第三話  遷鶯考試、一日目。

 五日後。


 遣唐録事けんとうろくじ一人を選ぶ、遷鶯せんおう考試こうしには、希望者三百人が殺到した。

 いずれも、遣唐使船に乗る予定の者たちである。

 なかには、学のあまりない、技術職の者も見受けられた。

 遣唐大使、今毛人いまえみしは、遣唐使に選ばれた者なら、誰でも遷鶯せんおう考試こうしに挑んで良い、と、布告ふこくした為である。


 遷鶯せんおう考試こうしは、平城京、朱雀門すざくもんの前の広場で行われた。


 朱雀大路すざくおおじは、四十ひろ(約74m)

 朱雀門の前の広場は、東西、八十六じょう(約260m)

 南北四十六丈(約140m)


 三百人集まっても、余裕の広さだ。


 見物人でごった返すなか、近衛府このえふ衛士えじたちが大勢駆り出され、遷鶯せんおう考試こうしを行う一角に、見物人が足を踏み入れないように警備する。



 式部省しきぶしょう(文官の人事、叙位および任官、行賞などを司る。教育機関である大学寮も管理する。)からも、役人が大勢駆り出された。


 希望者は、広場に建てられた簡易な門をくぐり、考試の場に入り、地面にひかれたゴザの上に正座する。

 ゴザの上には、何も書かれていない木簡と、すずりと墨、筆が用意してある。

 希望者一人につき、一人、式部省しきぶしょうの役人がつき、真後ろに立った。監督官である。


 ゴザの上に座ったみなもとの後ろにも、役人が立った。

 ジロジロと源の背中を見る。


「問題がでたら、よそ見をするなよ。よそ見をした時点で、不正を働いたとみなす。」


(ヒェ〜、勘弁かんべん!)


「わかりました。」


 源は緊張で、六月の快晴のした、額に汗をかいた。


(問題が出たら、正面以外はちらりとも見ないぞ。)


 そう固く決意する。

 正座した源が真っ直ぐ前をむくと、朱雀門を背後に、九席用意された倚子に、八人、身なりの立派な人たちが座っているのが見えた。

 年齢はまちまち。

 なかの一人は、遣唐録事、大川さまである。


(はぁ〜、立派だ。)


 こうやって見ていると、遣唐使の高官の選考基準が良くわかる。

 皆、背が高く、各々、見るべきところがあるおのこ達だった。

 有り体に言えば、顔が良い。

 歳が上の者は、いかにも教養がありそうな、理知的な雰囲気を身にまとい。

 若い男は、キラキラ輝くような美形揃いだ。

 大川さまの容貌は、極めて優れている、と言えるが、他の者たちも見劣りはしない。

 豪華絢爛。

 そんな男たちの集まりである。


(オレもあそこに……、立ちたい!

 ひるんでられるか。遣唐録事になるという事は、あのなかに入る、という事だ。

 背の高さなら、オレも負けてない。)


 源は、実際、かなりの高身長であった。


(ん?)


 倚子は九席。座っているのは八人。

 源は、後ろの監督官を振り返り、


「ねえねえ、なんで一席、空いてるの?」


 くりくりした目で、素直に疑問をぶつけた。


「ああ、海上うなかみの真人まひと見狩みかりさまは欠席のようだな……。」


 邪気のない源についうっかり答えてしまった監督官は、


「ええい! 私語禁止!」


 厳しい顔をした。

 その時、少し離れた場所で、希望者の誰かが騒いでるのが聞こえた。


「誰がゴザの上になんて座るか。膝が痛くなるわ。オレは新羅しらぎではキシ(貴族)の血をひくんだぞ! おい、蓑麻呂みのまろ毛氈もうせん絨毯じゅうたん)を持ってこい!」

黒麻呂くろまろさま、すぐに……。」


 見ると、二十代半ばほどのおのこが、自分の下人げにん毛氈もうせんを持ってこさせようとしていた。

 そのおのこの監督官が額に青筋を立てながら、


壬生みぶの吉志きし黒麻呂くろまろ

 新羅しらぎだかキシだか知らないが、おまえよりよっぽど位階が上の者だって、ゴザに正座だ。黙って座れ。それ以上騒ぎたてれば、失格とみなす。」


 と言ったので、お騒がせ男はしぶしぶ引き下がった。


「チッ。勘違い野郎め。」


 源の後ろに立った監督官が、ぽそっと小声で文句を言ったのが源に聞こえた。



 ダン! ダン! ダン! ダン! ダン! ダン………。



 午ひとつの刻(午後1時)を知らせる太鼓が鳴った。

 刻限こくげんだ。

 考試の場に九席用意された倚子から七人が立ち上がる。

 中央の倚子にただひとり腰掛けたままの、今毛人いまえみしさまが、


「遣唐大使、佐伯さえきの宿禰すくね今毛人いまえみしである。遷鶯せんおう考試こうしを二日間に渡り、これより開始する。

 優劣を争い、真に優れた者、一人のみが、録事として迎えられる。

 厳しい考試となるであろう。

 だが、このように、はじめの門戸は広く開かれ、才覚のある者を公平に選び抜き、大和やまと耀威よういを示す遣唐使は構成されるものと知れ。」


 今毛人さまの左右の高官が、今毛人さまに礼の姿勢をとった。

 それにならい、希望者も正座のまま礼の姿勢をとる。


 大川さまが進み出た。


「遣唐録事、上毛野君かみつけののきみ大川おおかわである。」


 ───きゃあぁ!

 ───しゃべったわ。

 ───かっこいい。

 ───大川さまって言うのね。こっち見てぇ。


 遠巻きに見守る見物人のうち、とくに女を中心に、黄色い声があがる。


(大川さまは奈良でもモテモテ。)


 大川さまはおみなたちの秋波しゅうはに眉ひとつ動かさない。


「問う。

 論語、養身第二。(※注一)

 天下皆知美之爲美から、是以不去まで。一言一句、漏らさず、間違えず、木簡に記せ。

 繰り返す。

 論語、養身第二。

 天下皆知美之爲美から……。」


 源ももちろん、大川さまから事前に問題は教えられていない。

 しかし、論語は頭に入っている。

 さらさらさら、と、木簡にしるした。


(天下皆知美之爲美、斯惡已。皆知善之爲善、斯不善已。

 故有無相生、難易相成、………爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。良し! 最後まで書けた。自信ある。)


「書けました。」


 源は希望者のなかで一番乗りで、背後の監督官に声をかけた。

 監督官は無言で微笑み、源から木簡を受け取り、大川さまのところへ持っていった。


「書けました!」


 すぐに大きめの声があがり、右後方より、鋭い視線をかんじた。


(なんだ?)


 源が振り向くと、一番手をとられたのが悔しいのか、源を睨みつける毛氈もうせんおのこ黒麻呂くろまろと目があった。


(むっ。)


 不愉快であり、源はすこしだけ、唇を突き出してしまうが、このような小物を相手にする気はない。

 源はすぐに目をそらした。


 次々に、


「書けました。」

「書けました。」


 の声があがる。

 倚子に座った遣唐使の高官八人と、位の高いであろう式部省しきぶしょうの役人十人で、三百人の木簡に目を通す。


「可」

「不可」


 皆、漢文に目を通すのが早い。

 間違った者。

 そもそも、論語の養身第二と言われてもわからず、木簡に花の絵を描いた者。

 よそ見をして、失格を言い渡された者。

 それらは、この遷鶯せんおう考試こうしの場から去るように言い渡された。


 百人ほどが残った。

 もちろん、源は残った。


 また、高官がひとり、進み出る。美髯びぜん、黒くフサフサとした顎髭が胸まで立派に生えている男だ。


「遣唐録事、下道しもつみちの長人ながひとである。」


 今度は、女の黄色い声はあがらない。

 次はどんな題か。

 希望者の気配がピリピリと張り詰める。






    *   *   *




【以下は読み飛ばしてOK。知りたい方のみ。】


(※注一)天下てんかみなたるを知る、これ悪のみ。

 皆善の善たるを知る。これ不善のみ。

 有無うむ相生あいしゃうじ、難易なんい相成あいなし、……(略)……してたのまず。こうりてらず。ただらず、ここもって去らず。



 天下の人々は、美しいものは美しいと単純に思う。しかし実は醜いのである。

 人々は良い事は良いと単純に思う。しかし実は悪い事なのである。

 そもそも世間の事柄はみな相対的である。

 という概念があるから無という概念が生まれ、また、無という概念があるからという概念も生まれるのである。

 難と易もまた同じ。……(略)……

 聖人は大きな働きをしながら、その功をたのみにしない。こうってもそれに見合う富貴の地位にいない。

 そもそも、そういう地位にいようとしないからこそ、そのこうが身を去らないのである。





↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088612517468

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2024年11月18日 06:00
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明闇の雁  〜夢を追う源〜 加須 千花 @moonpost18

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