです」


 三年間飲まず食わずで腐り続けていたのは、本当に自分が腐ることを願っていたからだ。死んで、たんぱく質の塊になって、冷蔵庫の外に放置した肉のようにぐずぐずに腐って消えていきたかったからだ。

 枝垂はずっと、死にたくて死にてくてたまらなかった。

 うつろの藤色の瞳が、まっすぐに枝垂を見る。何かを確かめるように。数秒間見つめ合って、そしてふと緊迫した空気が霧散した。


「……そうか、わかった。署長には僕から言おう」


 うつろが踵を返して、部屋を出ようとする。ローズが驚嘆の声を出した。


「え、隊長ぉ〜?」


「隊長と呼ばないでくれ。志望するなら僕は別に自由に入ってもいいと思ってるってのは、何度も言ってるだろ。ここは来る者拒まず、去る者追わずが信条だ」


「えぇ〜」


「一応確認するけど、夜薙くん、それは冗談の類ではないよね?」


 藤色の瞳が、じっと枝垂の深緑色の眼を見つめる。その意思は堅いのか、と。

 枝垂は恭しく頭を下げる。まるで、主に忠誠を誓うかのように。

 いいや、それは実際忠誠だった。本当は存在しない主への虚な誓いではない。己への、いずれ己を殺すという誓約だった。同時に、必ずやここにいる全員が死ねる方法を見つけてみせるという。

 かつて推していた、憧れだった人の『ガワ』である青年に。


「はい。どうか、己の『中の人』を殺して生まれた罪深い命を、有用に使わせてください」

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