第六話 遣唐判官、継人。
陰険な雰囲気の男は、源を
「
大数の法、万万から、すぐに言え!」
「万万を億と
これすなわち大数の法なり!」
「ふん……。」
「可!」
見物人の
───おお……!
見物人たちが、どおっ、と盛り上がる。
「
この人は、知識だけでなく、緊張する場面で
(ありがとうございます。)
源は目礼した。
見れば、高官の倚子、九席は、本日は全て埋まっている。
昨日は欠席した遣唐使の高官は、
……源もそれ以上、ゆっくり観察してる余裕はない。
その後は、漢詩の問いとなった。
作文するのではなく、有名な漢詩を
人が良さそうな、親しみのある顔の男が出題する。
「遣唐判官、
「人生無根帶。
飄如陌上塵……。(※注一)」
八人は一列に立たされ、順番に一人ずつ、それぞれ違う問いが出され、その場で、
一巡めは、八人全て、可をもらった。
しかし、二巡めに入り、二人、脱落した。
残り六人に緊張が走る。
(最後の一人になるまで、これを続ける気だ!)
三巡め……。
四巡め……。
とうとう、最後に残ったのは、源と黒麻呂の二人となった。
二人は並び、互いが答え終わるたび、互いを見る。
無駄口はきかないが、黒麻呂の目は、
(だから、おまえだけは潰しておこうと思ったんだ。)
と言っているようだったし、源の目は、
(卑劣な妨害をしたのはお前だろう。負けねぇ。録事になるのはオレだ。)
と、闘志で燃えた。
五巡め、六巡め……。
勝負がつかぬ。
源と黒麻呂、二人とも可を取り続ける。
黒麻呂が礼の姿勢をとり、
「恐れながら申し上げます。」
と声をあげた。
「漢詩の教養では、勝負がつかぬかと存じます。
真に優れた
万一、遣唐使に無頼の徒がまとわりつきましても、高官の皆さまをお守りできる腕前が、私めにはあります。
ぜひ、武芸の試しを、この者と行うお許しを賜りたい!」
大使、
「ふむ……。良かろう。」
と頷くと、黒麻呂はすぐに、
「ありがとうございます。おい、
と自分の
(何か仕掛けてくるな。)
源はそう思ったが、ここで自分の
(良いだろう。真正面から潰してやる!)
源は
二人、
「
とほくそ笑んだ。源は目の色を冷たくする。
「始め!」
二人は勢い良く切り結んだ。
一合、二合、
黒麻呂の顔から、余裕が消える。
六合、
───ガキッ!
源の
黒麻呂はニンマリと笑う。
源は、
折れた
針でうっすら線をひいたほどの傷である。
「あっ! 痛え! 痛え! 血! 血がっ! ぎゃあっ!」
痛みに驚き、黒麻呂は大刀を取り落とし、尻餅をつき、
「止血! すぐに止血を! 痛え!」
と慌てふためいた。
(よくそれで、ならず者をオレにけしかけたものだ。人の痛みがわからないのか。)
立ち会いの近衛府の頭が、
「勝者、
と宣言した。源は、尻餅をついたままの黒麻呂のそばに、
「
と、折れた
「折れた
「戦えるさ。
「くそっ、くそっ、神聖な試しを血で汚しやがって!」
源は
(今この時も、オレの
「すぐに血のとまる、浅い傷だぞ?
───おおお……。
猫のように可愛い顔立ちの源の口から発せられた、激烈で男らしい言葉に、見物人たちがどよめき、拍手がおこった。
大川さまはにこにこと微笑み、
「ほう。これはなかなかの人材だな。」
と、つぶやいた。
「くそっ、くそくそくそ!」
左首を手でおさえた黒麻呂は憤怒を顔に浮かべ、立ち上がり、源を指差した。
「皆、騙されてるぞ!
この
そもそも、士官を許された年齢じゃないんだ!
ここにいる事自体が、大きな
暴露した。
「あっ……!」
(しまった!)
源の顔から血の気が、ざーっとひいた。
これは言い繕いができない。年齢とは
そして、黒麻呂の言ったことは真実だ。
遣唐使の高官たちも顔色が変わり、大川さまも青ざめている。
見物人たちも、
───えっ、そうなの?
───なんだ、
───じゃあ、士官できる年齢じゃないのに、
と、ざわめいた。
大川さまが倚子を立ち上がり、
「たしかに、この者は十九歳です。しかし、考えてください。遣唐使は、二十年に一度ほどです。
もし源が録事となれば、次の遣唐使船にも乗れる。
次の遣唐使たちに、前の遣唐使がどのように唐で過ごしたか、録事としての知識を伝える事ができるでしょう。
この若さは武器になる。
たった二歳、
この者は、三百人のなかから、
その事をぜひ、考慮くださいませ。」
大川さまは誠実に言葉をかさね、近くの録事、
六十歳近い彼こそ、遣唐使の父と唐の女との間に生まれ、遣唐使船で唐から日本に十六歳の時に渡ってきた、遣唐使のなかでも一目おかれる知識人であった。
大川さまは、事前に根回しをしていたのだろう。
「私は、
と静かに言った。
場の空気が変わる。そこで、椅子のはじで、ずっと
「にゃはは〜。」
と笑った。檜扇をはずず。
(あれぇ?
昨日、
たしかに背が高く、品の良い顔立ち、遣唐使たちの輝かんばかりの雰囲気にぴったりではあるが……。
(どうしてそこに?)
「少壯不努力、老大乃傷悲。(※注二)
(
若い時に努力しないと、歳をとってから痛み悲しむことだろう。)
若い時に頑張ることは、良いことだ。
さて、遣唐判官、
サボり魔め、おまえが出題するんかい、と、まわりの遣唐使の高官たちが彼を見た───ように源には見えた。
「二人とも、答えられれば答えよ。玲瓏映彩舟と詠った漢詩を
黒麻呂が、
「うっ。」
と
しかも、あまり有名な漢詩ではない。
だかこれは……。
(オレの好きな漢詩だ!
「金漢星楡冷。
銀河月桂秋。
靈姿理雲鬢。
仙駕度潢流。
窈窕鳴衣玉。
玲瓏映彩舟。
所悲明日夜。
誰慰別離憂!(※注三)」
源はたからかに
「可!」
───おおおおお!
───すっげぇ!
見物人たちが盛り上がる。
「これにて、
見狩さまの言葉に、黒麻呂は、ぐうう、ぐうう、と悔しそうに呻いている。
「私は、合理的に考える。私が見るのはただひとつ。遣唐使としての素養。この面々で、唐の皇帝に謁見するのだ。大和の威信が、その時、我々遣唐使にかかっていると言えよう。
して、黒麻呂、源。おまえ達二人が並んでいるとだな。
黒麻呂、おまえは源に見劣りするのだよ。教養、容姿、胆力。三つ全てが、だ。
それが答えだ。」
ふん、と
黒麻呂は屈辱で唇をかみしめ、わなわなと震えている。
(うわー、えげつないほど、叩きにいくね、継人さま……。)
そこに、今まで姿の見えなかった三虎が、影のように、すっ、と大川さまのそばにゆき、大川さまに何事か耳打ちした。
大川さまが倚子を立ち上がる。
「
源をおそい、怪我をさせて、
「でっちあげだ! 身に覚えのない事だ!」
黒麻呂が叫ぶが、
「ひっ!」
と目を見開いた。
「源を襲った奴らです。
黒麻呂は力なく、その場に膝をついた。大使、
「なんと……。その罪、
と顎をしゃくった。近衛府の衛士に引っ立てられて、黒麻呂は、
大使、
「
この功により、
「……………!」
源の腹から喜びがこみあげた。真っ赤に紅潮した顔で、
「ありがとうございます!」
礼の姿勢をとったあと、
「ぃぃぃいやったあ───!!」
我慢できず、大声で叫び、両腕をつきあげた。
見物人たちから、割れんばかりの拍手喝采がおこった。
遣唐使の高官たちも、拍手をしてくれた。
大川さまは、優雅でありながら、とびきりの笑顔だ。
「父上───! 母刀自ぃ───!」
家族を呼ぶ。近衛府の衛士、
源の家族が、わっ、と源を取り囲み、源は父上と兄たちに抱きしめられた。
「オレ、遣唐録事になったよ───!!」
* * *
(※注一)……人生は
人生には、よりどころになる土台というものがなく。まるで
(※注二)……
※注一、注二ともに、[参考] 中国名詩鑑賞辞典 山田勝美 角川ソフィア文庫
(※注三)……
麗しいその姿は、織女星の乗った舟に色彩豊かに
逢瀬も一夜限り。
明日の夜からは織女星は悲しまねばならない。
誰がこの別れの憂いを慰められるであろうか。
[参考] 古代歌謡集 日本古典文学大系 岩波書店
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