第五話  卑劣な妨害。

 みなもとが、家族と楽しい夕餉ゆうげ酒肆しゅしでとっていた、ちょうどその頃。


 毛氈もうせんお騒がせ男、黒麻呂くろまろが、みなもとの父親の同僚を探し出し、金品をつかませ、みなもとの事を根掘ねほ葉掘はほり聞き出していた事など、みなもとは知るよしもない───。





    *   *   *





 翌朝。

 

 福耳のみなもとは、朝起きると、


若大根売わかおおねめ。心から恋うてるよ。」


 東の空に想いを飛ばす。


 その日の午前中は、ひとりで大川さまの屋敷で書物を読ませてもらい、昼前に自宅に帰り、いつものように家族と昼餉をいただいた。


 遷鶯せんおう考試こうしは、午ひとつの時刻(午後1時)からだ。


 みなもとは早めに昼餉を切り上げ、歯木しぼく(木を歯ブラシのように割いたもの)と塩で口をきよめ、昨日と同じ、大川さまから頂戴した浅葱あさぎ色の銀刺繍の衣に袖を通した。

 源の持っている衣は、他のものはすべて擦り切れ、ツギハギのあるものばかりだからだ。

 平城京へ向かい、一人ですたすた歩いていると、ガラの悪い十人のおのこに囲まれた。皆、抜き身の大刀たちや斧を持っている。


「ちょっと痛い思いをしてもらうぜぇ。」

「今日一日、立って歩けないぐらいな。へっへっへ……。」

「それは遠慮するよ。遷鶯せんおう考試こうしの二日目に遅れちゃうでしょ。」


 言うや否や、源も腰に常にいた大刀たちを抜刀し、首魁しゅかいと見られる、口をきいた男に、姿勢低くつっこんでいった。

 一合。

 大刀たちを交わし。


「やッ!」


 源は素早い動きで、首魁しゅかいの右腕をなで斬った。

 深くはない。手加減はした。


「ぎゃあ!」

「こいつ慣れてるぞ……!」


 源の手並みに、ならず者たちはザワザワとした。

 たまたま居合わせた、イザコザを遠巻きに見守る通行人たちは、ぱっと散った血の色に、小さい悲鳴をあげた。

 腕を斬られた男は、


「これじゃわりに合わねぇ。」


 とぶつくさ言って、数歩さがった。


「この野郎! おみなみたいな顔しやがって! ボコボコにしちまえ!」


 残り、九人の男たちが、いっせいに源に襲いかかってきた。

 九対一でも、源は危なげなく、大刀たちや斧をかわす。

 ただ、大川さまから頂戴した衣に、返り血が飛沫しぶきとなって散り、ならず者の大刀たちがかすって、布地が浅く切れた。


「むぅっ!」


 みなもとは怒った。鬼神のように大刀たちをふるいはじめる。


「やめろ!」


 大川さまの従者、三虎が、三人の濃藍こきあい衣の衛士を引き連れ、走ってきた。


「ちっ、引き上げるぞ!」


 ならず者たちは全員、逃げ去ろうとする。


(追わなくていっか。こっちは時間ないし。)


 源はそう思うが、


「逃がさん! 葉加瀬はかせ、追え!」


 と、三虎が引き連れてきた衛士の一人に命じる。


「はい!」


 葉加瀬はかせと呼ばれた男は、ならず者を追って、猛烈に駆け去っていった。


みなもと、怪我はないか?」

「ない。ありがとう! どうしてここに?」

「源の家を、上毛野かみつけのの衛士えじで、これより十日間警護する。それで源の家に向かっていたのだが、ちょうど良く襲撃にでくわしたものだ。」

「警護? ありがたいけど、どうして?」

「おまえは目立ちすぎる。

 今回、源に向けられるねたみが、ご家族に火の粉として降りかからないように、用心に越したことはない、と大川さまのお言葉だ。

 大川さまの叡智えいちとご慈悲に感謝しろ。

 そして走れ!

 遷鶯せんおう考試こうしに遅れるぞ!」

「わかった! 大川さまの叡智とご慈悲に感謝する!」


 源は風のように走り出す。

 三虎は、引き連れてきた衛士二人に細かい指示をだす。













 朱雀門の前の広場が見えたのと同時に。


 ダン! ダン! ダン! ダン! ダン! ダン………。




 午ひとつの刻(午後1時)を知らせる太鼓が鳴る。


(まずい、まずいっ!!)


 広場は、昨日より多く集まった見物人でごった返している。


「通してください! すみません、通してっ!」


 見物人をかきわけ、遷鶯せんおう考試こうしの場に入ろうとするが、


 ダン………。


 十二回の太鼓が鳴り終わった。


 源の視線の先、近衛府このえふの衛士が簡易な門を閉じはじめた。

 間に合わない。


「待って!」


 門が閉じきる前に、木の扉が、ギッ、と動きを止めた。


「痛っ! てめえうしお、なんで腹を殴るんだ!」

「蚊がいた。」

「はあっ?! ふざけるな!」

「まあまあ。あとで干しイワシおごるよ。」


 源はわずかに開いた扉の隙間に身体を滑り込ませた。


うしおぃ、ありがとう!)


 近衛府の衛士であるうしおぃとすれ違いざま、目で感謝を伝えると、うしおぃは、ぱち、と片目をつむった。






 源が遷鶯せんおう考試こうしの場に足を踏み入れると、二十九人の希望者がいっせいにふり向いた。

 なぜか皆、細い竹を口にくわえている。


「遅い!」


 高官の居場所から、鳴神なるかみ(カミナリ)のような声が響いた。

 目つきの鋭い、どこか陰険さの漂うおのこが立っていて、源に怒鳴ったのだ。


「申し訳ありません。ここに来る最中、暴徒に襲われましてございます。」


 みなもとは正面を向き、顎をあげ、大きな声で言った。

 毛氈もうせんお騒がせ男、黒麻呂くろまろが、


「そんなの言い訳だ! 遅れたのを誤魔化ごまかしたいのだ、いやしい奴め!」


 と、楽しそうに言った。


(おのれ……!)


 源は黒麻呂を、ぎり、と睨みつけた。

 大川さまが倚子から立ち上がった。


「午ひとつの刻(午後1時)の太鼓には間に合ったようです。」


 本当は、ぎりぎり、間に合ってない。

 だが、大川さまは、こう言う事で間に合った、と、事実をすり替えた。

 高官の倚子からは、簡易な門は見通せないのだ。


「本当に暴徒に襲われたのなら、情状酌量の余地もあるというもの。

 何よりこの者は、一日めに優秀な成績を残しました。

 ここに集まった見物人たちは、この者、韓国からくにのむらじみなもとの活躍を見たいのではないでしょうか?」


 大川さまは麗しい顔にたえなる微笑みを浮かべ、右腕を、さっ、と広げた。


「なあ、見物人たちよ。どうだ?」


 ───そうだ、見たいぞ!

 ───みなもとがいなくなるなんて、つまらんぞ!

 ───仔猫ちゃんの活躍を見せろ!

 ───そうだ、そうだ!


 という声があちこちから飛び、


 ───きゃあ〜!

 ───大川さまぁ!

 ───素敵ぃぃぃ!


 という女の黄色い声もあちこちから聞こえる。

 大川さまは、すぐに、すん……。といつもの温度を感じさせない笑顔に戻った。

 倚子の中央に座る大使、今毛人いまえみしさまが、


「大川殿。座りなされ。継人つぐひと殿。」


 と、陰険そうな、三十代半ばのおのこに話しかけた。


「このまま考試こうしを続けなさい。」

「しかし……。」

「この遷鶯考試せんおうこうしをなぜ、衆目のなかで行っているか、意味を考えなさい。」

「わかりました。」


 大川さまと陰険そうな男、継人つぐひとさまの二人は、今毛人いまえみしさまに礼の姿勢をとり、大川さまは座った。

 立ったままの継人つぐひとさまは、じろり、と不満そうに源を見た。


「竹を口に。」


 源の後ろに立った監督官が、細い竹を、


「口にくわえろ。」


 と源に差し出した。

 源が、他の希望者と同じように、竹を口に加えると、竹のなかはくり抜かれ、すー、すー、息が抜けた。(ストロー)


(なんで竹を?)


 源は、黒麻呂くろまろが無言で、悔しそうにこちらを睨んでいるのを感じたが、無視した。


「聞きそびれたたった一人の為に、もう一度、名乗ってやろう。

 遣唐けんとう判官はんがん大伴おおともの宿禰すくね継人つぐひとである。

 私はちんたら、木簡に文字を書くだけの考試を良しとしない。一人ひとり、口頭で答えてもらう。問題がわからぬよう、順番待ちをする者には、目と耳を塞がせてもらう。」


 源たちは、長い布で、頭をぐるぐる巻きにされた。視界は真っ暗、まわりの声もくぐもって、良く聞こえなくなった。


(そういうことねー!)


 ぷすー、ぷすー。

 口に加えた細い竹がなかったら、息ができなくて死んでしまうところだった。


 何を言ってるかわからないが、時々、見物人たちが、わっ、と盛り上がるのが聞こえる。


大伴おおともの宿禰すくね継人つぐひとさま、雰囲気が陰険そうって思ったけど、やっぱり、ちょっと意地悪な問題出しそうだよね。

 ふぅ。早くオレの番、来い!

 オレは負けないぞ……。)


 前触れもなく、布がほどかれた。

 晴れた空が眩しい。

 いつの間にか、真正面、至近の距離に、大伴おおともの宿禰すくね継人つぐひとさまが立っていた。眉間に古い刀傷がある。

 ギロリ!

 目力が強く、威圧感を持って、にらまれた。


 源は、鎮兵ちんぺいであった。

 生死を乗り越える思いを、何度もした。


(どのように偉い高官に睨まれようとも、オレがひるむことはない!)


 








↓怒った源の挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088857729789



↓華やかに笑う大川の挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088890109633

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