第二話 ぶんむくれの涼。
翌朝、福耳の
───
───誰だ、
───貧乏くさい衣だぜ。
───野暮ったい
高い身分の者たちに仕える従者たちは、ヒソヒソと
女は普通、十八歳までに婚姻する者が多いからだ。
中肉中背。顔立ちは、悪くもなく良くもない。
目が、眠たそうな半目で、機嫌悪そうに、ジロリ、と自分を見る
男たちは目を逸らす。
「三虎、連れて来たよ! 姉の
とニッコリ笑う。
ちなみに
源がツギハギだらけの色あせた、着古した衣しか持っていないと知った大川が、何も言わずに、自分の衣を一着、
三虎も、ムッ、と不機嫌そうな顔になる。
「
お見知りおきを。」
女は、ぶんむくれた顔で礼の姿勢をとり、挨拶をした。
「
三虎も倚子から立ち上がり、不機嫌顔で礼の姿勢をとり、挨拶を返す。
「
───はっきり言って、うちには、返せる財貨はありません!
せめても、この控えの間にいる間、
ただし!
あたしに指一本触れないでくださいまし!
そういう慰めかたは、一切! 致しません。」
三虎の眉がピクピクとした。
「オレは何も源に要求してない。慰めなら間に合ってる。帰れ。」
可愛くない顔のまま、それで、カッ、カン! と、机の上を二回強く叩いた。乾いた木の音が良く響き、まわりの男たちが、ビクッ! と驚く。
三虎は眉をひそめる。
「みーとら〜〜〜。」
源が軽い足取りで三虎の前にやってきて、両肩に手を置いた。
「
聞かないのは損だよ。
まずは一回聞いてよ。はい、座る。」
「ぬぅっ……!」
三虎は不満そうな声をもらし、倚子に座らされた。
びし、と三虎を
「ショクショクフクショクショク!」
「※喞喞復喞喞
木蘭當戸織
不聞機杼聲
唯聞女歎息
問女何所思
問女何所憶
女亦無所思
女亦無所憶」
滑らかな
───なんと!
───すごいな……。
と、皆、いっせいにざわついた。
さすが従者の集まり。半分ほどは意味がわかったようで、ニヤリ、と愉快そうに笑う。
残りの半分は、唐語ということはわかっても、何を言っているかわからず、困惑顔だ。
三虎は、もちろんわかる。
「ほう。
と、ニヤリとした。三虎はくせのある笑い方で、口元を歪めて笑うのだが、目は笑わない。
「
(「カチャンカチャン」(
「カチャンカチャン」「カラカラ」という
ただ
あなたは、いったい誰を思ってため息をついてるのですか?
あなたは、いったい何を思い出してため息をついているのですか?)」
すぐに、
これで、残り半分の男たちも、言葉を理解し、満足した顔色になる。
「
(わたしは、誰も思ってなどいません。
わたしは、何も思い出してもいません。)」
その匠みな変化で、聞いていた男たちは語りに引き込まれ、目を輝かせた。
「───いかがです?
木蘭辭、最後まで語ることができます。お聞きになりますか?」
「得歡當作樂。(
頼もう。
三虎が頷く。
まわりの従者たちも、暇を持て余していたのは同じ。
「これは良い!」
「頼むぜ、
「楽しみだ!」
と、皆、喜んだ。
「ふふっ。」
と満足げに笑い、語りを再開した。
三虎は、
「たしかにこれは、
「へへっ、でしょう?」
得意げにニッコリした
「この特技も、家のなかでしか見せられなかったんだ。
うちは貧乏だけど、家柄だけは古いから、道端や
オレとかは、家柄を伏せて薬売りの
その事がバレたら、婚姻に響くから。
それなのに、縁談が流れちゃってさ……。
今日、ここに連れてくるのも、男ばかりのところだから、ちょっと怖がってた。
オレが大川さまと三虎にすごく世話になったから、そのことを持ち出して何かされるんじゃないかって、それもちょっと怖かったみたい。
オレは、三虎は良いヤツだから、大丈夫って言ったんだ。
絶対、語り物は上手くいくし、三虎も気に入ってくれるからって。ねっ?」
三虎は、真正面から、良いヤツ、と言われて、ムズムズした。
「チッ。まったくおまえは……。」
(可愛いヤツだよ! 人目がなければ、頭をグリグリ撫でてやりたいところだ。)
二十五歳の三虎はそんな事を思いつつ、語り物を続ける
「ああ、気に入った。」
と穏やかな顔つきで言ったのだった。
「でも
「するか!」
三虎の顔はすぐにいつものムッとした不機嫌顔に戻った。
* * *
語り物の腕前を皆に褒めそやされて、気分を良くしたらしい。
正午になり、大川が務めを終えた。
「大川さま、立派な語り物をする、源の姉です。オレが従者控えの
と簡単に三虎が説明し、
「お、おと、弟が、お、おせ、おせおせ、お世話になっております。」
(弟から、大川さまは、信じられないほどの美貌だって聞いてたけど、これほどとは。
美しすぎて怖い。まともに顔を見ることさえ、恐れ多いわ。
この方の近くにいると、なぜか胸がザワザワして不安になる。
早く家に帰りたい。)
大川は、優しく、幽遠な、温度を感じさせない微笑みを浮かべて
「それは良い。三虎を楽しませてやってくれ。褒美は……。」
「大川さま、これは、源にいろいろ
「わかった。」
大川は、
「
遣唐使に選ばれなかった者から不平不満の声が多いらしく、公正明大に人を選んでいるのだと広く知らしめる為に、公開して、
遣唐使に選ばれた者のなかで競わせるという話だったが、そこに、私の
「えっ?!」
「おまえは、現時点では遣唐使ではない。だが、
「………!」
(遣唐使船に、高官として乗れる!
帰国したら確実に
「
三虎は、
「はい。」
「源。」
大川は、源に向き直り、静かな眼差しで、ひた、と源を見据えた。
「
そして、これが初めての機会で、最後の機会となるだろう。」
「はい!」
源は心が勇みたち、ぶるぶると身体が震えだした。
(この千載一遇の機会、必ずつかんでみせる!)
* * *
※参考 『中国名詩鑑賞辞典』 山田勝美 角川ソフィア文庫
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088574619680
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