第二話  ぶんむくれの涼。

 翌朝、福耳のみなもとは、平城京の従者控えのに、福耳のおみなとあらわれた。


 ───おみな

 ───誰だ、おみなを連れ込んだのは?

 ───貧乏くさい衣だぜ。

 ───野暮ったいおみなだな。


 高い身分の者たちに仕える従者たちは、ヒソヒソとささやきかわした。


 おみなは、二十歳をすぎたくらい。

 目刺めざし髪(前髪のこと。子供、結婚してない女の特徴)が野暮ったい。

 女は普通、十八歳までに婚姻する者が多いからだ。

 中肉中背。顔立ちは、悪くもなく良くもない。

 目が、眠たそうな半目で、機嫌悪そうに、ジロリ、と自分を見るおのこたちをにらみ返した。


 男たちは目を逸らす。みなもとが何もかも全く気にしない、明るい声で、


「三虎、連れて来たよ! 姉のすずし!」


 とニッコリ笑う。

 ちなみにみなもとは、浅葱あさぎ色に銀刺繍の立派な衣である。

 源がツギハギだらけの色あせた、着古した衣しか持っていないと知った大川が、何も言わずに、自分の衣を一着、下賜かししたのだ。


 おみなは、着古しツギハギのある衣で、みなもとの背中から進み出た。ぶっすー、とぶんむくれた可愛くない顔で三虎を見る。

 三虎も、ムッ、と不機嫌そうな顔になる。


正七位下しょうなないのげ民部省みんぶしょう主税寮しゅぜいりょう大允だいじょう韓国からくにのむらじ大国おおくにの娘、すずしです。

 お見知りおきを。」


 女は、ぶんむくれた顔で礼の姿勢をとり、挨拶をした。


上野国かみつけのくに碓氷郡うすいのこほり少領しょうりょう石上部君いそのかみべのきみ八十敷やそしきの息子、三虎です。」


 三虎も倚子から立ち上がり、不機嫌顔で礼の姿勢をとり、挨拶を返す。


みなもとから話は聞いております。弟の為に、上野国かみつけのくに大領たいりょうのご子息とともに、多大なご援助、感謝申し上げます。

 ───はっきり言って、うちには、返せる財貨はありません!

 せめても、この控えの間にいる間、無聊ぶりょうをお慰めします。

 ただし!

 あたしに指一本触れないでくださいまし!

 そういう慰めかたは、一切! 致しません。」


 三虎の眉がピクピクとした。


「オレは何も源に要求してない。慰めなら間に合ってる。帰れ。」


 すずしは、背嚢はいのうからしゃくを取り出した。平べったい木の棒である。

 可愛くない顔のまま、それで、カッ、カン! と、机の上を二回強く叩いた。乾いた木の音が良く響き、まわりの男たちが、ビクッ! と驚く。

 三虎は眉をひそめる。


「みーとら〜〜〜。」


 源が軽い足取りで三虎の前にやってきて、両肩に手を置いた。


すずしぇの語り物は、抜きん出て素晴らしいんだ。

 聞かないのは損だよ。

 まずは一回聞いてよ。はい、座る。」

「ぬぅっ……!」


 三虎は不満そうな声をもらし、倚子に座らされた。

 すずしは、ぶんむくれた顔をひっこめ、ニッ、と悪戯っぽく笑った。

 びし、と三虎をしゃくで指し、


「ショクショクフクショクショク!」


 朗々ろうろうと謡い出した。


「※喞喞復喞喞  

 木蘭當戸織  

 不聞機杼聲  

 唯聞女歎息  

 問女何所思  

 問女何所憶  

 女亦無所思  

 女亦無所憶」


 滑らかな唐語とうごである。


 ───なんと!

 ───すごいな……。


 と、皆、いっせいにざわついた。

 さすが従者の集まり。半分ほどは意味がわかったようで、ニヤリ、と愉快そうに笑う。

 残りの半分は、唐語ということはわかっても、何を言っているかわからず、困惑顔だ。

 三虎は、もちろんわかる。


「ほう。木蘭辭もくらんじ。」


 と、ニヤリとした。三虎はくせのある笑い方で、口元を歪めて笑うのだが、目は笑わない。

 すずしは、カッ! としゃくで机を叩き、


喞喞しょくしょくまた喞喞しょくしょく

 木蘭もくらんたってる。  

 機杼きじょの声聞こえず。

 じょ歎息たんそくを聞くのみ。

 じょふ、なんおもところぞ。

 じょふ、なんおもふ所ぞ。


(「カチャンカチャン」(はたを織る音)また「カチャンカチャン」

 木蘭もくらんは戸口の明るい所ではたを織っている。

「カチャンカチャン」「カラカラ」という(横糸を巻いたもの)の音は耳につかず。

 ただ木蘭もくらんのため息が聞こえるだけ。

 あなたは、いったい誰を思ってため息をついてるのですか?

 あなたは、いったい何を思い出してため息をついているのですか?)」


 すぐに、大和言葉やまとことばを添えた。

 これで、残り半分の男たちも、言葉を理解し、満足した顔色になる。


女亦じょはおもところ

 女亦じょはおもところ


(わたしは、誰も思ってなどいません。

 わたしは、何も思い出してもいません。)」


 すずしは、木蘭もくらんが自分の思いを述べるところで、それまでの、きりっと鋭かった声音をかえ、可憐な女らしい声を出した。

 うれい顔でふぅ、とため息をつき、まさに目の前に木蘭がいるかのように錯覚させる。

 その匠みな変化で、聞いていた男たちは語りに引き込まれ、目を輝かせた。


「───いかがです?

 木蘭辭、最後まで語ることができます。お聞きになりますか?」

「得歡當作樂。(かんを得てはまさに楽しみをすべし。喜びを得たならまさに楽しむべきだな。)

 頼もう。木蘭もくらん郎女いらつめ(お嬢さん)。」


 三虎が頷く。

 まわりの従者たちも、暇を持て余していたのは同じ。


「これは良い!」

「頼むぜ、木蘭もくらん郎女いらつめ!」

「楽しみだ!」


 と、皆、喜んだ。すずしは、


「ふふっ。」


 と満足げに笑い、語りを再開した。


 三虎は、みなもとを見た。


「たしかにこれは、無聊ぶりょうを慰められるな。感謝する。」

「へへっ、でしょう?」


 得意げにニッコリしたみなもとは、声をひそめた。


「この特技も、家のなかでしか見せられなかったんだ。おみなだからね。

 うちは貧乏だけど、家柄だけは古いから、道端や酒肆しゅしで歌うような真似はできない。

 オレとかは、家柄を伏せて薬売りの行商ぎょうしょうにでたけど、すずしぇはおみなだからできない。

 その事がバレたら、婚姻に響くから。

 おのこなら、薬売りしてたってバレても、妻をめとるのに影響ないのにね。

 それなのに、縁談が流れちゃってさ……。すずしぇ、塞ぎこんでたんだ。

 今日、ここに連れてくるのも、男ばかりのところだから、ちょっと怖がってた。

 オレが大川さまと三虎にすごく世話になったから、そのことを持ち出して何かされるんじゃないかって、それもちょっと怖かったみたい。

 オレは、三虎は良いヤツだから、大丈夫って言ったんだ。

 絶対、語り物は上手くいくし、三虎も気に入ってくれるからって。ねっ?」


 三虎は、真正面から、良いヤツ、と言われて、ムズムズした。


「チッ。まったくおまえは……。」


(可愛いヤツだよ! 人目がなければ、頭をグリグリ撫でてやりたいところだ。)


 二十五歳の三虎はそんな事を思いつつ、語り物を続けるすずしに目をやり、


「ああ、気に入った。」


 と穏やかな顔つきで言ったのだった。


「でもすずしぇをねやにお持ち帰りしないでよ。」

「するか!」


 三虎の顔はすぐにいつものムッとした不機嫌顔に戻った。




    *   *   * 



 すずしは、語り物を終えたら、ぶんむくれた顔はどこへやら、晴れやかに笑うようになった。

 語り物の腕前を皆に褒めそやされて、気分を良くしたらしい。


 正午になり、大川が務めを終えた。


「大川さま、立派な語り物をする、源の姉です。オレが従者控えのにいるあいだだけ、毎日語り物を聞かせてもらうことになりました。」


 と簡単に三虎が説明し、すずしは大川に挨拶をした。挨拶まではなんとかまともにしゃべれたが、その後は、


「お、おと、弟が、お、おせ、おせおせ、お世話になっております。」


 すずしは、大川のあまりの美貌に真っ赤になり、まともに喋れなくなり、最後はうつむいてしまった。


(弟から、大川さまは、信じられないほどの美貌だって聞いてたけど、これほどとは。

 美しすぎて怖い。まともに顔を見ることさえ、恐れ多いわ。

 この方の近くにいると、なぜか胸がザワザワして不安になる。

 早く家に帰りたい。)


 大川は、優しく、幽遠な、温度を感じさせない微笑みを浮かべてすずしを見た。


「それは良い。三虎を楽しませてやってくれ。褒美は……。」

「大川さま、これは、源にいろいろ便宜べんぎをはかっていることのお礼だそうなので、褒美を与えてしまうと、かえって恐縮させてしまうでしょう。」

「わかった。」


 大川は、すずしから興味を失ったように、ふい、と目をそらした。


みなもと、心して聞け。遣唐使の録事ろくじが一人、病気を得て……、もっぱら、遣唐使を辞退するための方便ほうべんだという噂なのだが……、欠員がでた。

 佐伯さえきの宿禰すくね今毛人いまえみしさまは、今回、面白い試みをなさる。

 遣唐使に選ばれなかった者から不平不満の声が多いらしく、公正明大に人を選んでいるのだと広く知らしめる為に、公開して、録事ろくじを一人、選ぶことにしたのだ。

 遷鶯せんおう考試こうしだ。

 遣唐使に選ばれた者のなかで競わせるという話だったが、そこに、私の薦擧せんきょ(人材をすすめあげること。推薦すいせん。)付きという事で、源、おまえをねじ込んだ。」

「えっ?!」

「おまえは、現時点では遣唐使ではない。だが、遷鶯せんおう考試こうしの頂点に立てば、遣唐使船に乗れる!

 録事ろくじとしてな。」

「………!」


(遣唐使船に、高官として乗れる!

 帰国したら確実に従五位下じゅごいのげだ!)


遷鶯せんおう考試こうしは、五日後。源は、私の屋敷に泊まれ。ありったけの知識を授けよう。

 三虎は、佐伯さえきの宿禰すくね今毛人いまえみしさまの屋敷に、金錯刀きんさくとう(黄金作りの刀)を届けよ。話はついてる。列に並ばず、直接、家人に声をかけよ。」

「はい。」

「源。」


 大川は、源に向き直り、静かな眼差しで、ひた、と源を見据えた。


照妙てるたえの布も、金錯刀きんさくとうも、遷鶯せんおう考試こうしの舞台に立つまでの代価に過ぎぬ。

 佐伯さえきの宿禰すくね今毛人いまえみしさまは、一言、手心てごころは加えぬ、と申された。優秀な遣唐使たちのなかで勝ち抜けるかは、おまえの実力如何いかんにかかっている。

 そして、これが初めての機会で、最後の機会となるだろう。」

「はい!」


 源は心が勇みたち、ぶるぶると身体が震えだした。


(この千載一遇の機会、必ずつかんでみせる!)





     *   *   *





 ※参考  『中国名詩鑑賞辞典』   山田勝美   角川ソフィア文庫



 遷鶯せんおう……うぐいすが低い谷間から高木に移る、転じて、官位がのぼること。




↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088574619680


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る