第四話  珉 会という楽師。

「問う。律令りつりょう、職員令、十三条(※注一)を記せ。

 繰り返す、律令、職員令、十三条を記せ。」


 美髯びぜん(美ひげ)の遣唐けんとう録事ろくじの出題に、いっせいに希望者が木簡に筆をすべらせはじめた。


(職員令の十三条は、式部省条だ!

 律令りつりょう、職員令、十三条、式部省条。

 式部卿しきぶのかみ一人。

 式部大輔しきぶのだいすけ一人。

 式部少輔しきぶのしょうすけ一人。

 式部大丞しきぶのだいじょう二人。

 式部少丞しきぶのしょうじょう二人。

 式部大録しきぶだいさかん一人。

 式部少録しきぶしょうさかん三人。

 史生ししょう二十人。

 省掌しょうじょう二人。

 使部つかいべ八十人。

 直丁じきちょう五人。

 良し! 最後まで書けた。自信ある。)


「書けました!」


 今度も源は一番のりだ。

 右後方から嫌な視線をまた感じるが、源は振り返らない。

 源は、全問正解した。

 この、順番を間違えて書いたり、人数を少しでも間違えたものは、容赦なく、


「不可。」


 と言い渡された。

 源の木簡を手にした大使、今毛人いまえみしさまが、


「そなた、さっきも一番乗りで答えを書き終わっていたな。しかも、墨痕淋漓ぼっこんりんり墨跡ぼくせきが盛ん。文字うまい)である。どこのご子息かな?」


 と、離れて正座をする源に声をかけた。


(これは、以前、大川さまがオレの名前を紹介してくれたの、すっかり忘れられてるな……。無理もない。)


正七位下しょうなないのげ民部省みんぶしょう主税寮しゅぜいりょう大允だいじょう韓国からくにのむらじ大国おおくにの息子、みなもとです。ありがとうございます!」


 源は、おっきなおっきな声で答えた。

 今毛人いまえみしさまは、声の大きさにびっくりしたように目を丸くし、


「ほっほ……。愉快。」


 と笑った。見物人からも、


 ───みなもとぉー!

 ───いいぞいいぞ!

 ───頑張れ!

 ───頑張れ仔猫ちゃん!


 と声援が……。

 源は、ぱっちり大きな目、男にしては可愛い、秀でた顔立ちのおのこであった。猫に似てるといえば、似てる。


「なんだ仔猫ちゃんて! オレはおのこだぞ?!」


 源はおくすることなく、見物人におっきな声で言い返す。


 ───ははは。

 ───かーわい〜。


 見物人にとっては、これは娯楽。手をたたいて喜ばれた。

 麗しい大川さまは、にこにこ、と柔和な笑顔で、源を見ている。

 倚子に座る高官のうち、三十代半ば、目つきの鋭い、どことなく陰険な雰囲気さえ漂う男が、


「んん!」


 顔をしかめて咳払いした。

 それを見て、近衛府このえふ衛士えじたちが見物人たちに、


「静まれ!」


 と声をかける。







 その後もいくつか問題がだされ、とうとう、希望者が三十人に絞られたところで、遣唐大使、今毛人いまえみしさまが、


「一日目は、ここまで。

 続きは明日、行う。」


 と宣言した。

 源は、三十人のうちの一人に残った。喜びで顔が赤くなる。


(良し、良し、よっしゃ───ッ!!)


 叫び出したいが、ここでは我慢……。

 簡易な門をくぐり、三十人がぞろぞろ退出する時、


「おい!」


 後ろから肩をつかまれた。

 あの、毛氈もうせんのお騒がせ男だ。


「おまえ、本当に遣唐使か?

 見かけた事がないぞ。」


 みなもとは落ち着いて黒麻呂くろまろを見た。


「まだ遣唐使ではない。だが、遣唐録事さまから薦擧せんきょを頂戴し、遣唐大使さまからお許しをもらってここにいる。正々堂々、競い合おう。」

「チッ……。コネ持ちが気取りやがって。」


 黒麻呂くろまろ忌々いまいましそうに舌打ちし、去って行った。



     *   *   *




 見物人のなかには、源の家族もぞろぞろそろっていた。全員、見事な福耳である。

 源の勇姿に興奮した姉、すずし、は、


「すこし贅沢をしたい。丸鶏を食べて帰りたい!」


 と主張した。酒肆しゅし(呑み屋)に寄る。

 酒肆は人で混み合い、楽師が一人、ポロン、ポロン、と琵琶びわを弾いて歌をうたっていた。




れの───、朝霧あさぎりごもり───、鳴きてく───、かりこひ───、かりこひ………。」





 母刀自ははとじ(母親の尊称)が興奮を抑えきれないように、


みなもと、すごいわね。」


 とみなもとを見た。

 大学寮の助教じょきょう(役人教育機関の助教授)である長兄、まこと兄ぃが、


「源ぉ、オレが教えてきたことを見事に吸収して……。うっ。」


 と男泣きし、非番であった近衛このえの衛士、次男、うしおぃが、


考試こうしは武芸はやらんのか!

 オレが鍛えたみなもとの武芸を皆に見せれば一般合格だろうに! がはは!」


 と豪快に笑い、薬売りとしてあちこち遊び歩く三男、わたる兄ぃが、


「嬉しいぞみなもと! おまえはオレたちの希望だ。」


 普段ちゃらんぽらんなくせに、珍しく真面目な声をだしたので、みなもとは言葉につまり、目を潤ませて渡兄ぃを見た。

 父上、大国おおくにが、


「よくぞここまで成長した。私も叶えられなかった、くにに渡る夢、そして、家を隆盛させる夢、おまえなら叶えられると、信じていたし、これからも信じている。」


 と微笑んでくれた。すずしぇが、


「あともう少しで、みなもとは遣唐使ね。しかも録事ろくじになれるだなんて、信じられないほどの幸運だわ。」


 と、泣き出しそうな笑顔でみなもとを見る。

 源は、ぐっ、と熱い想いがこみあげ、がた、と倚子を立ち上がった。


「まだ考試は明日も続く。遣唐録事になれるのは、一人だけだ。

 オレが遣唐使になれるかは、わからない。

 でも、頑張る!

 オレは唐に行きたい。

 ずっと、ずっと、くにに渡ることを夢見てきた。

 そのために、オレ、頑張ってきたよ。

 皆、応援してくれてありがとう!」


 わー、と皆、拍手してくれた。

 いつの間にか、酒肆の客たちもおしゃべりをやめ、こちらに注目してる。


「オレは、オレの家族を信じてる!

 オレ自身を信じてる!

 必ず、遣唐使船に乗って、唐で先進の知識を得て、この国に帰ってくる。

 そしてこの家を盛り立てる。

 夢をこの手につかんでみせる!」


 源の曇りのない声が、たからかに響いた。

 皆、拍手して盛り上がる。


 ───遷鶯せんおう考試こうし、見たぞー!

 ───頑張れよ、仔猫ちゃん!

 ───応援してるからな!


「オレは仔猫ちゃんじゃない!」


 源が怒ると、わははは、と皆、笑った。

 そのうち、酒肆しゅしの客が、


 ───そこにいるのは、木蘭もくらん郎女いらつめじゃないか?

 ───聞かせてくれよ、木蘭辭もくらんじ


 とすずしに声をかけはじめた。

 毎日、従者控えの間で語り物をするおみなのことは、ちょっとした噂になっていたのである。

 すずしは、家に伝わる膨大な木簡、書簡を、何年もかけ、ずっと読みふけってきた。そのおかげで毎日違う語り物を、苦も無く披露することができた。

 そして、初めの日に披露した木蘭辭は、ワクワクする話で人々の心をつかむので、強請ねだられて何回も披露し、得意中の得意となっていた。


 すずしは、こほん、と咳払いをし、楽しそうに笑った。


「いいわよ。……ショクショクフクショクショク!」


 しばらく、すずしたくみな語り物が続き、


 ───ポロン。


 琵琶の音が響いた。楽師がいつの間にか、すずしの語り物にあわせて、琵琶を弾いている。

 すずしが語り物を終えると、皆から拍手が鳴り響き、二十歳なかばの琵琶弾きが、ふらり、とすずしのそばに立った。

 父上、兄たち、みなもとも、顔に警戒の色を浮かべる。

 楽師は背が高く、上品な雰囲気で、くるん、と丸い口ひげを蓄えている。

 すずしを見て、


「にゃはは〜。」


 と笑った。気の抜けた笑い方で、上品さが台無しであった。なんとも残念な男である。


郎女いらつめ(お嬢さん)、良いものを聞かせてもらった。」

「………。」


 すずしははにかんで笑った。

 普段は威勢が良いくせに、褒められると黙ってしまう不器用な姉だった。


 楽師は、ふとみなもとを柔らかい笑顔で見た。


「君はどの漢詩が好きかね?」


 源は、いつ、どんな時でも動じない。


懐風藻かいふうそう大学頭だいがくのかみ従五位下じゅごいのげ山田やまだのふひと三方みかた、五言、七夕の一首。」

「そうかそうか。にゃはは〜。」


 楽師は害のない笑顔、気の抜けた笑い声で、酒肆しゅしの主に小袋を、酒肆を出ていった。


「今の人、なんで小袋を渡してたの? 琵琶を弾いて、報酬をもらうがわじゃないの?」


 源がおっきな声で疑問を口にすると、


「あれは、変わり者の楽師でね、腕は良いんだが、時々しか現れないし、気が向いた時にしか歌わない。そのワガママを通すために、酒肆の主に財貨を渡してるんだとよ。」


 と、客が教えてくれる。

 源は、なぜだか楽師がすごく気になった。


「名前は?」

みん かいって楽師さ。」





    *   *   *



【読み飛ばしてOK】


(※注一)……文官の人事、宮廷の礼儀、大学寮(役人の教育機関)などを管轄する、式部省しきぶしょうの構成員です。


 史生ししょう(20人)がヒラの事務官、省掌しょうじょう(2人)がその補佐役。

 使部つかいべ(80人)が史生ししょうの指示に従って働く実働部隊で、身分的には文官見習い。

 直丁じきちょう(5人)だけは官人ではなく、一般人から集められて雑用にあたったそうです。





【要点まとめ】


 源(男子だけど仔猫ちゃん)はブッチギリで遷鶯せんおう考試こうしを勝ちすすむ。

 毛氈もうせん持ってこい男、黒麻呂くろまろにライバル視される。


 遣唐使の高官は、


 大使……副使……判官はんがん……録事ろくじ


 の順番で偉い。

 ・大使の今毛人いまえみし───賄賂がっぽがっぽも知らんぷり、食えない狸親父の六十歳手前。

 ・まだ名前のでてきてない、目つき鋭い、雰囲気陰険男。

 ・判官はんがん海上うなかみの真人まひと見狩みかり───ブッチ。(ずる休み)

 ・録事ろくじ下道しもつみちの長人ながひと───美髯びぜん(美ひげ)。もう今作では出てこない。

 ・録事ろくじ上毛野君かみつけののきみ大川おおかわ───奈良でもモテモテ。本人知らんぷり。



 源の家族は、大家族。

 父、大国おおくに

 母刀自ははとじ

 一人目、まこと(長男)──マジメ助教じょきょう

 二人目、うしお(次男)───近衛府このえふ衛士えじ

 三人目、すみ(長女)───病弱美女。

 四人目、わたる(三男)───薬売り。

 五人目、さやか(次女)───変わったお転婆。

 六人目、すずし(三女)───本の虫。

 七人目、みなもと(四男)───ちゃっかりイケメン。


 すずし以外の女性は嫁にいきました。

 すずしと、うしおと、わたる以外は、もう出てきません。


 酒肆しゅし(飲み屋)で会った、にゃはは〜と笑う謎の楽師、みん かい

 源は、また会う事があるのでしょうか……。








↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088796884665

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