明闇の雁  〜夢を追う源〜

加須 千花

第一話  源、奈良での日々。

 奈良時代。


 甲寅きのえとらの年。

(774年。宝亀ほうき六年。)


 五月。

 戰の最中である、陸奥国みちのくのくに桃生柵もむのふのきち。

 六月。

 韓国からくにのむらじみなもとは、奈良の都に帰ってきた。


 道すがら、宿泊場所や食事の手配、全部面倒を見てくれた、大豪族の跡取り、上毛野君かみつけののきみ大川おおかわさまは、


「私の屋敷に部屋を用意しようか?」


 と、麗しい顔に蓮の花のような笑顔を浮かべて申し出てくれたが、


「ううん! 大丈夫。オレの屋敷、奈良にあるからさ。ありがとう。」


 と、福耳の目立つみなもとはこれを断った。


「オレの家族、仲良しなんだ。今から家に帰るのが楽しみ!」


 源は家族のもとに帰り、楽しく団欒だんらんし、朝起きたら、


(───若大根売わかおおねめうてるよ。)


 と、陸奥国みちのくのくにに置いてきた恋人に想いを飛ばし、まだ日が昇る前に、大川さまの屋敷の門扉もんぴの前で待つ、という生活を始めた。


「おはようございます、大川さま、三虎。今日もお供させてください。」

「ああ。」


 大川さまは優しく微笑んでくれるし、大川さまの従者、三虎は、いつもの無表情で、うなずくだけだ。

 三人で平城京に行く。

 日が昇る前に、役人は平城京についている必要があるのだ。


 大川さまは、平城京の、治部省じぶしょう大録だいさかんとして、勤めている。


 三虎は、従者控えの間にて、正午まで、主の仕事が終わるのを待つ。

 仕事中は、従者が傍にいるわけにいかない。

 しかし、ある程度の身分の者が、外を歩く時、従者無しで歩くことも、ない。

 従って、従者は、朝、主を平城京まで送り、主の仕事中は、この、机と倚子が用意された大きな部屋で、ただひたすら主を待ち、主が帰る時に、またお供をするのだ。


 三虎だけではない。この従者控えの間は、大勢、同じように過ごす従者の男が控えていた。


 十九歳、若さを持て余す源は、三虎の隣で、退屈して頬杖をつく。

 

「暇じゃね?」


 おとなしく木簡を背嚢はいのう(背負いバック)からだし、何やら読書を始めていた三虎は、顔をあげ、


「……暇だよッ!」


 眉間に皺を深くして、不機嫌そうに言った。


「だがこれも、従者の務めのうちの一つだ。

 時々、個人で博士を雇って、この控えの間で勉学を教えてもらったりする。暇つぶしにな。」

「へぇ。」


 会話が終わる。


「んじゃね! たたら濃き日をや。(バイバイ)」


 源は、三虎を置いて、さっさと外にでる。


(じっと待ってるだけなんて、退屈だよ。オレは嫌だね。)


 でも、大川さまに顔はつないでおきたいから、正午前には帰る。

 そして、何食わぬ顔をして、大川さまを出迎えるのだ。

 三虎は、実は性格が良い。 

 源がで大川さまを出迎えても、何も言わず、いつもの無表情でいてくれる……。


「三虎は良いなー。大川さまの従者として唐に行けるんだもんなァ。」


 源は、朱雀大路すざくおおじ(メインストリート)をあてもなく歩きながら、ひとちた。


 大川さまは、桃生柵もむのふのきから奈良に呼び戻され、すぐに遣唐使、しかも、録事ろくじにんぜられた。

 大使、副使、判官はんがんぐ高官だ。

 三虎は、大川さまの従者として、遣唐使船に乗れる。決定だ。


 源は、遣唐使になりたい。

 唐に行く船旅は危険も伴うが、唐に行き、帰ってくれば、特別の選叙せんじょ(昇進)がある。

 普通に働いているのでは、望むべくもない、ぶちぬきの選叙せんじょだ。

 位階とは、

 ─────────

 しょう一位

 じゅ一位

 ─────────

 しょう二位

 じゅ二位

 ─────────

 正三位しょうさんみ

 従三位じゅさんみ

 ─────────

 正四位上しょうしいのじょう

 正四位下しょうしいのげ

 従四位上

    下

 ─────────

 正五位上しょうごいのじょう

    下

 従五位上じゅごいのじょう

    下

 ─────────

 正六位上

    下

 従六位上

    下

 ─────────

 正七位上

    下

 従七位上

    下

 ─────────

 正八位上

    下

 従八位上

    下

 ─────────

 大初位上だいそいのじょう

 大初位下だいそいのげ

 ─────────

 少初位上しょうそいのじょう

 少初位下しょうそいのげ

 ─────────


 と、細かく定められている。

 五位以上が貴族と呼ばれる。

 五位。

 これが壁だ。

 五位以上は、なれる人数がぐっと少なくなり、国から支給される俸禄ほうろくの額も、桁違いとなる。


 ただの舎人とねりとして、無冠、つまり少初位下しょうそいのげの下から働きはじめる者がどれくらい昇給するかというと、、身を粉にして働いても、大初位下だいそいのげどまりだ。

 三回ぶんの、選叙せんじょだ。


 これが、遣唐使となり帰国できれば、それまで無名の者でも、従五位下じゅごいのげを賜る可能性がある。

 おおいにある!


 遣唐使を足がかりに、それ以上の出世をし、国司こくしとなり、一国を任されたり、平城京のなかで、高い官職につく道も開ける。


 みなもとの家は、何故だか貧乏だ。


 源の父親は、民部省みんぶしょう主税寮しゅぜいりょうで、大允だいじょうとして働いている。

 地方財政を監査かんさする部署で、数学の高度な知識を必要とする。

 それでも、正七位下しょうなないのげ


 真面目に働いてるのに、なぜか生活は厳しく、源は貧乏ではない我が家を知らない。

 源は、幼少時から、いつかは韓国からくにに渡り、家を隆盛させたいと願ってきた。源の遠い祖先がそうやって、成功をおさめたからである。

 己でできる努力、勉学や武芸は、たゆまぬ努力で磨いてきた。


 それでも、夢への道のりは足りない。


 平城京に士官できるのは、二十一歳から。

 その前の年齢で、できる事はないか?

 考えて飛び込んだのが、戰場の桃生柵もむのふのきだった。

 それは正解だった。

 

 桃生柵もむのふのきで出会った大川さまは、しょう六位上ろくいのじょう

 コネ作りのうまくない父親にかわり、やっと源がつかんだ、遣唐使への細い希望の糸である。


 ちなみに、戰場で鎮兵仲間として出会い、親友となった嶋成しまなりの父親は、正四位上しょうしいのじょう陸奥国みちのくのくにの国司さまで、ビックリした。


嶋成しまなり……。どうしてるかな。」


 なんとのどかな朱雀大路!

 平和そうに行き交う人々は、今この時も、陸奥国みちのくのくにでは兵士が血を流し戰をしているとわかっているのだろうか?


 桃生柵もむのふのきでは、女たちも、医務室で必死に負傷者の看病をしていると、知っているのだろうか?


 源の愛しい若大根売わかおおねめも、きっと、医務室で気丈に頑張っているにちがいない。

 それなのにオレは───。


(考えるな。今、奈良にいるオレに、桃生柵もむのふのきの為にできる事は何もない。)


 ふみでさえ、届けられぬ。

 大川さまにお願いしたら、届けてくださるかもしれないが、人を一人往復させるのは、かなりの出費だ。

 個人の、親友や恋人の安否が知りたいから、という理由で、文を出してくれとは、とても言えない。


(今は遣唐使の事だけを考えろ、源。)







 大川さまは、その日の午後、穏やかな笑顔を浮かべながら、


「これぐらいしかできないが……。」


 と、源を、連れ出した。

 三虎は、大きい荷物を二袋、持っていた。


「おまえも半分持て!」


 無表情の三虎にそう言われて、源は素直に半分持つ。

 大川さまに連れて行かれた先は、豪邸。

 遣唐大使に選ばれた、佐伯さえきの今毛人いまえみし宿禰すくねさまの屋敷だ。

 その屋敷の前には、貢物みつぎものを持った人たちが二百人以上、行列を作っていた。

 大川さまと源、三虎は、その行列に並んだ。


「このなかで、どれくらい、遣唐使船に乗れるのかな。」

「ふむ。船は四船。

 四百人は、乗るだろう。

 大使、副使、判官はんがん録事ろくじ。それらの高官は十人か二十人くらい。それぞれ、傔従けんじゅう、つまり従者がつく。

 あとは、請益生しょうやくせい、すでに一つの分野で学者として成功をおさめている者を短期留学させる。

 留学生るがくしょうは、長期留学。

 医師、神主かんぬし、陰陽師、卜部うらべ。訳語生(通訳)。

 学問僧や、玉作りの弟子、鍛冶師の弟子、などなど……。水手(水夫)などもいるな。

 源が狙うなら、留学生るがくしょうか? 留学生るがくしょうが四十人として。

 その枠ももう、ほとんど埋まってるそうだ。」

「そんな! それじゃ、この行列に並んでる人たちも、オレも、遣唐使になれる望みは……。」

「しぃ。声が大きい。」


 大川さまは注意したあと、源のほうに一歩近づき、源の福耳に唇を寄せた。

 源の鼻に、大川さまの放つ匂い───宇万良うまら(野イバラ)と伽羅きゃらの、えもいわれぬ良い香り───が届いて、なんだか妙に胸がざわつく。


 大川さまは声をひそめた。


「命の危険のある旅路に怖気おじけついて、辞退する者もあとが立たないらしい。

 この行列は皆、欠員狙いなのさ。」

「そうですか……。」


 源は、大川さまの顔を見た。

 白いきめ細かい肌。

 切れ長の目。

 長いまつ毛が陰を落としている。

 魅惑的な微笑む唇。

 至近でみる大川さまの秀麗さは、この世のものとも思えない。


(うー、美形すぎるんだよ、この人!)


 源は耐えきれず、一歩、自分から離れた。


(はぁ……。遣唐使は狭き門だな。オレ、遣唐使になれるのかな……。)


 さすがに、源も落ち込んで、黙ってしまった。


 長い列を根気よく並び、大川さまは、


「おお、録事ろくじ殿どの。長い行列を並ばせてしまいましたの。」


 と、佐伯さえきの今毛人いまえみし宿禰すくねさまに迎えられた。

 口調は儀礼的で、表情に温かいものはない。

 録事である大川さまを、形だけでも尊重した、というのが有り有りと透けて見えた。


「本日は、私的なお願いで参ったのです。当然です。

 この韓国からくにのむらじみなもとを、何卒なにとぞ遣唐使に選んでくださいませ。語学堪能で、勉学にも意欲的な若者です。よしなに。」


 大川さまは、照妙てるたえの布(上等な木綿の布)十たん佐伯さえきの今毛人いまえみし宿禰すくねさまに渡してくださった。

 もちろん、重たい品物は、三虎と、向こうの家人けにん(使用人)の間でやり取りされる。

 

 ひっきりなしの来客に疲れていたのだろう、六十歳手前の今毛人いまえみしさまは、表情を動かさず、


「天命しだいだの。」


 としか言わなかった。

 帰り道、


「……あれだけの布、オレには返せるあてもありません。」


 と、源が言うと、大川さまは爽やかに笑い、


「ふふ、返さずとも良い。気にするな。幸い、私は一国の大領たいりょう郡司ぐんじ)の跡取りなのだよ。

 これくらい、痛くもかゆくもない。

 できる事はする、と言ったろう?

 財貨に余裕のある者なら、皆、やってる事だから、あれだけ渡しても、まったく歯牙しがにもかけてもらないかも。

 期待はあまりするな。」

「大川さま……。

 ありがとうございます!」


 今毛人いまえみしさまの態度は、望み薄だ……。

 かと言って、これ以外の方法は、大川さまも思いつかないのだろう。


「三虎、日を改めて、もう一度伺う。

 手土産は何が良いかな?」

「はい。上野国かみつけのくに韓級郷からしなのさとで鍛えた金錯刀きんさくとう(黄金作りの刀)が一振り、手元にあります。ふさわしいかと。」

「良し。」

「大川さま……、三虎……。ここまでしてもらえるなんて。このご恩、忘れません!」


 源は申し訳なくて、うつむいてしまった。


(何か返せるものがあれば良いんだけど……。大川さまには、思いつかないな。金持ちだし。三虎には……、あった!)


 源は顔をあげた。


「そうだ三虎! 明日、姉のすずしを、従者控えのに連れて行くよ! おみななんだけど……、良いよね?」

「はっ?! おみな?! なんでだ? おみなを控えのに連れてきてるヤツなんて、いねぇぞ?!」

おみなは控えの間に入れないの?」

「そんなことはないが……。」

「じゃ、決まり! オレからのお礼だよ。明日を楽しみにしててね! 味澤相夜あじさわふよをや。(おやすみ)」

「ええっ?!」


 大川さまは、麗しい顔で、


「おや? これは……。」


 と、三虎を見てくすくす笑った。

 源は、とん、と土の道を軽く蹴り、駆け出した。

 三虎が、


「おいみなもと! 良いとは言ってない。

 言ってないんだがぁ───っ!」


 と叫んだが、源は三虎の言葉に返事をせず、素早く駆けて家に帰った。

 




     *   *   *





【要点まとめ】


 ・韓国からくにのみなもと(19歳)は、家が貧乏で、遣唐使になって家を盛り立てる事が夢。


 ・遣唐使のなかで、技術者でもない源が狙える留学生るがくしょうも、もう人選が終わっていて、辞退者待ちぐらいしかわくが残ってない?


 ・その辞退者待ちの枠を狙って、大川さまが賄賂を用意してくれたけど、遣唐大使、佐伯さえきの宿禰すくね今毛人いまえみしは、もらうだけもらって、YESもNOも言わない。

 望み薄か。


 ・大川さまに良くしてもらって、申し訳ない源。お礼を、大川さまには何も思いつかないけど、三虎にはできるがある、と、姉、すずしをあてがう事に?!


 三虎「おっ、おみなはいらん!」(あたふた)



 








↓手描きの挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088488365915

 

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